板橋区立の小学校で地元の伝統野菜の復活に取り組むもう一校は、板橋第九小学校( 赤城勲校長・生徒数111人 )の3年生14人(担任・柳原泰子先生)が取り組んだ。

栽培を支援するJA東京あおばでは渡邉和嘉常務が、紙芝居形式で、志村みの早生ダイコンの話を始めた。
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同校は3年生なので、2年生とはいくらか表現を変えて話していたが、生徒たちの反応は良かった。
渡辺耕造営農相談員は、種の播き方などの指導を行った。
そもそもこの取り組み、2010年だったか、同校の七戸登志子栄養職員をはじめ数人の「地元の伝統野菜を給食て使いたい」という思いから始まった。
その年の12月、練馬大根引っこ抜き競技大会に参加した、栄養士さんたちが大会会場で、JA東京あおばの渡邉常務に直談判、
「板橋区の名前の付いた伝統野菜を給食に出したい」との思いが伝えられた。
板橋地区の農家の間でも、伝統の野菜の復活をしたいという思いがあったようで、
渡邊常務が「志村みの早生ダイコンのタネがあるから・・・」と、復活の話は動き始めた。
同校の菜園の広さと3年生が少ないこともあって1人3粒が配られた。
この大根は、夏休み前に収穫するという。
水やりは生徒たちが、帰宅する前にすることを決めた。
同校で受付などの仕事をしている丸山昭さんが、細かな管理をしてくれるようだ。丸山さんは徳丸区民農園で栽培指導をされているよという。

江戸名所に、「駅舎の中程流るる石神井川に架かる小橋あり、板橋の名ここに発るとぞ」とある。
板橋の名は、中世に見られるが江戸期になって、上宿の石神井川に架かけた橋に由来するといわれるようになったようだ。
当時は緩やかに湾曲した太鼓橋で、橋の周辺には料理屋、旅籠屋、茶屋が並んでいた。

渡邉常務が板橋の歴史の話も分かりやすく話していた。
板橋の名の起こりが、板の橋だったという話をされたが、学校の帰りにわざわざ寄ってもらった。
この辺りは石神井川が大きく蛇行していて、大雨が降るとよく決壊をしていたという。
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河川改修が行われ、大きく蛇行した2カ所は水路を直線に改修されているが、川は深くなっている。
また、自動車でも通れるように太鼓橋は変えられ、橋は鉄骨とコンクリートで作られているが、板の橋をイメージしてか、木造のようなデザインになっている。
日本橋から二里二十五町三十三間とある。