2014年05月28日

初めての「中川そらまめ祭り」、次代に繋げる活動は盛会だった。


「中川そらまめ祭り」が開催されることは、当ブログでも紹介した。

東京新聞の加藤行平氏から取材を受けたが、「江戸 ”中川そらまめ” 復活を」「塩ゆでを食べて歴史再発見」と6段抜きでイベントの内容が掲載されたこともあって、大勢の人が集まった。

初日の24日(土)には、先約があって行けなかったが、講演を依頼された25日(日)は、2時間前に会場に着いた。

江東区は、明治末期から大正期には広い土地と水運を利用して首都東京に隣接した工場地帯として発展した。
現在は、高層の住宅化が進み、新住民が増加の中で新たな歴史が生まれつつある。



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25日、14時から始まった記念講演は、中川船番所資料館・久染健夫次長のご挨拶で始まった。

上の画像をクリックする
「江戸の野菜と近郊農業」について・・・、
小名木川と中川の舟運による農産物流通、江戸の先進的農業地帯・砂村の農業、促成栽培は、小名木川のおかげで日本橋の魚河岸から排出される魚のあらが、促成栽培に使われた・・・。

練馬大根を例に地方に持っていかれた伝統の野菜、そして生まれた地域の食文化。中川そら豆がどのようにして房総の地に伝わったのかは、今後、皆さんの研究に期待したい。

江東区亀戸の亀戸大根と福分け祭り
同区砂町の砂村一本ネギ、そして第五砂町小学校の種を引きつぐ儀式を紹介。
中川上流の本田うりの発見と、隅田川流域の荒川区で栽培された三河島菜など、
江東区と周辺地域の伝統野菜について1時間半にわたってお話しさせてもらった。

会場には、たまたま品川神社で「品川ネギとカブ」の農業説明板を読んだ方が、そのことを披露してくれた。

会場には、第五砂町小学校の銭元先生が自転車で聞きに来てくれていた。

講演終了後の帰りには、皆さんに江戸東京野菜の鳴子うり、寺島なす、三河島枝豆など、西東京市の矢ヶ崎宏行さんの苗が配布された。



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中川そら豆と中川ふじ豆については、十分な資料は持ち合わせていなかったが、これまで各地で行われた伝統野菜の復活についての事例を紹介した。

特に「中川そら豆」の今後の復活普及に参考になればと・・・・
私の資料としては「とうきょう自治のかけはし」を配布してもらった。各地の取り組みを紹介しているからだ。

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そして、主催者からは「中川そら豆・試験栽培!!」が配布された。

江東区教育委員会の小宮次夫先生が「中川そら豆」について研究されていて、今年1月から始まった「旧中川花畑くらぶ」の皆さんたちの復活の取り組み経過が掲載されている資料だった。

今後、中川そら豆を「江戸東京野菜」に加えることをご検討いただきたいが、

それには、東京の農家が2軒以上栽培することが必要で、種の提供など主催者のお一人、NPO法人本所深川の吉田雅子事務局長に、よくお願いした。

小宮先生にはお会いできなかったが、新たな出会いがあった。
公益財団法人江東区文化コミュニティー財団で中川船番所資料館、深川江戸資料館、芭蕉記念館の管理事務所長の田中好次氏と、旧中川まちづくり協議会の遠藤哲美副会長にも、挨拶させていただいた。

尚 中川船番所資料館での講演は、「農」のある暮らしづくりアドバイザーとして、都市農地センターから派遣された。




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お祭りの核になっている中川船番所資料館が両日無料開放となっていたことから地域の方々が展示物の観覧にやってきていた。

上の画像をクリックする
前にも伺っているが、館内は写真撮影禁止かと思っていたら、2階の中川番所の再現(ジオラマ)は撮影可能ということだった。会場では、番所の役人と船頭のやり取りが放送されている。




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上の写真をクリックする
祭りの様子は、産経新聞にも取り上げられたが、楽しいイベントが盛りだくさんだった。

会場では、JA東京スマイルの葛飾元気野菜も販売され、行列ができていた。



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「中川そら豆」の塩ゆでを皆さんに配った写真を吉田事務局長にお願いしたら、江東区「新六ノ橋町会」役員の南さんが送ってくれた。

「江戸時代には、塩ゆでにしたそら豆をつまみながら相撲観戦するのが江戸っ子の楽しみだった。」と伝えられているというから、物語は当時を彷彿とさせてくれて申し分なく・・・・、

塩ゆでには、行列ができ、皆さん笑顔で、美味しくいただいたようだ。



追録



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せっかくここまで来たので、会場の対岸(江戸川区)に行ってみた。

前にもきたことがあるが、かつて小名木川は、ここから新川につながっていて江戸川に出て、行徳の塩田地帯まで遡っていた。

その水路が、荒川放水路(現荒川) の開削によって塞がれてしまった。

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昨年の11月に、荒川東岸の新川の様子を見に行ったが、火の見櫓が建っていて、写真に収めてきたが、西岸からその場所を確かめ、あそこに新川が繋がっていたんだと確認することができた。




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荒川で切断された旧中川は、中川口の下流で荒川に再び合流するが、水位に高低差があることから、船の往来には、ロックゲート使われる。
スエズやパナマ運河と同じような構造で、水のエレベーターといわれている。



posted by 大竹道茂 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 食育・食農・講演会等
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