2009年04月01日
【4月号】 横十間川と江戸東京野菜
家康が江戸に入って(天正年間)すぐに取り組んだのが、千葉の行徳から塩を江戸に運ぶための小名木川開削である。やがて小名木川は物資を輸送する舟運の大動脈となっていくが、幕府は城東地域の開発のために、万治年間(1658-1661)、幾つもの堀を開削する。竪川や北十間川を初め、小名木川や竪川と交差する大横川に横十間(18m)川だ。この大横川や横十間川、戦後、トラック輸送の発達等で本来の目的を失ったことや、工業地帯として発展する一方、地下水のくみ上げから地盤沈下が発生し、0メートル地帯となり水が溢れるおそれ等から、江東区ではこの川を埋め立て、昭和61年に親水公園として開園している。
この横十間川親水公園内に田んぼ(250u)があるが、この田んぼを活動拠点としているのが「田んぼの学校」。
今年で8年目、保護者も生徒で子供と一緒に田んぼに入って、田んぼを学ぼうと活発に活動している。2年前このグループのリーダーのお一人から、野菜にも取り組みたいが、歴史ある横十間川の場所で栽培するのだから江戸東京野菜をつくりたいとの相談があった。
江戸東京野菜の講演会や、小松菜シンポジウムにも参加されるなど、熱心に研究され、昨年は亀戸ダイコン、伝統小松菜、滝野川ゴボウなどにも挑戦された。
今年度の生徒募集を区の広報で行ったが2時間で予定の250名に達し、締め切ったと言うからすごい人気。この日は、新入生の皆さんを伝統小松菜(ごせき晩生)のみそ汁で歓迎しようと、ボランティアの皆さんが畑を耕し伝統小松菜のタネをまいた。
地元江東区の伝統野菜・亀戸ダイコンはタネ採り用
「田んぼの学校」の指導者「江東田んぼクラブ」の皆さんによる畑づくり。
田んぼの学校に隣接する砂町は、江戸時代砂村と云い野菜生産の先進地で、寛文年間(1661-73)農民、松本久四郎によって促成栽培の技術が発達した。
この技術により他人よりも早く初物を食べたいという江戸っ子の性分に火がつき、法外な金を支払ってでも初物を買い求めるようになったことから、諸物価高騰への恐れと、町民達の生活が贅沢になっていくことから、質素な武士の生活とを比べると、士農工商の身分制度が崩壊しかねないと、幕府は野菜などの早出し禁止令を度々出している。
このことは北砂2丁目にある志演尊空神社に「野菜の促成栽培発祥の地・砂村」の説明板が建っている。砂村では、砂村ネギ、 砂村ナス、砂村三寸ニンジンなどの野菜が生まれたが、その中でも砂村三寸ニンジンのタネが見つかったので、できればゆかりの地・砂村地域の小学校で復活を果たせればと願っている。
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