2012年05月26日

寅さんの母校で伝統の志村みの早生大根の栽培が始まる


寅さんが、通った小学校が、板橋区立志村第一小学校だったというのは、この学校に来るまで知らなかった。

今月の中旬、JA東京あおばの渡邉和嘉常務から、かねてから計画していた、板橋の伝統野菜・志村みの早生ダイコンの種まきを、大根の地元・志村の地で行うから・・・と連絡をいただいた。

学校は、板橋区立志村第一小学校(矢崎良明校長 )の2年生4クラス(111人)だという。

窓口は、栄養士の二谷まり子先生で、8時45分から、1組と2組の合同で、10時半からは3組と4組の合同で行った。
クラス担任は1組・大森芳樹先生、2組 伴野恵子先生、3組 高井周子先生,4組 鳥羽景子先生が対応してくれた。



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渡邉常務は、ラミネートでパウチして、大根の紙芝居をつくっていて、

大根の生い立ちから、大根の種類などをわかりやすく2年生に説明したが、生徒の反応も良く、盛んに手をあげて答えようとしていた。


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栽培指導は、渡辺耕造営農相談員が担当してタネを播く上での注意事項を説明した。

播種する場所は花壇で、111人がタネを蒔くとなると少し手狭なので、1人一粒が手渡されたが、小さい種をだいじそうにもって順番を待ってタネを播いた。



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あの寅さんの本名が、田所康雄さんだったというのは知らなかったが、同校の卒業生として平成8年に田所さんが受賞した国民栄誉賞が校長室の横のウインドウに飾ってあった。

そして、寅さんが微笑んでいた。




追録


江戸名所図会を歩く。


小学校の帰り道、渡邊常務に志村みの早生大根の故郷を案内してもらった。



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国指定史跡・志村一里塚は国道17号線の両サイドにあった。

上の画像をクリックする
塚の隣には、竹ぼうきやヨシズなど、竹製品の老舗(有)斎藤商店のたたずまいが、塚との一体的な景観として歴史を伝えている。

斎藤商店は明治22年創業で、塚の前にあることから屋号は「塚元屋」とか。




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志村坂上交差点から斜め左に中山道の旧道が分かれた。

国道17号線(中山道)は坂上から坂下に向かって急勾配を緩やかにするため、勾配の距離を長くとってつくったから車に乗っていてはわかりづらいが、旧道には荒川の河岸段丘が切り立った様子が今も残っている。


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かつては、河岸段丘の崖下に、いくつもの湧水が湧いていたようだ。
板橋区が整備した「薬師の泉」が国道17号線の脇にあった。

上の画像をクリックすると薬師の泉の園内。
渡辺常務が指差す説明板に、志村みの早生大根のルーツが記されていた。

「清水薬師清水坂
境内山の腰より 清泉沸出す
故に清水の号あり
この辺 夏蘿葡を名産とす
清水種として
世に賞しはべり」
 とあり、夏大根の清水種はこの地の名産となっていた。

その後、百姓巳之吉が選抜淘汰し、早生種、暑さに強い夏大根として、志村みの早生大根が生まれたもよう。

その名には、生まれた場所、作り出した人、品種特性が表してある。


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上の「江戸名所図会・清水薬師 清水坂」をクリツクしておさらい。



posted by 大竹道茂 at 05:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 粋な江戸っ子は白首大根
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