農水大臣が任命したボランタリー・プランナーの肩書を持つ、日野市の農業者小林和男さんが、「平山おかぼ」の情報をくれた。
記憶では、日野市立平山小学校で、地元の在来作物「平山おかぼ」の栽培は10年にもなると思う。
「平山おかぼ」は、明治44年に七生村平山(現在の日野市平山)の林丈太郎が作り出した品種、地元の西平山の八幡神社に「江戸東京の農業」の説明板が建っている。
同小学校では、地域の自然、歴史、伝統文化を継承し、地域文化を発展させようと、JA東京みなみ 七生地区の青壮年部の協力を得て、栽培していたことは知っていたが、この活動に、小林さんも中心になって協力指導をしてきた。
小林さんのメールには写真が添付してあった。
「平山小学校四年が種子を守り、育ちもうすぐ定植予定です、苗わけますよ!」

同じ日に、さいたま農林振興センターの小林峰治さんからもメールがきた。
小林さんは三冨でシンポがあった時にご挨拶をさせていただいている。
それが奇しくも、「平山おかぼ」のことでだ。
「本年度も狭山丘陵北面地域で、平山陸稲の栽培が始まりました。
本年は、栽培が広がり4圃場(耕作者4グループ)で栽培されるようになりました。
写真は、糀谷湿地保存会が共同作業日に平山おかぼを「かき揚げ丼」で食たものです。 」
狭山丘陵で栽培されているのは、昔、栽培していたというだけでなく、何よりも美味しいからだろう。在来の作物は、「珍しい」だけでは残らない。
林丈太郎の思いが、脈々と伝えられていることはうれしい限りだ。
日野市の小林さんと、埼玉の小林さん、情報ありがとうございました。
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