「第4回 江戸ソバリエ・レディースセミナー」、江戸蕎麦料理「秋の章」が、江戸ソバリエ協会主催、江戸蕎麦料理研究会協力により、湯島の古拙で開催された。
昨年の12月、第1回が南大塚の小倉庵で開催されてから、春の章、夏の章を経て、今回は秋の章。
これまで、ほしひかる先生(江戸ソバリエ協会 副理事長&江戸ソバリエ認定委員長) から、どんな江戸東京野菜が今栽培しているかを聞かれて、林先生とその内の何を使うかを相談して決めていた。

写真、左から、三上卓治会長、松本一夫氏( 江戸ソバリエ・ルシック)、、寺西恭子先生( 江戸ソバリエ認定講座講師 )、林幸子先生、ほし先生。
上の写真をクリツクする
会場の「古拙」には、御茶ノ水で下車して、神田川に架かる聖橋を渡り、湯島聖堂前、本郷通り、蔵前橋通りを越えて三組坂上を右に入ったところに、江戸屋があった。
間違えて、江戸屋のフロントに行ったら、外人観光客がいっぱい。
入口を間違ってしまったのだ。
「古拙」という店はかつて東銀座に在り、現在は人形町に在るミシュランガイドにも掲載されている「仁行」のオーナー石井仁さんが開いていた店。
こちら湯島の「古拙」では、石井氏の弟が石井流直伝のそばを食べさせると云う。

参加者が楽しみにしている御献立は、ほし先生の奥様が揮毫。
今回の、江戸東京野菜は、「三河島菜」と、「滝野川牛蒡」
三河島菜については、江戸の初めの頃から江戸市民に好まれ漬物と云えば塩漬けの三河島菜だった。
「彼と彼女と掛けて何と説く、三河島菜と説く、心は、イイ菜漬け(いいなずけ・許婚)。」
古い掛ことばを紹介したが、皆さんに笑っていただいた。
いまどき、「親が決めた許婚」等は、自由婚の時代では、死語になった言葉だが、ご存じの年代の方たちだった。
三河島菜は、荒川区の都市化と関東大震災などにより栽培する農地はなくなり、絶滅したと云われていた野菜。
それが、仙台で発見されたことなどを説明した。この事は当ブログでも紹介している。
滝野川牛蒡は、元禄年間に鈴木源吾が作り出したもので、全国に普及している牛蒡の多くが滝野川系と云われている。
滝野川牛蒡の香りの良さを味わっていただいた。

まず、古拙のお料理がでた。
だし巻玉子、カマスの若狭焼、うるめ鰯、エイ鰭、ナスの煮浸しと、小松菜のお浸し。

三河島菜
ほし先生がなずけた名前、バルメザンチーズが蕩けるところを「トトロ」と表現している。
牡蠣を蕎麦かきで包んで、さらに三河島菜の大きな葉を生かして包んだ。
クセの無い、三河島菜本来の味を楽しんでいただいた。
パルメザンチーズと、蕎麦かきの愛称も良かった。
かき揚げを揚げるときの音が「ジュジュ」と、ほし先生。
三河島菜の茎と、干しエビのかき揚げ
三河島菜の茎をかき揚げにしたがシャキシャキした、食感を楽しめた。

江戸ソバリエのみなさん、お料理を楽しみ、また近況を語り合い・・・、

滝野川牛蒡
滝野川牛蒡の香りのよい上半分をミキサーにかけて、そば汁を少し、どろどろしていて、そば汁と云うより、蕎麦タレ。
タレは、蕎麦猪口の底にわずかだが、そばに絡めていただいた。
牛蒡の香りも良く、滝野川ゴボウ本来の味が強調されていて美味しくいただいた。
そして、もう一枚は、そば汁で・・・。
自己紹介になって、皆さんの江戸蕎麦に対する思いを伺ったが、江戸ソバリエの海緑風さんは、前回「夏の章」に初めて出席されて、江戸東京野菜に興味をを持っていただいた。今回も楽しみにしていただいたようだ。
また、初めて来られた方も、レディースセミナーで、林先生の江戸東京野菜が食べられるというので、ようやく時間が取れたので楽しみにして来たと。

滝野川牛蒡
滝野川牛蒡の、下半分を笹ガキにして・・・

これまで、4回連続で参加された、木村啓華さんと青木房子さんに皆勤賞が授与された。皆勤賞は、「蕎麦猪口」
陶芸家・池上喜久子さんの作品で、童話的てメルヘンチックな池上さんの作風が現れた逸品。
お二人は、皆さんにお見せしていたが、一日休んでしまった方は、無理にでも参加すればよかったと、残念がっていた。