2013年05月30日

三代将軍家光が好んだ「鳴子うり」の復活栽培が、新宿区立柏木小学校で行われた。


昨年8月、NPO法人ミュゼダグリが開催した ”STUDY & CAFÉ” で、「江戸の水菓子」復活の物語をテーマに開催されたが、

その時、美濃のマクワウリが手に入ったので、10月に新宿区立柏木小学校(齋藤等校長)に伺って、江戸時代この地の名産として有名になった「鳴子瓜」の栽培復活の計画をお話しして、「NPO法人 子どもの食育推進協会」の事業として準備を重ねてきた。

4月に伺ったおりには、最終的な打ち合わせを行った。



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上の写真をクリックする
写真右上・鳴子ウリの栽培復活に来てくれたのは、
栽培指導の宮寺光政さん(右下)、

苗を作ってくれた西東京市の矢ケ崎宏行さん(左上)、

江戸東京野菜コンシェルジュ育成協議会からは、
納所二郎副会長と役員の佐々木昭さん、

子どもの食育推進協会から藤井美都子事務局次長、

卒論「まくわうりと日本文化のかかわり」に取り組む
女子栄養大学4年の増田実の里さん(写真担当)。



29日10時45分から始まった4年生の授業は90分、1組と2組が合同で宮寺光政さんの育て方のお話30分。その後、1組と2組が「鳴子ウリの定植」30分と、「鳴子ウリの話」(30分)に分かれた。



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宮寺さんからは、ウリ類は、雄花と雌花があること、
雌花の下に子房があり、
雄花の花粉をつけると子房が大きくなって「ウリ」ににる。

@、親蔓は、本葉5枚で芯止め、
A、子蔓は、5本伸ばす。
B、伸びてきたら、根本に近い子蔓はかきとり、2〜3本にする。
C、子蔓は、本葉20枚で芯止め。
D、孫蔓は、適当に伸ばす。

また、花粉付けは、午前中の10時までに

宮寺さんは、ホワイトボードに板書をしながら説明した。
生徒達は順番に、雄花と雌花、子房についても観察していた。
上の写真をクリックする




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4年生の菜園の大きさから、苗は6本用意していたが無理で、4本を植え、残りの2本は他で栽培することになった。上の写真をクリックする




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また、1組の教室では、並行してパワーポイントで、鳴子ウリの歴史などについて話を行った。

生徒たちは手を挙げて

「鳴子ウリはどこにタネがあったのか!、」
「どのくらいの大きさか!」
「鳴子ウリはどんな料理が美味しいか!」
等の質問があった。


押上「よしかつ」の料理を思い出し、生ハムを載せると、ハムの塩気がマクワウリの甘さを引き出してくれると伝えた。
説明しづらかったので授業では話していないが、料理研究家の林幸子先生が作ってくれた冷静パスタも美味しかった

上の写真をクリックする

授業では話さなかったが、マクワウリは美濃(岐阜県) 真桑村(まくわむら) のウリからその名があるが、文化元年(1804)に発行された成形図説には、甘い瓜として甜瓜(てんか) と書いて強引にマクワウリと読ませていて、広辞苑にはない。
明治時代の通販カタログには、鳴子ウリのタネが「鳴子甜瓜」で販売されていた。






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授業が終わった後、参加者で意見交換を行った。
今後は、増田さんが時々来校して生育状況をチェックしたり、当研究会との連絡役を担当してくれることで、校長先生の了解をいただいた。

上の写真をクリックする
前日の28日、西東京市の矢ケ崎宏行さんに頼んでいた、鳴子ウリの苗と、稲わらをもらって、車で学校に届けた。
また、4年生の担任・田中優子先生と荒牧秀人先生にパワーポイント「鳴子うり」の内容を確認してもらった。

菜園は、齋藤校長にお願いして、菜園の4隅と真ん中の5カ所の土、10センチぐらいの深さのところの土を、各々水に溶いてリトマス紙でペーハーを見て酸性度を調べていただいていた。

田中先生と、荒牧先生が、1週間前に腐葉土、黒土、牛糞、化成肥料を入れて土を作ってくれていたが、ブカブカなので、水を撒いて土を落ち着かせるなど、先生方のご苦労があった。


尚、マクワウリ関連情報は、当ブログのカテゴリー「江戸のマウワウリ各種」に、まとめてある。


posted by 大竹道茂 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸のマクワウリ各種
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