2013年07月04日

恩師の一言「ブルーベリーも果物なんだ」にこだわる、「ブルーベリー栽培発祥の地」の園主・島村速雄さんに話を聞く。



都政新聞の取材に合わせて、NPO法人ミュゼダグリの農家見学会で、小平市花小金井南町のブルーベリー栽培農家島村速雄さんの「島村ブルーベリー園」にお邪魔した。

島村ブルーベリー園と云っても、こちらの看板を見ていただきたい。
小平市にある由緒ある「ブルーベリー栽培発祥の地」の農園なのだ。



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上の写真をクリックする   大国魂神社の参道の欅の孫だそうで、樹齢300年だそうだ。

そもそも、我が国の暖地に適応するラビットアイ ブルーベリーは、1962 年に農林水産省によって導入され、それを譲り受けた故・岩垣駛夫先生(元福島県園芸試験場長)が、1964 年3 月に東京農工大へ着任し、同大の果樹園で生産開発に関する研究を行ったのが始まりだ。

島村さんは、東京農工大学に入学した当時は花き栽培志望だったが、岩垣教授のもとで、ブルーベリーの栽培法を習得した。

卒業後の1968(昭和43)年、岩垣教授から「空いている畑があったら、植えてくれないか」と130本を依頼され、初めてブルーベリーを民間で栽培した農園「島村ブルーベリー園」の開設となる。




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島村さんは、岩垣教授の「ブルーベリーも果物なんだ」という言葉にこだわり、生果のおいしさを追求している。
1979年、岩垣教授と共に訪ねた原産地のジョージア州アトランタでティフ ブルーを口にして驚いた、初めて岩垣先生の「果物なんだ!」の言葉が理解できた。

ポイントは、熟成度で「日本では評判の悪い品種までもが、甘みがたっぷりあった」と・・




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上の写真をクリックする ブルーベリー園は叢生栽培でイネ科の植物のタネがまかれ、すでに枯れていた。これにより、地表の温度や、乾燥を防いでいる。

白い粉がふく「ティフ ブルー」を、小平ではメインに植えているという。

島村さんはアトランタで食べたブルーベリーの味を目標に栽培してきたと云う。
そして、12-13年して初めてその味が出せた。

「男性の手の平の感覚は硬くまだ早い。女性の手の平の感覚は軟らかく丁度いい熟度だ。」と、それは、木に実らせたまま熟成を進める「木成り熟成」の感覚で、木成り熟成では、一粒ずつ熟成度を確かめながら摘み取っているという。

生産者も本物の味を届ける努力をしてこなかった。

生の本物のブルーベリーの味を知って欲しいという思いから、取れたての完熟ブルーベリーは保冷庫に入れて鮮度を維持することも努力している。
市場でも、保冷庫で管理するような努力をしなければいけない。




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新鮮さと見た目の美しさを保つため、木成り熟成させた果実を摘んですぐに冷やし、クール宅急便で届ける。

岩垣教授の教え、果実としてのブルーベリーの地位を確立する為に、「生果として認知していただけるよう努力し続けております。」と胸を張った。

現在75アールの畑は、摘み取り園と、業務用やジャム用の畑とに分かれている。

ジャムの原料となる果実も無農薬栽培に徹し、化学物質無添加、グラニュー糖のみを加え手作りしている。


「岩垣先生の元で働けたのが幸せだった」と、岩垣先生への尊敬の念が、ブルーベリー栽培への情熱となっているようで、学究肌の島村さんにとっては、ブルーベリー栽培の第一人者として、日々研鑽なのかもしれない。

ブルーベリーのことを分かりやすく教えていただいて、島村さんありがとうございました。





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ブラックベリーはジャム用。

こちらには、網がかかっていないのは、鳥が食べに来ないからだという。

上の写真をクリックする
後継者の島村将人さん。

昨年のブルーベリーシーズンに地元JA東京むさしの情報誌、「むさし」に、掲載されている。



posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京の農業と農業者達
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