2012年10月26日

気仙沼の唐桑小学校で三國シェフの「第4回 子どもたちに笑顔を! プロジェクト」が開催された。


三國清三シェフが東京都市大学付属小学校で食育の授業「三國レッスン」を実施していて、お手伝いをさせていただいていることは当ブログで紹介している。

三國シェフが、気仙沼のホヤ大使に任命されていて、食育を通して支援活動をされていることは、報道で知っていたので、次回はお手伝いさせていただけないかとお願いしていた。

10月22日に、気仙沼市立唐桑小学校で「第4回 子どもたちに笑顔を! プロジェクト」が開催されると云うので、NPO法人 子どもの食育推進協会理事の立場で、メンバーに加えていただいた。



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元全日本バレーボール選手大山加奈さんも生徒と一緒に・・・

三國シェフは、フランスのシェフ達がスローフードの考えをもとに始めた、味覚の教育を日本に取り入れ、1998年にNHK-TVの「 課外授業ようこそ先輩」で母校の増毛町立舎熊小学校で後輩たちに、地元の食材の素晴らしさを教えている。

2000年には、「キッズ゜シェフ」をスタートさせ、気仙沼市立階上(はしがみ)小学校へも行っている。
さらに、2002年からは「気仙沼プチシェフ コンテスト」を始めた。
2011年は第10回の記念の年だったが、3.11震災が発生した事で、コンテストは延期となった。

三國シェフは、「子どもたちを元気にしよう」と日本フランス料理技術組合と、東急グループの協力を得て、同年 6月6日 以前何度か訪れた階上小学校で「第1回 子どもたちに笑顔を! プロジェクト」を実施した。

その後、10月31日には 宮城県の女川町立女川第一、第二、第四小学校で、また、今年の3月 5日には、福島県のいわき市立磐崎小学校で開催し、今回は第4回として、唐桑小学校で開催されたもの。


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11時から食育の授業が始まり、総合司会は斉藤三津江教頭が担当された。

上の写真をクリックする
開会に当たり、菅原茂気仙沼市長が、三國シェフをはじめとするプロジェクトメンバーに感謝の言葉を述べた。

参加したシェフ達が壇上に上がり、三國シェフが、プロジェクトを代表して挨拶を行い。
続いて参加したシェフ達が自己紹介として順次子どもたちに語りかけた。

菅原市長には開会前にお会いしたので、ご挨拶をしたら、「昨日は早稲田みょうがをお土産にいただいたので、今朝は味噌汁に入れていただきました。美味しかったです。」との言葉をいただいた。

三國シェフは講話の中で、料理人になった経緯を生徒たちにわかりやすく話した。
子どものころは食べるものがなくて、ホヤを食べて味覚を養った・・・・。
中学を出て札幌で、初めてハンバーグを食べて感激、ハンバークを作る料理人になるんだ!、と決めた・・・
今日は、美味しいハンバーグを食べてもらいます!。

生徒たちは集中して「世界の三國」の言葉を聞き入っていた。



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2011年5月21日に東京工業大学で三國清三シェフと松木直也氏((株)豆豆社代表)が「震災以降の食育活動」について、講演を行った時に、偶然話を聞きに来ていた国際交流基金(写真左下・横道文司氏、奥裕子氏)へ、松木氏が一緒に協力していただくことはできますかと申し入れたと云う。
その後、三國シェフと「ほや」の紙芝居をフランス人画家に描いてもらいたいと依頼した。

国際交流基金では、フランス国内でインターネットにより画家を募集。何人かの応募者の中から、フロラン・シャヴエ氏(写真上右・通訳内坂芳美氏) が決まり、同氏は8月に気仙沼に取材に訪れた。

紙芝居「気仙沼、海の宝もの」を持って三國シェフはパリの「サント・クロチルド小学校」で、味覚の教育を行った。この様子は動画配信されれている。

上の写真をクリツクする
三國シェフは「ホヤには、4つの味があります。」と・・・。
紙芝居では、「しょっぱい」は塩味、「酸っぱい」はレモンの味。「苦い」はチョコレートの味。「甘い」はキャンデーの味と、パリの子供たちにわかりやすく説明している。
パリの子供たちはホヤがどんなものかは知らなかったが、興味を持ったようだったとか。

唐桑小学校の生徒たちは、ホヤは身近にある食材だけに真剣にパワーポイントによる紙芝居を見ながら、3年生担任の及川睦美先生の朗読に聞き入った。

紙芝居は「津波で流され、絶滅したと思われていたホヤが、サルベージ船が海底から引き上げた瓦礫の中で生きていた。
発見したのは、ホヤおじさんこと星さん。

ホヤが食べられるようになるには3〜4年かかるというが、気仙沼の食文化を次代に伝えるには無くてはならない食材だとして、星さんはその養殖に取りかかった。」と云うストーリーで、会場には、星さんも招かれていた。



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食育の授業に先立ち、1年生たち(15人)は、学校と道路を挟んだ圃場で、サツマイモの収穫作業を行っていた。

上の写真をクリックする
2種類の芋を育てていたらしく、紫芋が美味しいんだよ! と、1人の子が教えてくれた。

担任の山田公枝先生が、サツマイモの採り残しがないか、クワを振るっていた。
今年から、栽培を復活できたが、昨年は栽培どころではなかったという。
上のお宅(写真上右)で、塩害を受けていない畑を貸してくれるというので、栽培することができたという。

これから、三國シェフのお料理を食べるんでしょうと聞くと、生徒たちから「食べる!」という元気な声が返ってきた。楽しみにしているようだ。



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5,6年生(57名)に、父兄も参加して、10時から体育の授業として、バレーボール教室が校庭で行われた。
指導は (公財)日本バレーボール協会から派遣された、元全日本のオリンピック出場選手の大山加奈さん(上中)を初め、ビーチバレーの現役で、妹の大山未希選手(上左)、さらに地元仙台ベルフィーユの木村沙織選手(下右・レシーバー)、芳賀小梨絵選手(下左・セッター) 王 亜辰選手(上右・ウイングスパイカー)

バレーの指導を受けていた10時43分、地震があった。校庭では気が付かなかったが、体育館は揺れ、一瞬緊張が走った。
岩手県沖深度3、震源の深さは約30キロだった。



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全国から34名のシェフが、三國シェフのもとに集まった。第1回から参加しているシェフ。初めて参加したシェフ等も居るから、事前の打ち合わせも重ねてきたので、個々の役割を受け持って仕込み作業が始まった。

三國清三(オテルドゥミクニ)、赤松健二 (ポンムスフレ)、山口雄三 (ランコントレ)、矢野研一 (レガーレ島根)、塘泰三、宮崎寛之 (ホテルマウント富士)、渡部光壮 (京都調理専門学校)、山口拓哉 (六本木ヒルズクラブ)、山崎隆 (レストラン山崎)、相澤健冶、佐藤匠(ホテルニューキヤスル)、工藤弘城(弘前フランス料理研究会)、佐藤俊彦(グリコーンボーデン館ケ森)、石川一也、伊藤慶太、奥田康太、木内信杜、佐藤心一、清水石あづさ、野呂翔太、星尊、門門はるな、若生剛志(仙台コミニュケーション専門学校)、水落三郎、石川克明(東急ホテルズ)、加藤完十郎、安里優治、笹木浩一 (ザ・キャピトルホテル東急)、白幡健(京都東急ホテル)、江田博一(赤坂エクセルホテル東急)、斎藤郁夫(大森東急イン)、広瀬正人(愛宕山東急イン)の他、セルリアンタワー東急ホテル、パンパシフィック横浜ベイホテル、今井浜東急リゾートからも参加された。敬称略


上の写真をクリックする
トレーを持って、ライス、サラダ、カレーソース、ハンバーグの順にお皿に乗せてもらい、最後に、ハンバーグにエシャレットソースを三國シェフにかけてもらうという流れだ。

生徒、先生、来賓、スタッフなど320食が出された。


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2種類のソースがかかっていて、それが絡んだ味がまた、たまらない。
コーンポタージュにはクレトンが乗っていた。
プリンも美味しかった。



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食事の前に全員が手を洗ってからトレーを持って並んだ。

テーブル毎に揃うと「いただきます!」そして、テーブル毎に楽しい会話が弾んでいた。
そして、子どもたちの笑顔がはじけていた。


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食後、ステージに上がったシェフ達に、感謝の気持ちを伝えようと生徒たちは校歌を歌って締めくくった。
その後生徒たちは手作りのメダルを持ってステージに上り、シェフ達の首にメタルを掛けた。
最後に、各シェフ達とハイタッチで別れを惜しみ、午後の授業を受けるため教室に帰っていった。




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最後に、三國シェフを初め34人のシェフ、東急電鉄をはじめとする東急グループのみなさん、そして、我々をここまで運んでくれた東急バスの運転手さんなど、プロジェクトを支える一人一人が紹介された。
海原孝校長からお礼の言葉が述べられ、全員が記念写真に納まった。
上の写真をクリツクすると拡大

三國シェフはTVのインタビーを受けていたが、この様子は、JNNニュースが動画配信している

この度は、メンバーに加えていただいた三國シェフ、ありがとうございました。
また、豆豆社の松木直也さん、森川翔太さん、お世話になりました。

追録




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黄色い線まで津波が押し寄せてきて、民家の1階は水没したという・・

唐桑小学校は、平成21年9月に現在の所に新校舎ができたが、津波は駐車場の所まで来たと云う。旧校舎は低い所にあったので、逃げられなかったろうとのこと。

上の写真をクリックする。

津波が遠くの海からここまで漁船を運んできた(写真右上)
波は同校の駐車場を洗ったが、船はガードレールに遮られて、波が引いた後、この位置で止まった(写真左下)。
瓦礫は撤去されていて、平穏な生活を取り戻そうとしているが、そこここに、当時を思い出すものが残っている。
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