21日の、早稲田戸山キャンパスは第47回 ホームカミングデーで、母校に戻った校友でごった返していた。
その多くの校友は、小野梓記念館前の、早稲田みょうがモニュメントに貼られた気仙沼の大漁旗を気が付いたはずだ。
早稲田大学、社会科学総合学術院都市居住環境論研究室で「まちづくり」を教えている早田(そうだ)宰教授から、お誘いを受けて、「東北復興支援」に、江戸東京・伝統野菜研究会としてお仲間に入れていただいたのは1月だった。

早稲田大学の学生たちで結成した「早稲田みょうが捜索隊」が発見した早稲田みょうがを、栽培復活し、そのみょうがが、気仙沼の戻りかつおの妻として使われたことに大きな意義を感じている。
早稲田大学周辺商店連合会の北上昌夫会長、桜井一郎副会長(事務局長)からも、早稲田みょうがに大きな期待を寄せていただいたことも有難いことだった。
「早稲田かつお祭り」は、大きな盛り上がりを見せて大成功だった。
モニュメント前の抽選会会場では、何度も当たりの鐘が鳴っていた。
特賞「気仙沼プラザホテル ペア1泊宿券」、1等「生鮮戻りかつお1本(10名様)、又は、かつおのたたき(40名様)」、2等「気仙沼特産品詰め合わせ」、3等「気仙沼特産品1品」、4等「ホヤぼーやストラップ、叉は、かつお節削り1パック」のはずれなしだ。
ファイナルイベントは、14時から始まるというので、13時前に伺った。
上の写真を間クリツクする
写真、左から早田教授、私、気仙沼市のゆるキャラ「海の子 ホヤぼーや」、商店連合会副会長の櫻井一郎さん(車椅子)、後ろが、早稲田みょうがを復活栽培した井之口喜實夫さんご夫妻、菅原茂気仙沼市長、学生諸君。
21日深夜にバスで、三國清三シェフの「気仙沼、子どもたちに笑顔を! プロジェクト」に参加する。準備で先に失礼するので、菅原市長にご挨拶をして、今晩気仙沼に伺うことをお伝えした。
櫻井副会長に付き添われていた奥様の真理子様から、月刊「日本橋」に江戸東京野菜のことを書いているのを読んでいると、ご挨拶をいただいた。恐縮です。
奥様には、初めてお会いしたが、5月に「みょうが寿司」をいただいたことは、当ブログで報告しているので、お礼を申し上げた。

「早稲田みょうがの人気が高く、もっと仕入れたいという店舗からの声があとを断ちません。」と云う情報を10月中旬に、早田先生から頂いたが、今年は残暑が長引いていたので、それで遅くまで収穫できたが、例年だと10月中旬には終わっている。
ファイナルイベントに使うようにと、井之口さんが、ミョウガを持参してくれた。
早稲田みょうがが、晩(おく)みょうがと云われていても、10月下旬まで持たせるのは難しく黄色い花が伸びてきているのはやむを得ない。

14時から、早稲田みょうがモニュメント前のスペースにステージが作られ式典が行われた。
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北上昌夫会長の挨拶で始まった式典には、中央左から菅原茂気仙沼市長、中山弘子新宿区長、鎌田薫早稲田大学総長が出席されご挨拶をされた。
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2009年12月に、早稲田みょうがは「まだ早稲田の地に生きている?」との仮説を立てたが、
早稲田大学では早田教授がまだ助教授時代の2001年に、環境の見地から、「早稲田みょうが」のことを調べられていた。
「今でも探せばみょうがが見つけられます」とある。
早稲田の地の環境を知り尽くした先生ならではで、参考になるので先生の了解を得て掲載させていただく。