2010年06月01日

【6月号】 島からの便り「島レモンと明日葉(アシタバ)」


小笠原には、天保元年(1830)、無人島であった父島にハワイから最初に移住した欧米系の人達により、バナナが持ち込まれました。(農業説明板より)とある。

まだ、施設栽培がなかった戦前では、冬至にカボチャが常夏の小笠原から入荷したが、ビニール等の農業資材の発達で本土における栽培が可能となったことから、返還後の小笠原の農業は戦前とは全く変わってしまった。

地産地消、東京の食にこだわる飲食店が増える中、島から便りが届いた。



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復帰後40年の歴史の中で、商品化された農産物も多いが、小笠原の島レモンもその一つだ。

小笠原の亜熱帯農業センターの佐藤澄仁氏によると、八丈島の菊池雄二氏が昭和15年,ミクロネシア共和国のテニアンから持ち帰った苗が起源とか、それを昭和48年,菊池氏の子女沖山ルリ子さんが父島に持ち込んだもので、商品名を「島レモン」。

また、三宅島から届いた便りには、アシタバが写っていた。

アシタバは、日本原産でセリ科シシドウ属の多年草植物。「今日葉を摘んでも明日には新しい葉が出る」ことからその名がある精力の強い植物。ビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富なことから不老長寿の植物とも言われていた。

この栽培が面白い、文政十年(1827年)にまとめられた古文書「八丈実記」によると、ハンノキの近くにアシタバを播種することで、ビタミン豊富な高品質アシタバ栽培が可能になるということで、島では昔からアシタバはハンノキとの共生で栽培している。


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posted by 大竹道茂 at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京の農業と農業者達
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