府中市でマクワウリ復活を模索する市民の和田純一さんが、素姓のはっきりしたマクワウリがないものかと訪ねてきた。
実は、平成6年に、府中市では岐阜県真正町から頂いたマクワウリの苗で栽培が復活し、御前栽瓜を味噌漬にして販売していた。
現在は販売されていないので、探して欲しいという。しかし、探し出せなかったことから、新たに復活を計画することになった。
そこで、府中市をテリトリーに持つ、JAマインズの組合長にもお会いして、復活の協力をお願いするなどしてきたが、江戸柏木村(現・新宿区北新宿)でも御前栽畑が設置され、鳴子瓜が上納されていたことから、府中と共に復活の計画を立てた。
今年の夏に、“ あっぱれ! STUDY & CAFÉ “ のVol 08で「江戸の水菓子」復活物語がテーマで、色々なマクワウリの食べ比べを行って、勉強会も始めている。

校庭からは、青梅街道を挟んで、新宿副都心の超高層ビル群が間近に見える。
復活の取り組みにあたって、希望する小中学校を神田川流域の学校の中から探して欲しいと、面識のある同区教育委員会の小林明子さんにお願いした。
程なく、新宿区立柏木小学校から申し出があったと連絡をいただいた。
佐藤弘明副校長に連絡を取り、横山優子栄養士にも加わっていただいて、鳴子瓜の復活についての考えをお話させていただいた。
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平成9年に、成子天神社にJA東京グループが「江戸東京の農業」の説明板を設置している。
また、東京都農林総合研究センターには、「鳴子」の銘が入ったマクワウリの細密画が残っていることなどを話しながら、
真桑瓜が大好きだった家光が三代将軍となった元和年間(1615〜1623)には、江戸柏木の神田川流域に将軍の畑・御前栽畑が設けられ、マクワウリが栽培され「鳴子ウリ」と呼ばれた。
また、この辺りでは内藤カボチャと同じ菊座カボチャが栽培されていて、「淀橋カボチャ」と呼ばれていたので、当日は、菊座カボチャを一つお土産に差し上げた。
帰り際、齋藤等校長にもお会いしたが、栽培を通して地元の歴史を振り返る授業は、ぜひ実施したいとのこと。
柏木小学校へは、JR新大久保からと、JR東中野駅からのルートがあるが、東中野の方がわずかだが近いということで、JR東中野で下車して、神田川の方へ下って行った。
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神田川に沿って整備された道、「いきいきウォーク新宿」を歩いて、柏木小学校へ向かったが、この道、神田川流域はかつては農業が栄えた地域で、早稲田まで続いていて、さらに11キロで隅田川に流れ込んでいる。