2013年11月06日

トイレの目隠しに描かれた「東砂3丁目砂村ネギ畑」の絵を見つけた。


江東区立第五砂町小学校(齋藤和子校長)の、砂村一本ネギの栽培は順調で、昨日、定植作業が最近行われたことを紹介した。

8月に同校に伺った時、江東区がまだ城東区時代に東京都農業試験場の東京都特産砂村葱採種場があったことをお話ししたが、

齋藤校長から、採種場が第五砂町小学校の北にある、第七砂町小の近くにあったとお聞きしていた。



1-1キャプチャew.JPG


9月中旬、江東区が実施している「季節の野菜のガーデニング講座」に招かれた時に、第五砂町小学校にご一緒し齋藤校長の話を聞いた東方陽子さんが、東砂3丁目公園にあるトイレの目隠しに砂村葱の絵が描かれているとの情報をくれた。


齋藤校長の話を聞いて、勝手に想像をめぐらした。
東京都の試験地なら、その後は、学校や公園に引き継がれているのではないかと、第七砂町小学校はネギ畑にできたものではないでしょうか?、

この問いに、齋藤校長は「それは違います」と答えられた。




2-1002.jpg

色々と情報が集まって来たので、東砂に足を運んだ。

この辺りには、小さな公園がいくつもあって、初め行った東砂3丁目の小さな公園のトイレには、広重の中川口の絵が描かれていた。

上の写真をクリツクする
都営新宿線東大島駅で下車、今渡ってきた番所橋辺りから見た中川と新川の合流地点の絵だ。

数年前に、中川船番所に来たことがあるので、当ブログで紹介している。

広重の絵にある手前の小名木川は、左右に流れる中川を過ぎると新川となって行徳まで行くことができた。
行徳の塩を江戸に運ぶ、ソルトルートだったが、大正5年に荒川放水路(現荒川)の工事が始まったことから、新川は堰き止められてしまった。



4-1003.jpg

次に行ったのが、城東公園だが、ここにも絵はなかった。

3カ所ほど公園を探したがわからず、仕方なくスマホから、江東区の土木部河川公園課に電話をして、砂村ネギの畑が描かれているトイレを調べてもらったら公園の場所が分かった。

最初に行った中川口の広重の絵が描かれていた公園の近くで、生田神社に隣接する公園だった。

上の写真をクリックする
そこには、「東砂3丁目砂村ネギ畑」の絵が描かれていた。
昭和30年頃の風景だそうだ。

番所橋通りに沿ったあたりにネギ畑があり、昭和40年頃まであったと云う。
高度経済成長期に宅地になってしまったようだ。


第七砂町小学校は昭和33年に創立していて、ネギ畑は昭和40年代まであったから、齋藤校長の云う通りだ。




3-1すか図1.jpg


番所橋通りの東砂3丁目と云うから第七砂町小学校の東側辺りだったようだ。

東京都農林総合研究センター(旧東京都農業試験場)に、その所在地を聞いたが
「東京府立農事試験場の時代に、砂村(砂町)に試験場のブランチ(分場などの研究拠点)が設置された事実はありません。」との答えだった。

区の施設だったのか、個人の施設だったのか、暇なときに調べてみようと思っている。


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