4月の中旬、女子栄養大学 食文化栄養学科 4年の増田実の里さんからメールをもらった。
何でも、卒業論文で、マクワウリと文化の関わりをテーマとしているという。
月刊「食生活」が、昨年の9月号で甜瓜(てんか)の特集をしていた。(文化年間に出版された成形図説には、甜瓜を「マクハウリ」と読ませている)
読んでみると内容はメロン特集で、甜瓜を強引に「めろん」と読ませていたもの。
増田さんは編集部にマクワウリの情報を得ようと連絡を取ったことで、今年の4月号で、「読み切り 復活!江戸東京伝統野菜」を書いたご縁で、当研究会が、新宿区立柏木小学校で鳴子瓜栽培の復活を実施するとの情報を教えてもらったという。
「できれば、マクワウリの保存・復活に関して、私にお手伝いできることがないでしょうか」と云う。

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今月初めに農大生が訪ねて来たときにも話したが、これまで、大学生たちが、自ら行動して江戸東京野菜の研究を手伝ってくれた。
17日に、マクワウリの苗づくりをお願いしていた西東京市の矢ケ崎宏行さんのお宅に、取りに行き、それを府中の栽培農家に持って行くので、汚れてもいい格好で来てくださいと増田さんに伝え、西武新宿線田無駅で待ち合わせた。
ブログに掲載するからと作業中にカメラを向けたら、「ワー! 、それなら可愛い恰好して来ればよかった!」
十分に可愛いと思うが

マクワウリの研究といっても、江戸東京野菜全般についても知っておいていただく必要があるので、矢ケ崎さんの栽培姿勢についても学んでもらった。
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馬込三寸ニンジンの種採りをお願いしているが、ネットの中で花が窮屈そうにしていた。

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ハウスの脇に、練馬大根が莢をつけ始めていた。
増田さんに、莢は練馬大根の味がするからと、食べさせた。
「食べられるんですか!」 、と云っていたが、莢が柔らかいこの季節の数日しか食べることができないだけに貴重な体験だ。
後日、矢け崎さんから聞いた話だが、尋ねて来たレストランのシェフに食べさせたら、かじって味わっていたが、欲しいと云って莢をもいで買っていったという。どんな料理に添えられたのだろう。

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砂村一本ねぎの種採りもお願いしているが、こちらもネットの中で結実していた。
今回の企画、徳川家康、秀忠親子が、府中の地にマクワ瓜の畑(御瓜田) を作り、美濃の真桑村(現真正市) からマクワ瓜の栽培名人を毎年呼び寄せ、栽培させた歴史を復活させようと、府中御用瓜( 美濃のマクワ瓜)を栽培すると云うもので、フードボイスのブログに書いている。
これまで、府中市でのマクワ瓜栽培は、市民グループが行っていて、ビールやメロンパンが生まれている。
このような中で府中市のまち興しに協力するのでと、JAマインズの杉崎忠雄組合長に、伝統のマクワ瓜を栽培してくれる農家を探していただいていたが、先月、府中市西府町の石川孝治さんを紹介していただいた。
連休明けの、気候が安定したときに伺うと石川さんに電話でお伝えしていたが、連休明けも寒い日が続いたので、17日になってしまった。
石川さんは、マルチを張って待っていてくれて、手際よく定植してくれた。
増田さんは、石川さんにも盛んに質問をしていた。

ここまで来たので、府中市郷土の森博物館に案内した。
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ここには、昨年、来ているが「御瓜田」の説明板が建っていて、江戸(東京) でのマクワウリ栽培のルーツが記されている。
現在、府中市では都立農業高校の大谷敦子教諭にマクワウリのタネを渡して、栽培をお願いしているが、あいにく授業があるからと、お会いすることはできなかった。

旧三岡家長屋門を入ると、ふるさと体験館で子供たちに薪割り体験をさせていた。
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体験館には、農家に伝わる文化、竹細工の品々が飾られていた。

多摩川の流域に作られ中山間の景観は美しい。
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復元された「まいまいず井戸」
車中でも増田さんからは、江戸東京野菜を含め、「マクワウリをいつまで食べていたか?、」「どんなタイプのマクワウリだったか?」等の質問があった。
増田さんは、同大の生活文化研究室で秋野晃司教授の指導を受け、卒論「まくわうりと日本文化のかかわり」に取り掛かっていて、江戸以前のマクワウリ文化などについても、良く研究している。
様子が分かったが、これからの府中と新宿柏木での復活体験は、いい経験で卒論の中にも行かされることだろう。