2009年12月01日

【12月号】 早稲田ミョウガを探しませんか !


今年の8月に足立区興野で、昔から栽培してきたという銀マクワ(本田ウリ)の栽培農家が見つかった。
このニュースは、まだまだ東京の片隅に伝統野菜がひっそりと息づいているのではとの期待を抱かせる明るいニュースであった。



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早稲田の穴八幡宮にある江戸野菜「早稲田ミョウガ」の説明版


江戸っ子が好んだ「早稲田ミョウガ」も早稲田のいずこかに、こっそりと生きているのではないかとの、思いに駆られている。
早稲田ミョウガは、全体に赤みがかり、大振りで独特の香りで、薬味や味噌汁の具、ヌカ漬など、江戸っ子に好まれた。
田山花袋の「東京の三十年」には、「早稲田から鶴巻町へ出て来るところは、一面の茗荷畑で、早稲田の茗荷と言えば、野菜市場にもきこえたものであった。」とある。花袋が明治14年(1881)に上京してから三十年間の変遷を記したものだが、明治15年大隈重信によって早稲田大学の前身・東京専門学校が田圃の中に設立されると、その後、辺りはしだいに学生達の食堂や書店、下宿屋などが出来る。
夏目漱石の「硝子戸の中(初版大正4年)」で「早稲田に移ってから、私はまたその門前を通って見た。表から覗くとくと、何だかもとと変らないような気もしたが、門には思いも寄らない下宿屋の看板が懸っていた。私は昔の早稲田田んぼが見たかった。しかしそこはもう町になっていた。」とあり、明治の終わり頃には、早稲田ミョウガは田圃と同じ運命をたどっていたようだ。しかし、神社やお寺の片隅、昔から残る屋敷の一角にしぶとく残っているのではとの期待も捨てきれないでいる。
早稲田ミョウガの捜索活動は、昔の早稲田や地理に詳しい方を探してからだから来年の春以降になるが、見つかったあとは何年かかけて増産する。 
夢にまでみた早稲田ミョウガを刻んだ薬味。 内藤新宿ゆかりの八つ房の唐辛子とともに「そば」の薬味として食べてみたいのは、私だけだろうか。
posted by 大竹道茂 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 早稲田ミョウガ
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