2012年05月25日

伝統野菜に取り組む先進各県の責任者を前に江戸東京野菜でひろがくる地産地消を語る。


浜離宮恩賜公園は、寛永年間(1624〜1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦の原だった。
 四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が承応3年(1654年)、海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てた。

その後、綱重の子供の綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められた。

八代将軍の吉宗の時代には、青木昆陽によって甘藷の試作も行われている。
 歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成したという。

明治維新の後、皇室の離宮となり、名前も浜離宮となった。




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浜離宮の入り口から「汐入の池」の方向奥、竹芝地区のビルが見える。

上の写真をクリツクする
汐入の池の奥に、「ホテルアジュール竹芝」も望める。

このホテル、東京都職員共済組合の総合保健施設として平成3年に開業した。

現役時代に、東京が当番で関東甲信地区の役員会を島嶼地区で開催した時に、前日、ここに宿泊して、早朝に出帆する船にそろって乗船するのには便利で、利用したことがあったが、それ以来だ。


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先日、「全国農産園芸主務課長会」が、「ホテルアジュール竹芝」で開催され、
全体会議の中で、講演として江戸東京野菜の話を依頼されていた。

農産園芸分野で、各県の振興方針をつくり、指導監督する立場の方々に江戸東京野菜の話をさせていただけるのは願ってもないことだ。

東京都の龍野功課長(同会会長)には、いつだったか、東京都農林水産部の部課長など管理職の皆さんに、江戸東京野菜の現状を報告させていただいた。

それで課長の記憶に残っていたのだろう、招いていただいたので、「江戸東京野菜でひろがる地産地消」と題して話をさせていただいたが、光栄なことだ。

先進県の、京野菜の京都府、加賀野菜の石川県をやはじめ、昨年お世話になった、ひご野菜の熊本県からも見えていた。

質問で、愛知県の課長さんから我々の取り組みを評価いただいたが、
愛知県園芸農産課の永田美智恵さんから昨年、いい話を聞いているので、参考にさせていただいているとお礼を申し上げた。
後で、愛知県の特産・農産の主幹をされている藤井潔先生と名刺交換をさせていただいた。

尚、全体会議では、先に農水省の農産安全管理課長の朝倉健司氏が「食品安全に関する情報提供」として食品安全行政などについて講演をされていて。朝倉課長にも江戸東京野菜について、ご理解をいただいた。



追録


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アジュール竹芝の西側の部屋からは、浜離宮を見下ろすことができる。

浜離宮は新橋汐留地区の再開発が行われてから、周辺は大きく変貌した。

潮の満ち引きによって園内に潮水が流れ込むような設計になっていて、丁度行ったときは引き潮らしく、石垣に満潮時の痕跡が残っていた。、



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控室で、パワーポイントのセッティング具合をチェックしたが、16階の控室・東側の藤の間からは、島嶼航路が発着する竹芝桟橋、そしてレインボーブリッジが望める。

上の写真をクリックする
行きかう船。

この度は、龍野課長には、いい機会を作っていただいた。
司会進行をされていた農業基盤整備担当の朝長信次課長、また、打ち合わせに来ていただいた農業振興課園芸緑化担当の御船真穂係長、農業振興係の関根範明主任と大原聡子さんにはお世話になった。

ありがとうございました。、
posted by 大竹道茂 at 00:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 食育・食農・講演会等
この記事へのコメント
現職時代浜松町・大門勤務でしたから、よく貿易センターの上から浜離宮をのぞいたり、昼休み散歩したり懐かしい風景を見せていただきありがとうございました。
Posted by 納所 二郎 at 2012年05月25日 07:05
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