2007年01月01日

1980年9月5日、「明るい農村」「東京農業と都民の暮らし」が放送された。


「東京農業と都民の暮らし」の完成試写会が、丸の内の全国農協中央会の会議室で開催されたあと、NHKから電話があった。

この映画について番組で取り上げたいので、担当者を出してくれと云う。
当時、テレビで都市農業について話すとなると、加藤源蔵会長が出演していたので、会長に伝えると、「若い人が出ないとだめだ、君が出ろ!」、と指名された。
営農農政課長(36歳)として、映画作りにも関わっていたので、映画制作事務局と云う立場で出演した。



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当時、朝の番組として「明るい農村」は視聴率の高い番組だったので、農業にかかわる一人としては、すごい番組に出ることになったと緊張したものだ。

NHKの政治討論会などに加藤会長が出演するときは、鞄持ちでNHKには出入りをしていたので、様子はわかっていた。 
人気のキャスター西田珠美さんのリードもあり、9分と長かったが落ち着いて話すことが出来た。





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この様子が、放映されたことから、大きな反響を呼び、「どこへ行ったら映画を見ることが出来るのか」との電話が事務所に集中した。



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昭和54年、農協組織と農業委員会組織で作る東京都都市農政推進協議会では、都市農業の現状を、多くの都民に知ってもらうには「見ることが一番」、それには東京の各区市町村で生産される農産物の栽培実態を映画にして見てもらうことがいいと、

上の画像をクリックする
当時の東京都都市農政推進協議会・宇田川嘉一郎会長(都農業会議会長)の強い意向で制作が決定した。

製作は、全国農村映画協会で7月から撮影が始まった。
農作物は1年を通して何かしら栽培・収穫されているわけで、東京農業の実態からして、大産地ではないが、少量他品目生産が特色なだけに、特異な栽培形態が撮影された。

撮影したフィルムは16ミリで、8,600フィートで4時間分にもなり、これを、誰が見ても飽きない30分に編集し、中央会農政担当として加わり、画面を見ながらのナレーヨン原稿に加筆、修正を行った。

それだけに2日間を要したが、完成にこぎつけ、昭和55年8月27日、大手町農協ビルの大会議室に消費者団体やマスコミなど150名を招き盛大に、完成試写会が開かれた。


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