2013年11月15日

荒川区立尾久宮前小学校で里帰りした三河島菜の歴史を伝える。


荒川区立尾久宮前小学校(伊藤英夫校長) の鈴木恵理先生から、昨年同様、江戸東京野菜と三河島菜の話をしてほしいと、メールをもらっていて、日程の調整をつけて伺った。

当日、早めに家を出て駅についたら、小平で人身事故が発生、電車は止まっているという。
下り電車を乗り継いで、立川からはちょうど来た「スーパーあずさ」で新宿に向かい、そこから神田経由で田端へ・・・、予定より早く学校につくことができた。




1-1キャプチャdk.JPG

授業まで、副校長の郡司美恵子先生にお相手をしていただいた。

郡司副校長は今年度着任され初めてお会いしたので、三河島菜の復活以降、伊藤校長と鈴木先生にお世話になっていることなど、尾久宮前小学校が、普及に果たした功績が大きいことなどをお伝えした。

廊下に貼られた、三河島菜への生徒達の思い。上の写真をクリックする。

今年の4年生は、「三河島菜を広めよう!!、」がテーマ。
イメージキャラクターは ”みかちゃん” に決まったようだ。




2-1009.jpg

「総合」の授業は4年1組、担任の志村悠子先生から紹介されてから話に入った。

三河島菜は、江戸の初めの頃から栽培され、漬物と云えば「三河島菜の塩漬」だった。
それが、明治時代に中国から白菜が日本に伝わり、昭和に入って普及されると、東京での三河島菜は絶滅してしまった。

それが、仙台で栽培されていたことがわかった。
タネを取り寄せ、タネ播きを指導した宮寺光政さんが初めて栽培し、そのことが東京新聞で報道されたことで、
鈴木理恵先生が畑に飛んできました。」
「鈴木先生は、荒川区の子どもたちに食べさせたいと飛んできたんです。」

この事を聞いた、生徒たちはびっくりしていた。



3-1002.jpg

上の写真をクリックする
生徒のひとりが質問、「虫に食われた三河島菜は育ちますか!。」

食べられるままにしておかないで、食べている虫を発見したら、すぐ捕るようにしてください。
生育は遅れますが、育ちます。
新しく出てくる葉を虫に食べられないように、注意していてください。

9月27日に、宮寺さんが種まきの指導に来ているが、その後、間引きしたものを茹でで食べたことは、当ブログで紹介している。




5-1img218.jpg


郡司副校長が委員を務める、荒川区道徳資料作成委員会では、平成24年度荒川区道徳教育郷土資料集を、25年3月に発行している。

上の写真をクリックする
資料集には、第六学年「校章に込められた想い」郷土愛として、
峡田地区の小学校の校章が三河島菜だったという話。

因みに、資料集には、改良種の白茎三河島菜の細密画が掲載され、
「荒川区の峡田地区やその他の周辺地域でも、この伝統と歴史を大切にしようと、三河島菜を復活させようとする動きがある。よみがえる三河島菜に、再び多くの注目が集まりつつある。」とあるが、

江戸の頃からの品種は、今栽培している復活した青茎三河島菜だから、授業ではその説明は必要になるだろう。

この件については、2011年3日に、当ブログで私なりに検証している。



4-1キャプチャdku.JPG


帰りがけに、伊藤校長がお持ちくださいと、三河島菜の普及用タネを戴いた。
地元のお年寄りなどが大勢栽培したいと、取に来たと云う。


追録



6-1013.jpg

職員室で、校長先生と話をしているところに、4年生の代表が迎えに来てくれ、
給食をご馳走してくれるというので、教室まで案内してもらった。

くるみご飯、小魚入(しらす干し)りサラダ、サムゲタン、牛乳。そして、特別にお茶を入れていただいた。

くるみご飯、くるみの食感、インゲン豆とニンジン、ヒジキの彩、美味しくいただいた。

招かれた4年1組は、完食の日々が4月より継続しているそうだが、お代わりが欲しくても完食した場合は、2階の1年、2年、3年生のクラスを回って、各担任の先生に了解を取って、残っているオカズをいただいてくるという。
今回も、1年生のクラスに出掛けていく生徒がいたが、合理的で、同校では、ほとんど残渣は出ないという。


posted by 大竹道茂 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 里帰りした三河島菜
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/80613689

この記事へのトラックバック