2009年05月01日

【5月号】 江戸近郊で栽培されていた京菜


若い人たちが生野菜のサラダで食べるようになったことで一気にブレークした野菜が水菜だ。 細長い葉はのこぎり状の切れ込みがあり葉柄が白いお馴染みになった野菜は、においが無く淡白で、サクサクした歯ざわりが好まれている。この野菜、今では、交配種も売り出され、しかも若採りで手ごろな大きさで収穫するから、周年栽培が可能となった。足立の新井宏治さんは平成16年1月から若採りで栽培し始めているが、その後生産者が一気に増え、新井さんも栽培面積を増やしたという。



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水菜は江戸近郊で栽培されていた。江戸でつくられ始めた頃は細い葉柄から名付けて糸菜と呼ばれていたが、その後、京都の野菜という意味で、京菜と呼ばれるようになった。江東区史(上)によると、京菜は嘉永年間(1848〜1854)には砂村(江東区北砂、南砂)からタネを取り寄せて尾久村(現荒川区)で栽培が始まっている。また、奥戸(現葛飾区)では安政年間(1854〜1860)に、古くからの産地亀戸からタネを取り寄せて栽培が始まったとあり、その後、江戸川から葛飾、足立と産地は広がっていく。明治45年の記録によると反当りの収入では小松菜の倍の値段で取引され、大正期になると栽培はさらに盛んになり大正11年には小松菜に比べて反収3.5倍にもなっている。 大きさは白菜ぐらいで、細く切れ込みのある葉はブッシュのようにボサボサで、当時は、塩で漬けた漬物が絶品で、鍋物でも美味しかったが、核家族が増える昭和40年代からは大きすぎて食べきれないと売れず、江戸から続いた栽培は途切れてしまった。

先月末に、京菜(固定種)の栽培にトライしたのが、小平市小川で江戸東京野菜を栽培している宮寺光正さん、冬の野菜だが、若採りしようとタネを蒔き試作を始めた。市販の水菜と比べて、食感や味、それに匂いなど、違いが出ればいいのだがとは宮寺氏。

Timely

2016年東京オリンピック・パラリンピック招致に伴い、IOC評価委員が来日していたが、18日には委員を招いての公式晩餐会が赤坂の迎賓館で行われた。

ディナーは日本流の「おもてなしの心」で迎え、「季節感を大切にし、日本でなければ食べられない食材を、五感を通して楽しんでいただけるように工夫しました」と細やかな心遣いをうかがわせた。

それが、「江戸の食材」として、「小松菜」「亀戸ダイコン」「千住ネギ」などが使われたことで、翌日のNHK「おはようニッポン」で紹介された。

東京オリンピック・パラリンピックだけに東京の地場産野菜として話題の江戸東京野菜が食材に使われたことはタイムリーで、生産者も元気が出るというもの

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