2013年07月03日

江戸東京たてもの園に懐かしい三島食品工業(株)の「三島邸」が復元オープンしていた。


三島邸の復元工事が始まって久しくなる。来るたびに工事をしていたから出来上がるのを楽しみにしていたが、久しぶりに「江戸東京たてもの園」に立ち寄ったら、4月に復元オープンしていた。

こんな建物だったんだと、改めて見直してしまった。



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実は、この建物が総武線の信濃町駅の北側に建っていて、一度お邪魔したことがあったから、三島邸が復元されることを楽しみにしていた一人だ。

建物は、一階が「武蔵野茶房」(10:30〜16:30)になっていて、珈琲、 紅茶、果汁、カルピス、ドイツビール・ワインが販売されていた。






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工事中は三島邸としてあったが、改めて見ると「デ・ラランデ邸」となっていた。
よく見ると、寄贈者が「三島食品工業株式会社」となっていたので、この建物の沿革を改めて知ることができた。

乳酸菌飲料カルピスの発明者として知られる三島海雲氏が1956年(昭和31)から住んでいたようで、その後、三島食品工業(株)が使用しているが、いつからミツバチを飼っていたかはわからない。




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私が一度だけお邪魔したのは、1995年頃だったと思うが、当時は、三島食品だったと記憶していたが、三島食品工業だったようだ。

1979年から、毎年11月2日〜3日に、明治神宮の宝物殿前で、東京都農業展( 現・東京都農業祭 )、を開催していて、今年も予定されているが、初めの頃から会場で三島食品工業が「江戸っ子蜜蜂」のネーミングで蜂蜜を販売していて、なかなか人気があった。

「銀座の蜜蜂」が話題になる、20年も前から販売してくれていた。

1995年、「江戸・東京 暮らしを支えた動物たち」の中に蜜蜂を掲載することになって、三島食品工業の社長に資料を借りに行ったことがあった。

信濃町駅のホームは低い位置にあることから線路わきにある同邸は見えにくいが、改札を出て線路沿いに四谷方面に歩いたところに、大きなヒマラヤ杉が何本も生えている中に、三島邸があって、入り口から階段のようなところには、ミツバチの巣箱が幾つも置いてあって、朽ちかけそうな洋館だったが、建物自体が巣箱のような感じをしたのを記憶している。


お借りした資料には、働き蜂は半径3q〜.3.5qの範囲で飛んで蜜や花粉を集めるとして、信濃町から半径のエリアには、皇居、新宿御苑、東宮御所、神宮外苑、青山墓地、明治神宮、代々木公園があり、まさに江戸っ子ミツバチがひっきりなしに戻ってきていたし、飛び立ってもいた。

記録によると1999年まで、使われていたというが、その間に、担当を外れたので、その後の、東京都農業祭会場での蜂蜜販売が三島食品工業(株)から、東京都養蜂組合に変わっていたことなど、知る由もなかった。


posted by 大竹道茂 at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報
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