2020年09月26日

砂村節成キュウリを日野市の直売所で購入したと、押上「よしかつ」の佐藤さんからメールを頂いた。


9月17日、押上「よしかつ」の店主佐藤勝彦さんからメールを頂いた。
「本日、日野市の直売所にて砂村節成胡瓜が販売されていました。
小池則行さん栽培とありますが、
ご存知の事あれば教えて頂けますでしょうか?

ちなみに大きさは5寸程で白イボ、
半白と緑が交雑したような色合です。」とあった。

小池さんは知らないが、袋には「日野万願寺直売所」とあるから、
JA東京みなみの日野市内の生産農家である事は確かだ。
ただ、生産者が砂村節成胡瓜と明確に書いているとなると、
どのようなことなのか、

砂村周辺の江戸川区の農家ならわかるが、
遠く離れた日野市となると、ルーツはわからなくなる。





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そんなことを考えていたら、日が経ってしまい、
慌てて日野万願寺直売所に電話をした。
所長に代わってもらったが、河野さんだという。
もしかしたら現役の時にお世話になった河野一法さんかと、
お聞きするとそうだった。

そうなると話は早い、事情を話して、
小池さんの了解を取ってもらったので自宅に伺った。

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小雨が降っていたが、砂村節成キュウリの畑に案内してくれた。
既に枯れていたが、商品にならないものが生っていた。

今年は、5月27日にセルに播種して、68本を畑に定植した。
8月4日から出荷が始まり、9月20日頃まで直売所に出したという。
佐藤さんが購入したのは最後の頃だったようだ。



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2020年09月07日

東京の酪農家の中でも23区内では1軒の小泉牧場の三代目小泉勝さんを訪ねた。


東京の酪農は、明治の初期がピークで、
東京都心にはたくさんの牧場があった。

小泉牧場は、岩手県小泉町出身の小泉藤八氏が昭和10年に開設した。
練馬区の酪農家としては、昭和18年に渡辺徳右衛門さん(当研究会の渡邉和嘉さんのお祖父さん)の子牛の誕生記念の写真が残っている。

東京23区では、昭和57年東大泉の関口牧場が、
昭和60年に世田谷区赤堤の四谷軒牧場が幕を閉じたことで、
現在、23区内に残る牧場は、小泉牧場だけになってしまった。

小泉さんには、2013年に伺って、話を聞いたことがあるが、
その後ご無沙汰していた。

現在は、2代目与七さんと、3代目の勝さんに、研修生2人の4人で
搾乳をしている。






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伺った時、小泉さんは作業着のつなぎを脱いで休息中だったが、
話を聞かせてもらった。
現在、乳牛が50頭で、内搾乳しているのが35頭で、
夏場は暑くて550キロリットル(冬場で800`レベル)。

東京都酪農業協同組合(都酪農)の車が回ってきて、
秋川にある協同乳業の東京工場に持っていく。
協同乳業は名糖ブランドでも、販売しているが、
東京の酪農家が搾乳した生乳は ”東京牛乳”で販売している。



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2020年08月27日

東京都産キャベツの主産地練馬では秋冬産キャベツの定植が一段落した。


連日の猛暑が続いている中で、秋冬産のキャベツの定植作業が8月中旬から行われていたが一段落した。

キャベツの導入は明治初年に横浜や神戸の外国人居留地向けの栽培が始まっていて、新宿農事試験場が発行した販売用のカタログでは、輸入品種の早生甘藍や、晩生甘藍などが掲載されているが、キャベツの名はまだない。

この、結球野菜の甘藍に着目したのが、東京府葛飾郡奥戸村(現在の葛飾区細田町)の中野藤助で、大正から昭和にかけて、中野藤助、中野庫太郎、中野真一と三代にわたって「中野甘藍」の代表的品種を作り上げた。
江戸東京の農業説明板「中野甘藍」は、細田の稲荷神社に設置されている。





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東京を代表するキャベツ農家の井之口喜實夫さんの畑の一角に、日陰を作る柿の木がある。周りが住宅街になったことからトラックを入れるスペースにもなっている。
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そもそも練馬にキャベツが導入されたのは、江戸時代から連作栽培が続けられてきた練馬大根に、昭和8年頃からバイラス病が発生し、年々発生は拡大していくことから、生産者はその対策に苦慮していた。

発生後10年の年月がかかってしまったが、昭和18年に大根に代わる安定作物への切り替えとして、年2回収穫のキャベツの試作が始まつた。
夏蒔き秋採り、秋蒔き初夏採り、春蒔き夏採り、昭和30年代に夏蒔き冬採りが導入されている。

昭和38年には萎黄病が蔓延したが、抵抗性品種(YR)が育成されてから、東京都では大きな病気もなく今日に至っている。


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2020年08月14日

育ててくれた恩師の墓前に、江戸東京野菜の復活普及を報告させていただいた。


連日の猛暑が続いているが、盆の入りと云うことで、
朝早くに墓参りをしてから、実家の仏前に線香をあげた。

せっかく近くまで行ったので、
練馬区錦の圓明院にある、恩師の墓前にお参りをしてきた。
2010年2月に亡くなられたので、10年になる。

宅地並み課税については「江戸東京野菜の物語」にも書いたが、

都市に農地はいらないとした国の政策、農地の宅地並み課税
に対して、国政に立ち向かった際に、三大都市圏の農家代表を
されていたのが、加藤源蔵先生(当時JA東京中央会会長)で、
都市農業一筋に歩まれた方だった。




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「江戸東京ゆかりの野菜と花」をはじめ、
江戸東京シリーズ3冊を農文協から刊行したのも、

江戸東京の農業説明板の50か所の設置企画も、
GOの決済をしてくれたのが、加藤先生だったから、
今日、江戸東京野菜の復活のきっかけを作ってくれた。
師の生き方に学ぶこととが多く、私を育ててくれた恩師だ。

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加藤先生の顕彰碑が建立されたのが2011年4月だったが、
発起人に加えていただき碑文の原案を書かせていただいた。

改めて、碑文を読んだが、加藤先生の幅広い活動から、
改めて加藤先生のご遺徳を偲んだ。

しばらくして雷雨がパラついてきたので、寺を後にした。
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2020年08月13日

東村山の果樹園久安から「令和2年度 本日開園」のチラシが届いたので、出かけた。


連日の猛暑で、熱中症かと勘違いして、
新型コロナウイルスの大規模なクラスターが発生したとの、
ニュースが流れていた。

東村山の「果樹園 久安」から「令和2年度 本日開園」のチラシが
入った封書が届いた。
チラシには、新型コロナウィルス対策に万全を期し対応する
旨があったので、猛暑だったが出かけた。

同園の園主中村博さんには、2010年に江戸東京野菜の普及とともに、
東京農業の振興にも取り組んでいたことから、
レストラン等からの需要にこたえるために、
東京の先進的な果樹栽培の「果樹園 久安」を、当ブログでも紹介した。





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園主の中村博さんには、お会いできなかったが、
後継者の中村竜太さんが幸水を収穫しているところだった。

竜太さんは、
2006年に広島県農業技術センターで葡萄の根域制限栽培について
学んできたことから、梨栽培にも取り入れたようだ。

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かつて、キュウイフルーツを栽培していた自宅裏の果樹園は、
ぶどう栽培と同じ、根域制限の多摩湖梨として、
幸水、秀麗、あきづき、を栽培していた。


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2020年08月10日

昔のトマト「世界一」を栽培している東久留米の "ぽかぽかファーム" に行ってきた。


先日、押上「よしかつ」の店主佐藤勝彦さんと、
電話で話していたらトマトの話題となった。

昔のトマトが食べたいと云う、お客さんが結構いて、
トマトの話になるとトマトにまつわる思い出話しは尽きない。

このトマト ”世界一“ は、子供の頃に食べた思い出がある。
大きくて揃いが悪い、今のトマトは甘いばかりだが、旨味もある。

東久留米の横山さん姉妹にお願いして、栽培しているというので、
昔のトマト”世界一”が見たいと、横山さんに電話をして伺った。






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三つ並んだハウスの一つに、案内いただいた。

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トマトのハウス内は、土埃が舞うほどフカフカだ。
花が咲くまで水をやるが、咲いてからは水はやらない。
栽培の基本だ。

無骨な形の果実が生っていた。


トマトが日本に渡ってきたのは江戸時代だ、
ナス科のトマトは「赤茄子」と呼ばれ、鑑賞用だった。

食用として普及したのは明治の初めだが、昭和に入ってようやく
消費者の間に広まった。

世界一トマトの消費が伸びるのは
戦後しばらくしての20年代後半で、その頃、小学4-5年生で、
母親の実家の畑でよくもいで食べた思い出がある。



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2020年07月16日

大泉の加藤晴久さんが東京べか菜を収穫していたので分けてもらった。


加藤晴久さんが、東京べか菜を栽培していた。
東京べか菜は、トキタ種苗が販売している固定種た。

べか菜は、漬け菜の一種で不結球白菜の山東菜の中から選抜された。

現在の江戸川区の葉物農家が主に栽培していたが、
小松菜のごせき種苗が選抜した、ごせきべか菜は、
日本農林社が種を販売している。

山東菜は、明治時代の初期に中国山東省から導入されたもので、
導入当初は、江戸川では大型の山東菜を栽培していた。

若採りの山東菜をべか菜と呼んでいる。
べか菜の「べか」は、ベカ舟から来ていて、
小型の形状を意味している。

べか舟とは、のり採り舟のことで、長さ12尺(3.6メートル)
幅2尺8寸(84センチ)位の薄板で造られていた。






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東京べか菜の収穫を始めたところを、分けてもらった。

上の画像をタップする
東京べか菜は癖の無い味わいだから、納品先を伺ったら、
地元の中華料理店「八」の店主高野宰さんが購入するという。
(03-6311-0672)
高野さんは、生産者の顔が見える食材にこだわっている。


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2020年06月16日

井之口さんの初夏産キャベツは、梅雨に入り、ほぼ収穫は終わろうとしていた。


練馬で、江戸東京野菜を栽培している井之口喜實夫さんは、東京を代表するキャベツ栽培農家で、5月中旬に出荷を待つ初夏産キャベツの畑を取材している。

6月になってから、早稲田ミョウガの生育状況を見に伺った時に、キャベツをお土産に頂いた。




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関越自動車道に入る手前の目白通り沿いにある、

既に収穫が始まっていることが分かったので、先日、畑の脇を通りかかったら7割がた収穫は終わっているが、収穫の規格に達していないものが、点々と収穫された中に残っている。

上の画像をタツプする



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2020年05月20日

練馬区立かたくり福祉作業所が選別した、白石農園のアスパラガスが届いた。


練馬区大泉の白石好孝さんから箱詰めのアスパラガスが届いた。

白石さんとは、今年の2月にお会いした、
まちデザインの市民講座が、渋谷エクセル東急で実施されたときに、
理事の立場で出席されていて、席がお隣だったので、
色々とお話をさせていただいた。

白石農園の東側に立派なハウスを数年前に建築していたが、
それが最新鋭の環境制御機能付きのアスパラガスの
ハウスだったようで、農薬に頼らない栽培を行っていると云う。

今年の2月頃から収穫期を迎えたようで、選別、袋詰め、発送は
練馬区社会福祉協議会が運営する
練馬区立かたくり福祉作業所に委託している。

アスパラガスは美味しかったのは云うまでもないが、
かたくり福祉作業所との取り組みを紹介する。






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アスパラガスは、早朝の朝採りで、9時から9時半までに、
車で5分程の福祉作業所に持って行く。

作業所には、クラウドファンディングで冷蔵庫と選別機が用意され
作業所利用者(18歳以上)は、9時半頃から作業に入り、
白石さんから受け取った ”朝採りアスパラ” を選別機にかける。

選別されたアスパラガスは計量して袋詰め、冷蔵庫で一時保管し

上の画像をタップする
注文によってヤマト便で発送するという。


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2020年05月18日

練馬区高野台の井之口喜實夫さんのキャベツは6月の収穫に向けて順調に生育していた。


丁度1カ月前、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、
テレワークで井之口さんから資料をいただいた。

練馬区の小学校では3年生になると農業を学ぶが、

その副読本の中で、井之口さんのキャベツが紹介されている。
しかし新型コロナの影響で授業はまだ始まっていない。

今回も、電話で伺ったが、
このキャベツは3月10日に定植した初夏産キャベツで
日本農林社の「藍宝」だ。

現在、順調な生育を見せていることから
6月上旬には2万個のキャベツが出荷されるようだ。





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上の画像をタップするとgoogleマップにリンク。
丁度、井之口さんご夫妻と勇喜夫さんが作業をしている。

これまで、井之口さんの畑は、屋敷前の畑を紹介していたが、
練馬インターチェンジの近くに、35アールの農地が広がっている。

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2020年04月08日

法事のついでに、東京の西「秋川ファーマーズセンター」に立ち寄った。


先日、母親の7回忌法要を墓前で行った。
お坊さんには、新型コロナウィルスの事もあり、
鹿野大仏のある西多摩郡日の出町の霊園に来ていただいて、
身内だけの少人数で墓前法要を行った。




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お坊さんを招いてのお斎は、このような情勢でもあり、
失礼をさせていただいた。

上の画像をタップする
桜が満開だつた。



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2020年04月03日

東京のセルリー栽培では第一人者 並木猛さんの収穫が始まった。


東京で「セロリ」ではなく「セルリー」の名称で生産・販売をしている、清瀬市の並木猛さんから、今年も電話をいただいた。

先日、セルリーの歴史について書いた
3月29日(日)から収穫がはじまると伺っていて、あいにく都合があって行かれず、31日に伺ったが、ハウスは締まっていた。

ハウスに休みの張り紙があって、地域の人が数人来たが「休みか!」と云って帰っていった。

折角来たので、並木さんに電話をすると、今日は市場が休みなので、休んでますとの返事だったが、すぐ行きますと自転車で来てくれたので話を聞くことができた。





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今年は、3月に入って、例年にない暖かさが続いたことで、栽培には苦労があったようだ。

上の画像をタップする

このハウスは、4500本ほど栽培しているが、お手伝いの6人により、毎日500本ほど大田市場に出荷している。
特に、平均2Lクラスを70ケース出荷するとか

南側の別のハウスで2000 本、育苗をしてきた自宅のハウスに500本と、
今年も7000本。収穫は14日頃までとか、


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2020年03月23日

江戸から平成まで栽培されていた「足立の水セリ」、簡単には復活できないその味も。


先日、江戸東京野菜コンシェルジュの亀島由美子さんから、頂いてきた三関せりが成長し始めたとラインで写真が送られてきた。

三関せりは、6月上旬、親株になるものを育て、節からの発根を促し苗(ランナー)を育成させる。
大きくなったところで水を張った本畑に定植する。

宮城県名取の三浦隆弘さんの場合は、NHKの里山で紹介されたが、節が2〜3付いた茎を、無造作に水田に投げ入れていた。





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お勝手の流しの窓際に置いているようだが、主婦が楽しむにはいい水栽培だ。

「東京ではどこで作ってるんですか ? 」と「サミットin秋田湯沢」で誰だったかに聞かれた。

東京の中央卸売市場に全国から入荷する野菜は、0b地帯から、中山間地、そして2千メートルの雲取山まで、
また、洋上1千キロの小笠原まであるから、なんでも栽培していると、云ったものだから聞かれたものだ。


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2019年10月20日

立川と昭島で銀杏栽培をしている鳴島勇三さんに、銀杏の収穫風景を見せてもらった。


立川市で銀杏栽培をしている鳴島勇三さんの畑を紹介したが、収穫をする頃に取材をしたいと頼んでいたが、あの後銀杏を拾いやすいようにシートが張られていた。

台風19号で落ちた銀杏を拾い集める作業をすると云うので、JA東京みどりの原省三さんに案内してもらった。

鳴島さんの銀杏畑は、昭島市に1か所と立川市7か所あると聞いているが、11月までは定期的に拾い集めて、11月中下旬になると、木の枝に残ったものを、棒で叩き落すとか。

収穫と云うから、ワイルドに棒で全部落とすのかと思っていたが






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台風19号で落ちた銀杏がシートの上に散乱していた。

樹にはまだ沢山の銀杏がついていた。




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2019年10月01日

立川で栽培されていた銀杏は、完熟間近な大粒の果実が実っていた。


自宅の近くに銀杏を栽培している畑を見かけたので、JA東京みどりの原省三さんに紹介してもらった。

案内してもらったのは西武砂川駅近くで電車からも良く見える銀杏畑だ。
栽培しているのは鳴島勇三さんで、上砂地域には植木畑が多いが、その中に鳴島さんの銀杏畑は8か所もあり、大粒の銀杏が実っていたが、藤九郎種と嶺南種を栽培しているという。

畑はきれいに管理されていて、畑はフカフカの状態。
鳴島さんは、伸びすぎた枝の選定と、雑草を生やさないように年4回はトラクターでうなっているという。





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鳴島さんは、昔は養豚業が主で、桑やサツマイモ、ジャガイモ、スイカの栽培をしていたという。

鳴島さんのところでは、10月中旬に、木の下にシートを張って、棒で生っている銀杏を叩き落して行く。
落とした銀杏は、完熟して柔らかくなっている。拾い集めた銀杏は、機械で果肉を除去して、一度に出荷するという。

出荷先は地元の直売場の立川ファーマーズセンターの他、イトーヨーカ堂に卸しているという。


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2019年07月12日

杉並の農業後継者、井口幹英さんが TOKYO FM で都市農業を篤く語る


荻窪駅から徒歩12−3分北に行った清水1丁目で、農業をしている井口幹英さん(48歳)は、江戸東京野菜の伝統大蔵ダイコンの栽培を手掛けるなど、新鮮野菜を栽培する生産者として地域住民には頼りにされている。





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IGUCHI mini FARM で、パーソナリティーの川瀬良子さんのインタビュー

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このほど、TOKYO FMの取材を受け、都市農業について篤く語ったという情報が、日本農業新聞に掲載された。

7月13日、9時30分から9時50分まで、TOKYO FMをキー局として、JFN38局で全国放送される。

井口さんに久しぶりに電話をしたら、地域での役職なども終わったから、これからいろいろ取り組んでいきますと語っていた。

井口さんは、杉並の後継者の代表として活躍されてこられたが、佐竹未希さんが取材した「すぎなみ学倶楽部」。

杉並農人」の創刊号など、各種ホームページで紹介されている。

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2019年06月18日

国立市の「ママ下湧水公園」の隣にある佐伯さんの水田で田植えが行われた。


立川市羽衣町にある清水が湧く羽衣公園に行ったときに、近くに大先輩の佐伯寛さん(83歳)が住んでいることを思い出した。

久しぶりに佐伯さんと電話で話したら、お宅から真南に当たる「ママ下湧水公園」の隣に水田があるという。

羽衣公園で湧きだした流れは国立市に流れ込んでいるが、国立市にも湧水があることが分かった。
田植えは6月8日(土)だというので、近くにそんなところがあるなら、見ておきたいので、当日は少し早めに出かけ、ママ下湧水公園を歩いた。





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この辺りはかつて水田だったが、現在では佐伯さんの田圃だけの1反5畝(1500u)だけになってしまった。
田植えは、8時過ぎから佐伯さんと会社勤めの後継者司さんとで始まった。

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佐伯さんに伺うと、毎年4月29日(昭和天皇の誕生日)に、水田耕作者が集まって、用水などの草刈りやごみ拾いを行う。
5月15日に日野橋からの府中用水を流し始め、水田は水で満たされていた。(写真左下)
隣にママ下湧水が流れているが、水温が低いためか、昔から用水を使っている。

苗代は、連休明けの5月10日にバットに籾種を蒔いて始めたという。


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2019年05月07日

小平の岸野昌さんが栽培する滝野川ゴボウも順調な生育を見せていた。


小平の、岸野昌さんの畑の近くまで行ったものだから、岸野さんに電話をしてみるといると、江戸東京野菜を見に来てくださいと云うので寄らせてもらった。

岸野さんは、広い農地に滝野川ゴボウを中心に、各種野菜を栽培している。




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内藤とうがらしプロジェクトのメンバーとして、
500鉢の内藤トウガラシを受け持っていると云う。

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2019年04月01日

東京を代表するセルリー農家・並木猛さんの収穫が始まった。


清瀬のセルリー農家・並木猛さんから電話をもらった。
セルリーの収穫は31日だと云うので伺った。

それにしても、最近は、並木さんによくお会いする。
今年の、2月に清瀬の小寺正明さんのお祝に招かれたとき・・・。

また、先日は、星野直治さんの寺島ナスの接ぎ木を手伝っておられた。
30日(土)には、星野さんに招かれ、お宅の観桜会に行ってきたと、
出荷前の忙しいときにも精力的に活動している。






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前の晩、電話で何時ごろ行ったらいいかと聞いたら、
朝5時に起きて収穫作業を始めるという。
11時頃にでもと思っていたが、9時に伺えた。

すでにお客さんが見えていて、並木さんに紹介されたが、
西武池袋線清瀬駅の南口から徒歩2分
レストラン・アルブル
古川ヒロキオーナーシェフ夫妻が見えていた。

アルブルは「とうきょう特産食材使用店」、
「東京、清瀬ではたくさんのおいしい野菜が育てられています。
新鮮野菜を味わうための、地産地消レストランです。」
とある。

渋谷のイタリアン「オステリアアルコ」の岡田圭介オーナーシェフが、
並木さんのセルリーでセルリ−づくしスペシャルディナーに伺ったが、

並木さんの人柄にも惚れた、料理人が増えている。




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2019年03月04日

学校給食用の冬越しキャベツの上を舞う「カイト鷹」が、鳥害からキャベツを守っていた。


先日、練馬区立野町の井口良男さんのウド栽培を紹介したが、その日は学校給食のトラックが集荷のために11時頃に来ると云うので、冬越しキャベツと青首ダイコン、根深ネギが用意されていた。

東京のキャベツ栽培が始まったのは、練馬大根がバイラス病の発生で、栽培が難しくなったことから、昭和25年頃より、キャベツ栽培に代わって周辺に広がっていった。

キャベツ栽培は、初夏産として、5月上旬から7月にかけての春キャベツと、秋冬産としては、10月中旬から12月中旬までの秋キャベツとして、東京都中央卸市場生産などに出荷されている。

井口さんのお宅では冬越しのキャベツ栽培をしていて3月中旬まで、食味がよいYR錦秋や低温肥大性にすぐれた秋まきの晩生藍宝 (らんぽう) などの品種を選んで学校給食や、レストランなどに向けて出荷されている。




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冬越しキャベツは、餌が不足する時期に栽培しているだけにヒヨドリの大群による鳥害の被害が多く、生産者を悩ませていたが、無傷のキャベツが出荷されていたので聞いてみると、凧のおかげだという。

上の画像をタツプする。




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