2009年06月01日

【6月号】 京橋大根河岸青物市場跡


このほど「京橋大根河岸記念碑建設50年を祝う会」の主催者(京橋大根河岸会)から招待状をいただいた。昭和34年6月に記念碑(下の写真)が建立されてから50年という節目だが、この50年日本は大きく変わった。都民の食生活を支えてきた築地市場も、食生活の多様化、人口の増加による都市の発展の中で、すっかり手狭になってしまい、新たな移転先が騒がしくなっている。

昭和34年というと、4月に皇太子殿下と美智子様の結婚式があり、その前年は東京タワーが完成している。丁度、私が高校に入った頃だから、30年代初めの数寄屋橋や京橋も、そしてよどんだ川面も記憶に鮮明に残っている。大根河岸の青物市場は昭和10年に中央卸売市場法の施行で泣く泣く築地に移転し、その後、首都圏整備計画によって32年に外堀が埋め立てられて数寄屋橋ショッピングセンターがオープンする。これら運河は水が抜かれたりビルが建設されたり、京橋川も埋め立てられて、昭和37年には、日本で始めての高速道路に生まれ変わった。「京橋大根河岸青物市場跡」が設置されているあたりは、京橋の袂に当るが、屋上が高速道路になっているビルの壁面(写真左のビル)に圧迫されて、河岸から水面を見下ろす開けた景観と面影はまったく無い。


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京橋の青果市場には、江戸の昔からなぜか大根の入荷が多かったことから、誰云うとなく大根河岸と云われるようになった。ダイコン河岸ではない、粋でイナセな江戸っ子は「ダイコ河岸」と呼ぶ。

葛飾方面からは中川を下り、小名木川を通って、深川口から隅田川を横断、八丁堀から京橋川に入って、大根河岸に荷を付けた。特に、3月から4月にかけては、小振りの亀戸大根が大量に入荷している。また、12月には、練馬ダイコンが産地から牛馬によって大根河岸に運ばれた。かつて杉並で農業をされていたお年寄りに昔聞いた話だが、「昭和の始め、父親が荷造りしておいてくれた牛車に乗って夜中の2時頃家を出た。下り坂を選んで京橋まで、5時間もかかったが、途中居眠りをしても牛は可愛いもので慣れた道を京橋まで連れて行ってくれた。 河岸に着くと市場の若い衆が寄ってきて、大根を下ろし、牛は若い衆が河岸のはずれの牛を繋いでおく場所に連れて行き、干草を与えたり水を飲ませたりしてくれた。京橋にもそんな時代があったんだ。」


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因みに、京橋大根河岸は、遠く徳川4代将軍家綱の時代、数寄屋橋の袂に自然発生的に生まれた前栽の市が、火災にあって寛文4年(1664)に京橋に移ってきたもの。今年は創設から345年目の慶事となることから主催者は平成26年(2014)の350年祭を盛大に執り行うため、今回は前祝いの行事と位置づけているという。

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