2013年01月30日

練馬大根の歴史に名をとどめる「又六庚申塔」の移転先を訪ねた。


練馬大根などを育んだ、練馬農業について話してくれと依頼されていて、資料集めの過程で「又六庚申塔」の移転先を訪ねた。

そもそもこの庚申塔は、春日町の富士街道沿いにあったようだが、環状八号線の拡張整備で、現在の練馬区立春日町青少年館の施設内に、仮に移設してあった。
この施設、練馬大根の碑の裏手にあたる。



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この碑には、青面金剛像の下に、見ざる、言わざる、聞かざるの「三猿」が彫られている。


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上の写真をクリックするとアップ。

練馬大根の誕生には諸説があるが、この説明には「又六に宮重大根のタネを与え栽培させたとの伝説もあります」と記されている。
確かにその説もあるが、後の徳川綱吉(1646-1709) が「松平右馬頭(うまのかみ)」と名乗った館林の城主時代に「尾張から大根の種を取り寄せ百姓 太木金兵衛に作らせた」との説もある。

尾張の大根で有名なのが宮重でこの大根は華北系の青首大根の代表だ。

尾張から大根の種を取り寄せたと云えば、「宮重」を取り寄せたんだと早合点するほど、宮重は尾張を代表する大根として有名だった。
しかし、練馬大根は白首で、肉質なども全く異なり、最近では同じ尾張の大根でも華南系で白首の方領大根との説が説得力がある説として伝わっている。



追録





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帰りに、大江戸線の練馬春日町駅の、改札を入ったところの壁に、「大根と富士山」の作品があった。

作品の片隅に、作者の意図が書いてあった。
「この土地の特産物であった大根も、なにげなく人々の生活の中に入り込んでいる現在(ベンチ)から・・・・」とあった。

練馬大根を知らない世代が増えた。バスケットに入っている大根は青首大根だ。
全国に名をはせ、タネも全国に広がり各地で特産物になっている練馬大根の形状を、少なくともこの駅を利用する乗降客を含め次世代にも伝えていきたいものだが、どうしたらいいだろう。


posted by 大竹道茂 at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報
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