矢作東一さんは、同地区の伝統として新宿一本ネギを栽培していて
今年初めに、千住ネギや新宿ネギの元になった砂村の伝統野菜、砂村一本ネギの栽培をお願いしたが、快く引き受けてくれた。
砂村一本ネギの収穫は、12月15日頃だそうで、「特に栽培は難しいことはなかったらしいョ! 」と、小金井市で砂村一本ネギの栽培に挑戦している高橋金一さんに伝えると、「是非、圃場見学に連れて行ってくれ!」と云うので、京成の高砂駅に10時の約束で待ち合わせた。
矢作さんのお宅は、高砂駅から北に徒歩15-6分の所にある圃場だが、駅まで車で迎えに来ていただいた。
矢作さんは、元JA東京スマイルの経済指導課長時代、農家の営農指導を担当するJA東京指導員連盟の会長を歴任している。
高橋さんとは、初対面の挨拶をしていたが、なんと現役時代に会っていることがわかった。

矢作さんの畑では、柔らかくて美味しそうな砂村一本ネギが栽培されていた。
生産緑地地区の看板が立つ圃場は、よく管理され、雑草など生えていない。
2月下旬に播種、6月の終わりから、遅くとも8月上旬に定植を終える。と年寄りなどから教わったと。
軟白を長くすると甘みが増し、柔らかい葉になる。
矢作さんは、3回の土寄せを行ったという。
1回目が10月1日、2回目が10月20日、3回目が11月1日で、12月15日から収穫が始まるという。
私のカメラでは、太陽に輝くネギの葉の葉脈に浮き出た蜜はとらえることができなかったが、後日、福島秀史さんに撮ってもらった。
矢作さんに促されて、高橋さんと一緒に、人差し指に蜜をとってなめた。
甘い、それも濃い甘さ。
高橋さんも、矢作さんの話で栽培ポイントが分かったようで、来年の栽培が楽しみだ。

矢作さんのお宅はご子息が二人、ご長男の矢作倉吾さんが、お母さんの安希子さんと一緒に出荷作業をしていた。
矢作さんは、JA東京スマイルの「葛飾元気野菜直売所」に出荷するが、1キロ250円だそうだ。
知人などに頼まれた時は、米袋(30`用) に泥ネギを入れて 8.5キロ 30数本ぐらいの単位だそうだ。
すでに、押上げ「よしかつ」の主人・佐藤勝彦さんと、第五砂町小学校の銭元先生も学校給食に使えないかと相談を受けている。

畑の片隅に、水菜の採り残しが残っていた。
かつて、江戸では水菜と云わず京都から来た野菜として、「京菜」と云っていた。
晩生の千筋京菜がそれで、昔は1個1貫目(3.75キロ) などと云っていた。
寒い季節の、ハリハリ鍋や漬物などで食べたが今日のように生で食べることはなかった。
シャキシャキした食感で美味しくいただいた子供の頃が思い出されると云ったら、矢作さんがしばらく置いておきますよと云ってくれた。
露地で寒さに当たった京菜を、江戸料理の再現にも使ってもらいたい。