2025年06月19日

今日も猛暑が農産物に影響する現状を、カラフル野菜の小山三佐男さんがTVで説明していた。


立川市の西砂でカラフル野菜を栽培している小山三佐男さんは
今や消費者に一番顔を知られている農家と云っていい。
2023年7月に国連のグテーレス事務総長が、これからは温暖化の
時代から、沸騰の時代になったと、宣言したが、以来夏の猛暑は
地球規模で、小山さんがテレビ局の依頼で気候変動の影響で痛んだ
野菜に解説を付けて紹介している。

日テレZIP!、news every. News zero 情報ライブミヤネヤ、
フジテレビ live news イット、TBSテレビTHE TIME, 
テレビ朝日羽鳥慎一モーニングショー、等
小山さんの話は分かりやすいからテレビ各社が競って、西砂もうでだ。


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小山さんの畑は、在日アメリカ空軍の横田基地の隣にある調整地域の
農地でカラフル野菜を栽培していて、横田ファーマーズマーケット
には毎月呼ばれていて収穫した野菜を販売している。

ダイコン、ビーツ、ミズナ、ケール、カブを円で販売している。

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2025年05月29日

畑で栽培するお米の「平山陸稲」の出前授業の準備が出来たと写真が掲載された。


コメ価格高騰で、政府備蓄米を随意契約により放出してコメ価格を
5キロ2000円にするとのニュースが駆け回っている。

日野市で農業を営む小林和男さんは日野市の江戸東京歴史伝承作物
として認証されている平山陸稲を、地元小学校等に普及している。
長年JA東京みなみの代表理事組合長(3期)として、地域農業の振興に
勤められているが、ライフワークとしての食育活動も続けておられる。

先日、苗代が出来たと、Facebookに掲載していたので、
久々に電話でお話を伺った。



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上の画像をタップする。

小林さんが中心となって地元の平山陸稲を探していたら、ジーンバンク
(農業生物資源研究センター)に保存されていることが分かり、1997年頃
取り寄せて地元平山小学校の授業で復活栽培を行い、
今日に至っている。
本会監事の水口均さんが課長の頃、探すのを相談されたと云う。

稲は熱帯に位置する南アジアの湿地帯が原産で、夏の暑い盛り乾燥する
畑では、病気にかかりやすかったりで栽培は難しかった。

明治44年に南多摩郡七生村平山の林丈太郎が作り出した平山は味が良く
乾燥や病気にも強いことから、水の引けない地域用に東京の奨励品種に
なり、他県でも栽培されるようになった。


2023年の夏から猛暑が顕著となり、温暖の時代から沸騰の時代になった
今日、栽培上の変化はあったのかを小林さんに聞いてみた。
「稲は熱帯が原産地だから、問題はない、日照りにも強く、畑が
乾燥したからと云って散水することはなく、収穫することが
できている。」という。

畑にじかに撒いても良いが、子どもたちが植えるのに、苗にした方が
植えやすく、植える場合は、草が生えないようにマルチを敷いて、
雑草対策もしていると云う。
小林さんは、次代に伝えるために、種採りの栽培をしている。


追録
小林さんは日野産大豆プロジェクトで「納豆」を作って
食べたことは紹介した。
どうせ作るならと地元で作られていた「平山大豆」を探していたが、
すでに無くなっていた。

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2025年04月01日

東京のセルリーの収穫作業が始まった清瀬市の並木猛さんのハウスに伺った。


気象衛星ひまわりの電波を受信する白いドームが近くに見える
セルリーのハウスは東京では第一人者の並木猛さんのハウス
(新小金井街道添い)に、30日に伺った。
前回並木さんのハウスに行ったのは1月で、住宅街の中にあるハウスでは支援者の協力のもと定植作業をしていた。

その後、順調に生育して、この度の収穫を迎えることになりました。
毎年、3月末から4月上旬を収穫期として、7000株の
セルリーを出荷している。




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3月29日には大田市場に出荷し、他産地のセルリーの品質や、
市場取扱者の声を聴くなどをしてきている。
今年収穫したセルリーを見る限り2L、Lクラスが出来ている。

定植時もそうだったが、収穫時も6〜7人の協力者によって、
収穫からビニール袋入れ、計量して2L、L、Mに分類して、
ダンボール箱に入れるなどの作業工程がある。

協力者の中には、増田純代さん(4期)、清瀬市役所の
保原樹さん(12期)が、いるが、並木さんの取り組みは
学ぶことが多く、渡邉和嘉理事を始め、松嶋あおい理事、
若林牧子理事、木村えり子さん(2期)は、視察に来ている。

森川洋一さん(8期)もセルリーが好きで、
浦和から新鮮なセルリーを購入しに来ている。
勿論、果菜里屋にも入荷したと言う。



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2025年02月12日

30年も前にお会いした鉢花栽培の高橋さんに再会した。


江戸東京野菜コンシェルジュ協会の渡邊さんと雑談をしていたら、
JA東京あおば大泉新鮮直売組合の30周年記念パーティーの席で、
地元大泉で鉢花栽培をしている高橋勉さんから、
大竹さんは今どうしていると聞かれたと云う。

高橋さんの名前を云われて、直ぐに思い出せなかったが、大泉地区で、
若い農業後継者として活躍していた高橋さんは、直ぐに思い出した。



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高橋さんが、私の名前を出したと云うので、私も会いたくなったが、
東京女子学院に行った帰りに、栽培したパンジーなどを、JAの直売所に
納品に行っていると云うので、渡邉さんの車でJAあおば石神井支店に
行ってみたら、お会いすることができた。

30年ぶりの再会だったが、お互いにすぐわかった。




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2025年01月09日

カラフル野菜の小山さんは、知り合いのシェフからの依頼で、この季節も忙しくしている。


暮れから40日振りにたっぷりの雨が降った。
西砂三丁目のカラフル農園の横を通ったら小山三佐男さんが
収穫作業中だった。
この季節は、葉物野菜中心で、横田基地に近い調整区域の畑では、
カラフルなレタス類が栽培されていると云う。

この畑では、キャベツやカリフラワーを栽培している。



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サボイキャベツを収穫していた。
フランスのサボイ地方のキャベツで、縮れが特徴で
料理に行かされる。
フランスは勿論、イタリアを含めヨーロッパでよく
食されている野菜です。

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日本で食べているキャベツよりも小ぶりで、肉厚でちりめん状に
縮れた葉をしています。




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2025年01月06日

東京の代表的セルリー農家、清瀬市の並木猛さんのハウスで定植が行われた。


清瀬の並木猛さんから電話を頂いた。
7日、8日に、セルリーの定植をすると云うので、伺うことにした。

これまで、収穫以外でも取材しているが、定植については
見たことがないので行くことにした。

並木さんの畑は、知っているのは3か所で、一か所は
自宅裏のハウスと、バイパスの近くにある2棟の大きなハウス、
そして住宅街にある3棟のハウスだが、どのハウスか伺うと、
清瀬駅に着いたら電話をすれば迎えに行くと云うので、
駅のロータリーで待ち合わせをした。



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毎年、7000株程を栽培しいるが、住宅街のハウスでは、
手前のハウスが1000株、奥の2棟で1000株を栽培している。

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自宅裏のハウスから、トレーに入ったポットをトラックで運んできて、
お手伝いの、男性4人、女性2人が、まず手際よく、
定植場所に置いていく。




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2024年09月11日

田中ブドウ園の田中さんが、オリジナルロゴを印刷した贈答用の箱を作ったと云う


練馬区大泉の田中聖晃さんには、昨年から滝野川長カブの栽培を
お願いしているが、今年も8月の中旬にお願いに伺った。

田中さんは、野菜としては大根、キャベツ、枝豆の栽培の他、
この季節では種なしブドウの高尾の栽培をしている。

田中さんも猛暑が続く中で、枝豆に実が入らないなどと、
苦労をされていたが、大根にしても秋冬産キャベツにしても、
播種の時期が9月の中でも下旬に変わろうとしている。

田中さんが、ブドウ栽培をきっかけに、進物用の箱を作り、
オリジナルロゴを作って、ポイントにしたとは、知らなかった。



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上の画像をタップする。
〜独自ロゴ使い都市農業をPR〜
9月10日の日本農業新聞の首都圏版に掲載されていた。
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2024年08月28日

カラフル野菜の小山農園で内藤カボチャの様子を見てきた。


カラフル野菜の小山三佐男さんに、6月以来電話をしてみたら、
内藤カボチャと寺島ナスを栽培しているという。

民報テレビ数社からの取材で、猛暑の影響で被害にあっていると
出演していたのてせ、伺うのを控えていた。

カラフル野菜を納品しているレストランなどでも、江戸東京野菜を
認知している店も開拓していて、内藤カボチャに寺島ナス、
馬込三寸ニンジンなどを出荷している。



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教えてもらった畑に自転車で行ってみた。
蔓を踏んではいけないので、周りから覗いてみたら実を付けていた。

地這いで栽培しているので雨がたまって、葉が泥水をかぶった
形跡があるが、実は汚れていないのでその後に実を付けたようだ。

上の画像をタップする
これから花を開く雌花があって、周辺では雄花が沢山咲いていた。



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2024年05月17日

青梅の木材運搬から始まった筏文化が、日向を梅の里に育て上げた。


青梅の作物として伝承されている沢井柚子の様子を見に行ったが、
澤乃井の食事処「豆らく」で食事をした時に、
大先輩の福島和夫さんにお話を伺った。
かつて、青梅の沢井を含む三田領では
三田の梅」が有名だったと云う。

青梅の金剛寺にある梅樹は平将門が挿したもので、その実が常に青く
落ちることが無かったから、とか「大梅」が転訛したものと
「新編武蔵風土記」にあり、記録には室町の頃から、
武州多摩郡青梅村が掲載されていると云う。

梅は日向和田で下車して多摩川を渡ったあたりが青梅市梅郷で、
吉野梅郷梅の公園があり、梅郷地区は「親木の梅」「宝珠梅」
「岩割りの梅」等の銘木があった。

しかし、2009年に青梅市内で「ウメ輪紋ウイルス」が発見され、
市内全域で約4万本もの梅樹等が伐採されたが、10数年を経過し、
今は感染割合が大きく低下したことから復活が始まっている。



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食後に、近くに古木があるからと、福島さんに
案内して頂いたのが福島家住宅。

上の画像をタップする

福島家は、江戸初期から多摩郡沢井村下分の名主を代々務めた
お宅で、江戸中期から幕末にかけては三田領42ケ村筏師組合の
惣代に就任して地域社会のリーダーの立場を確立した。

福島さんのお祖父さんも、筏師をされていた。

江戸は火災が多く、青梅の山の木材の需要が多く、三田領から
木材として筏に組んで多摩川を六郷まで運んだ。



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2024年04月30日

気候も良くなったので、自宅近くのカラフル野菜小山農園に行ってきた。


久しぶりに地元でカラフル野菜を栽培している小山三佐男さんに
電話をすると、納品のためにレストラン周りをしていると云う。
10時過ぎには戻るが、立川市総合リサイクルセンターの前にある、
調整区域のジャガイモ畑で作業をしていると云うので、
自転車で行ってみた。



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作業中に、こちらに向かってきたので、声をかけた。

上の画像をタップする。
カラフル野菜のジャガイモは、黄色いインカノメザメ、
紫のシャドークイーン、ピンクのノウザンルビーと、
3種植えていると云う。


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2024年04月19日

江戸城濠大根の採種用カブに花が咲いたと、栽培している渡邊和嘉さんが写真を送ってくれた。


江戸城濠大根の採種用カブに花が咲いたと、栽培している渡邊和嘉さんから写真添付のメールを頂いた。
江戸城濠大根の花が咲いたと云う事は、今皇居の土塁は
真っ白な花が咲いているはずだ。

皇居の周りのマラソンコースは、時計回りの反対で、左回りだから、
半蔵門から桜田門の間は、下り坂で江戸城濠大根を
見ながら走れるコースだ。



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採種された種は、9月になったら播種をして、11月から12月にかけて、
食のイベントで皆さんに食べて頂こうと考えている。

昨年、日本テロワール協会の小堀夏佳代表に話し、栽培している
ことも話したら、食べたいというので、食べていただいた。

昨年は栽培量が少なかったので実現しなかったが、小堀代表から
提案された日比谷公園内の松本楼で食べる会が
実現するように考えている。
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2024年04月09日

沢井柚子の栽培地を、福島和夫さんに案内してもらった。


沢井柚子の里を訪ねたことは、先日紹介したが、柚子の歴史に
詳しい福島和夫さんにお会いすることが出来た。

福島さんに送って頂いた資料に
ふるさとの産物 “沢井の柚子”」がある。

江戸時代からあったことは「新編武蔵風土記稿」に記されているから、
古くからあることはわかったが、近年の話としては
「古老は『昔は、青梅線の沢井駅周辺には柚子の木が沢山あつたが、
戦後の食糧難の時代、まず、生きるために食い物を作らなければ
ならなかったので、土手や山際にあった木を除いて皆伐られて
しんまった』と話す。」とある。



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柚子部会の市川健一前部会長のお宅のゆずの古木、

上の画像をタップする
消費者に説明する市川さんは昨年亡くなられた。
市川家の屋敷周りの古木、グーグルマップで見ると黄丸が古木


福島さんの話では、昭和55年(1980)頃から「耕し育てる日」を
提唱して来ました。
「日本の柚子裁培発祥の地」といわれる京都「水尾の柚子」を、
新井藤作組合長を団長に昭和62年(1987)10月に視察を行った。



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2024年04月08日

セルリーの収穫作業をしていた並木猛さんは13日間の作業を終えると云う。


並木猛さんのセルリー収穫は、3月27日から新小金井街道沿いハウスで
実施していた、その後清瀬市立清瀬第十小学校近くのハウスに移って
収穫作業を行っていたが、8日最終日となった。



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上の画像をタップする
お手伝いをされている増田純代さんから、先日、若林牧子さん、
松嶋あおいさんと木村えり子さが、またきてくれました♪
と写真添付のメールを頂いていた。

皆さん、二度目で前のセルリーを食べきったようだ。


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2024年03月30日

清瀬市の並木農園でセルリーの収穫が始まった。


先日、並木猛さんのハウスに、セルリーの様子を見に行ったことは、
報告した。
旨そうなセルリーが並んでいたが、生産者としては毎年、気になることがあるようで、そんな話をするときは厳しい顔で話される。

28日の朝方、電話をして収穫はいつ頃か聞くと27日に試しに
収穫したが、いけそうなので、27日から収穫を始めているという。
29日に伺う予定でいたが、28日の午後から伺った。




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昼過ぎ、清瀬の駅に降り立ったが、すれ違った主婦がビニール袋に
入ったセルリーを持っていた。
電車に乗って並木さんのハウスに買いにきたようだった。

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昼頃だったので、食事に自宅に戻ったのがハウスには誰もいなかった。
収穫して三日目だから、手前のハウス4棟は3分の1になっていた。
電話をすると、今迎えに行くと来てくれた。



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2024年03月15日

清瀬市の保原さんに、セルリー栽培の第一人者並木猛さんのハウスに案内頂いた。


清瀬市でセルリー栽培をしている並木猛さんから電話をもらっていた。
並木さんは、10日に清瀬市郷土博物館で、市役所の保原樹さんたちが、江戸東京野菜の勉強会をやることは知っていた。
収穫を間近に控えて忙しいので行かれないが、時間があったら
寄ってください、との電話だった。




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清瀬市郷土博物館での講演が終わった後、保原さんは、14時から始まる
下清戸の道東緑地での落ち葉集めに出かけると聞いているが、
その前に並木さんのハウスへ連れて行ってくれた。

並木さんの話では、3月29日頃に、様子を見て収穫すると伺った。

上の画像をタップする
見た目には、例年通りの生育状況に見えたが、並木さん的には、一時
2月に暖かくなった後、寒い時期が続いたことはこれまで無かった。



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2024年02月24日

あきる野市のブドウ園「ヴィンヤード多摩」に高野さんが案内してくれた。


先日、八王子市上川の麦畑で、麦踏を行ったことは報告した。

車がないことから、高野重春さんが五日市線の武蔵増戸駅まで、
迎えに来てくれていて、駅の近くに「ゆっくり農縁」がある
石川敏之さんもいて、久しぶりの再会だった。





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石川さんの畑の先にワインを作っているブドウ園があると云う。
「ゆっくり農縁」の辺りには、キッコーゴの近藤醤油や、
ミツバチファームがあったりで知ってるつもりだったが・・・

「ゆっくり農縁」の東、栗の木の先が、ブドウ園だった。



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2023年11月28日

冬野菜の収穫体験が、駅までの途中にあるは村田農園の畑で行われていた。


先日、「初めての江戸東京野菜講座」に向かおうと、自宅を出て
新興住宅地近くの畑で、毎年、春と秋に実施している地域住民向けの、
収穫体験をしている村田健一郎さんが希望住民の対応をしていた。

村田農園の園主は村田訓男氏で、今年度からJA東京みどりの
代表理事組合長になられたことから、農業イベントの多い季節、
東京味わいフェスタ2023」でも、我々のブースを訪ねてくれていて、
お忙しいようで、健一郎さんが頑張っておられた。




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大きいキャベツがあったので聞くと、サカタが販売している大玉
キャベツで、札幌大玉キャベツの遺伝子を組み込んでいる
とかで、人寄せのキャベツとして栽培しているのかと思ったら、
巨大キャベツ400円とあり、幾つか売れていた。

上の画像をタップする。
10時過ぎに通りかがったが、すでに地域の人たちが収穫を
楽しんでいた。




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2023年11月07日

セルリーのスプラウト、セリ科だけにセルリーの味わいが美味しい


清瀬市でセルリーを栽培している並木猛さんが、この季節、
1週間間隔で、何度にも分けてセルリーの種を蒔いている。

先日、麻布台ヒルズのヒルズハウスに行った時に、山口拓哉総料理長に、セルリーのスプラウトを使ってみて欲しいと渡していたが、
私も頂いた。


アブラナ科の双葉とは違って、セリ科のセルリーは切れ込みがある
口に含むとセルリーの香りが美味しい。



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並木さんは、師匠の伊藤二太郎さんから受け継いだ種、固定種の
コーネル種の採種を行って毎年播いている
セロリには、スプラウト用のスプラウトセロリの品種はあるようだが、
並木さんは、余分に蒔いたものを試験的にスプラウトとして、
提供したもの



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2023年11月05日

11月だというのに、赤いトウモロコシ「大和ルージュ」が受粉の最中だった。


3日のテレビ朝日・報道テーションが、連休初日も記録的暑さの夏日、
農産物への影響が出ていると報道していたが、青空をバックに、
カラフル野菜の小山三佐男さんが写っていた。

小山さんは、先日麻布台ヒルズの“ヒルズハウス" に行って、
シェフの皆さんにカラフル野菜をアピールしていた。

畑の様子は、7月に紹介しているが、苦労をしていたから、
苦労話かと思っていたら、この暑さを利用して、トウモロコシが
収穫に向けて育っていた。





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このトウモロコシは、赤いトウモロコシの「大和ルージュ」
奈良県の種苗会社が育成したもの、

都市農家の中でも、種が高いから栽培している生産者は少ない。
小山さんは、露地でカラフル野菜を栽培していて、
夏は白いトウモロコシとセット販売を試みた。

上の画像をタップする
翌日、早速伺った。
夏は背丈が高かったが、普通の背丈で、
受粉した大和ルージュは、粒が太りつつあった。

この時期、大和ルージュの栽培を思い立った動機を聞いた。

彼岸過ぎになっても猛暑が続いていたし、
仮に寒くなってもトウモロコシを覆う皮が厚いので持つだろう、
根の張りが強いので、寒さにも耐えられると思った等で、

白いトウモロコシは無理かもしれないが、暖冬ならルージュは
できると思って、8月25日に種をまいた
」という。

この気候なら白いトウモロコシも出来たろう。




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2023年08月05日

西砂の農家の作業場2階にある民具資料を見せて頂いてきた。


パソコンに保存している、新聞の切り抜きリストを見ていたら、
「多摩の民族文化後世に」〜倉庫を資料館に民具・農機具展示〜、
〜350年続く立川の農家〜のサブタイトル、が出てきた。

新聞名も日付も分からないが、自宅で取っていた読売新聞の
多摩版だったと思う。
西砂民具館とあり館主の宮ア光一(みついち)さんが写っていた。

我が家からも近いところだから、行こうと思って
切り抜いていたと思うが、忘れていた。

気になって初めて宮アさんに電話をすると、奥さんが出た。
新聞のことを話したら、光一さんは4年前に亡くなられていた。

新聞に掲載された当時は、大勢の方が見えた。
その後、地元の西砂小や七中の生徒が毎年来ていたから、
光一さんが説明をされていたようだ。

亡くなられた後、そのままにしてあると云うので、
見せてもらえないかとお願いすると、掃除もしていないからと、
躊躇されていたが、10分で行きますと、押しかけた。





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お住まいは近かった、2021年に伺った養鶏の伊藤彰さんと同じ
五日市街道沿いのお宅で、街道の北側で蔵のある家と
聞いていたのですぐわかったが、民具館の表示はない。

現在は、光一さんの長男栄喜さん(13代)の代で、JA東京植木の
副組合長をされていて、地元のJA東京みどりの組合員でもある。

JA東京植木は、庭園樹等の生産者が組織する農業協同組合で
小金井市貫井南町にある。
栄喜さんは、西砂民具館のことは分らないから、見てください
とのことで、お母さんの米子さんが案内してくれた。


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