2020年11月23日

明治神宮の新嘗祭に、楼門と回廊に野菜の宝船が並んだ。


明治神宮農林水産物奉献会は、首都圏の篤農家が、明治神宮を中心に戦後のわが国食糧事情を好転させようと結成された組織・足食会(そくしかい)が、その後、変遷してきたが、今日、JA東京グループ会長の城田恒良氏が会長を務めている。

毎年1月2日に明治神宮で開催される、同奉献会総会において、新嘗祭における宝船奉納が決定するが、今年はローテーションによって、南神門の両サイドに、今年はJA東京中央の千歳地区と、JA東京みどりの国立地区が決まっていた。




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22日は天候も良かったことから、七五三の参詣者も多かった。

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南神門の左手はJA東京みどりの宝船、右手はJA東京中央の宝船。

宝船は新嘗祭が終わると、ばらして施設などに配られる。
宝船の前にある野菜や花も・・・・


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2020年11月09日

今年もキャベツ部門でトップの東京都知事賞を受賞した井之口さんの収穫現場を見せてもらった。


練馬の井之口喜實夫さんが、東京都の農産物品評会のキャベツ部門でトップの東京都知事賞を受賞したことは報告したが、

今、秋冬産のキャベツの収穫真っ最中と聞いたので、目白通り沿いのキャベツ畑に行ったら、後継者の、勇喜夫さんが一人でキャベツを切っているところだった。





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畑の脇に車を停めてカメラを構えていたら、それに気づいた勇喜夫さんがこちらを見た。
作業中の忙しいときに、邪魔してしまった。

収穫しているのは、、知事賞を受賞した、日本農林社の「藍宝」だった。
寒球系で、加熱すると甘みがあり美味しいと云うことで、業務用に使われる。

かつて、イオウ病の抵抗性品種として、ますだのYR錦秋を栽培していたが、「藍宝」が出てからは、これを使っているという。

3年ほど、JAあおばの奨励品種「青琳」を作っていた。形状が良く、色も濃いことから栽培したが、昨年から品評会には「藍宝」に戻している。



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2020年11月05日

第49回東京都農業祭が、立川の東京都農林水産振興財団の施設内で、三密を防ぐことから一般都民に非公開で開催された。


新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐことから、
三密になりやすい各種イベントは中止を余儀なくされているが、

毎年11月2日、3日に明治神宮で開催される東京都農業祭は
中止となったが、
農業祭の中で行う「農産物品評会」は、栽培技術の向上から実施、

三密を防ぐため一般都民には公開しないことから、
入場制限ができる(公財)東京都農林水産振興財団の広場で、
開催された。




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2日午前中に、品評会に出品する農産物の搬入が、午後から審査、
3日(祝火)は出品者等が見に来られていた。

会場では、中央会の関係部署の水口均さんや
東京都の鈴木勉総括課長代理などにお会いした。



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2020年10月28日

住宅地に隣接した畑で、落花生を収穫して新住民に販売を始めた村田さん、今後、消費者の要望に応えて作物を栽培していくという。


柏木小学校の帰りに、私鉄の駅から自宅までの道すがら、
近所の方々と話をしながら落花生の収穫作業をしている
村田健一郎さんに会った。

始めて村田さんを紹介したのは、
ジャンボカボチャを線路沿いで栽培していた時で、それ以来だが、
農業後継者として頑張っている。

よく見ると、大きな落花生がたくさんついているので、
近所の人たちが、珍しがって話しかけていた。




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何と云う落花生か、近所の方々との話に割り込んで、名前を!聞いた。
“おおまさり” と云うそうで、茹でて食べる種類の落花生だそうだ。




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2020年10月13日

砂村節成キュウリを栽培している日野市の小池さんが採種作業をすると云うので伺った。


中央線日野駅近くで砂村節成キュウリを栽培している小池則行さんが、
採種作業をすると云うので伺った。

小池さんは、砂村節成キュウリについて、調べてくれていた。
このキュウリ、江戸川で日本一のセルリーを栽培していた、
伊藤仁太郎さんが栽培しいたものだという。

伊藤仁太郎さんは、昭和50年代に、
江戸川区農業委員会の会長をされていて、圃場も見せて頂いたが、
ハウスでセルリーを栽培していた。

セルリーの後作として、ハウスで「モロキュウ」を栽培していた。
昭和47年頃、この砂村節成キュウリの若採りを行っていたようで、
直径1.6から1.7pで長さ9pをA級品としていた。

小池さんは、露地栽培で9月の時点では大きくなりすぎたので、
砂村節成キュウリとして販売したが、7月に販売するときには、
砂村節成キュウリとした上で「モロキュウで食べてください」
と印字しているという。




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小池さんは、これまで10年、毎年採種をしてきた。

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屋外にある流しでの作業なので、西陽が当たって、
明暗がはっきりして光のバランスが悪く、
写真がきれいに撮れなかった。

両サイドをカットしてから、半分に割った。


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2020年10月04日

23区に1件だけの小泉牧場では子牛が3頭生まれていた


今月初めに、久しぶりに小泉牧場に立ち寄ったことを
ブログとFacebookで報告したら、

勝さんのFacebookの友人たちがヒットしてくれて、
シェアしたり、勝さんへのコメントもたくさんいただいた。

北海道から戻ってきたホルスタインは、9月中旬には子牛を生む
と聞いていたが、都合がつかないでいた。

先日、小泉牧場の前を通りかかったので寄ってみた。






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丁度、休憩のようで牛舎に居たのは研修生。
子牛は生まれたのかを聞くと、
27日に黒毛和牛の雄が生まれたと云うので、見せてもらった。

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そこへ休憩していた、勝さんが来てくれた。

詳細を伺うと、生まれたのは、ホルスタインのメスが9月17日で
8ケ月後には北海道十勝本別町の山田牧場(乳牛育成専門牧場)に
送り込むという。

次に生まれたのは、黒毛和牛の雌と雄で、F1だ。
雌は23日、雄は27日に生まれたという。

黒毛和牛は8ケ月したら前橋にあるスモール市場に出荷し、
肉牛生産者が肉用牛として育てる。

「11月には6頭生まれる予定ですから、また寄ってください」
との事だった。
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2020年09月26日

砂村節成キュウリを日野市の直売所で購入したと、押上「よしかつ」の佐藤さんからメールを頂いた。


9月17日、押上「よしかつ」の店主佐藤勝彦さんからメールを頂いた。
「本日、日野市の直売所にて砂村節成胡瓜が販売されていました。
小池則行さん栽培とありますが、
ご存知の事あれば教えて頂けますでしょうか?

ちなみに大きさは5寸程で白イボ、
半白と緑が交雑したような色合です。」とあった。

小池さんは知らないが、袋には「日野万願寺直売所」とあるから、
JA東京みなみの日野市内の生産農家である事は確かだ。
ただ、生産者が砂村節成胡瓜と明確に書いているとなると、
どのようなことなのか、

砂村周辺の江戸川区の農家ならわかるが、
遠く離れた日野市となると、ルーツはわからなくなる。





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そんなことを考えていたら、日が経ってしまい、
慌てて日野万願寺直売所に電話をした。
所長に代わってもらったが、河野さんだという。
もしかしたら現役の時にお世話になった河野一法さんかと、
お聞きするとそうだった。

そうなると話は早い、事情を話して、
小池さんの了解を取ってもらったので自宅に伺った。

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小雨が降っていたが、砂村節成キュウリの畑に案内してくれた。
既に枯れていたが、商品にならないものが生っていた。

今年は、5月27日にセルに播種して、68本を畑に定植した。
8月4日から出荷が始まり、9月20日頃まで直売所に出したという。
佐藤さんが購入したのは最後の頃だったようだ。



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2020年09月07日

東京の酪農家の中でも23区内では1軒の小泉牧場の三代目小泉勝さんを訪ねた。


東京の酪農は、明治の初期がピークで、
東京都心にはたくさんの牧場があった。

小泉牧場は、岩手県小泉町出身の小泉藤八氏が昭和10年に開設した。
練馬区の酪農家としては、昭和18年に渡辺徳右衛門さん(当研究会の渡邉和嘉さんのお祖父さん)の子牛の誕生記念の写真が残っている。

東京23区では、昭和57年東大泉の関口牧場が、
昭和60年に世田谷区赤堤の四谷軒牧場が幕を閉じたことで、
現在、23区内に残る牧場は、小泉牧場だけになってしまった。

小泉さんには、2013年に伺って、話を聞いたことがあるが、
その後ご無沙汰していた。

現在は、2代目与七さんと、3代目の勝さんに、研修生2人の4人で
搾乳をしている。






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伺った時、小泉さんは作業着のつなぎを脱いで休息中だったが、
話を聞かせてもらった。
現在、乳牛が50頭で、内搾乳しているのが35頭で、
夏場は暑くて550キロリットル(冬場で800`レベル)。

東京都酪農業協同組合(都酪農)の車が回ってきて、
秋川にある協同乳業の東京工場に持っていく。
協同乳業は名糖ブランドでも、販売しているが、
東京の酪農家が搾乳した生乳は ”東京牛乳”で販売している。



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2020年08月27日

東京都産キャベツの主産地練馬では秋冬産キャベツの定植が一段落した。


連日の猛暑が続いている中で、秋冬産のキャベツの定植作業が8月中旬から行われていたが一段落した。

キャベツの導入は明治初年に横浜や神戸の外国人居留地向けの栽培が始まっていて、新宿農事試験場が発行した販売用のカタログでは、輸入品種の早生甘藍や、晩生甘藍などが掲載されているが、キャベツの名はまだない。

この、結球野菜の甘藍に着目したのが、東京府葛飾郡奥戸村(現在の葛飾区細田町)の中野藤助で、大正から昭和にかけて、中野藤助、中野庫太郎、中野真一と三代にわたって「中野甘藍」の代表的品種を作り上げた。
江戸東京の農業説明板「中野甘藍」は、細田の稲荷神社に設置されている。





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東京を代表するキャベツ農家の井之口喜實夫さんの畑の一角に、日陰を作る柿の木がある。周りが住宅街になったことからトラックを入れるスペースにもなっている。
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そもそも練馬にキャベツが導入されたのは、江戸時代から連作栽培が続けられてきた練馬大根に、昭和8年頃からバイラス病が発生し、年々発生は拡大していくことから、生産者はその対策に苦慮していた。

発生後10年の年月がかかってしまったが、昭和18年に大根に代わる安定作物への切り替えとして、年2回収穫のキャベツの試作が始まつた。
夏蒔き秋採り、秋蒔き初夏採り、春蒔き夏採り、昭和30年代に夏蒔き冬採りが導入されている。

昭和38年には萎黄病が蔓延したが、抵抗性品種(YR)が育成されてから、東京都では大きな病気もなく今日に至っている。


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2020年08月14日

育ててくれた恩師の墓前に、江戸東京野菜の復活普及を報告させていただいた。


連日の猛暑が続いているが、盆の入りと云うことで、
朝早くに墓参りをしてから、実家の仏前に線香をあげた。

せっかく近くまで行ったので、
練馬区錦の圓明院にある、恩師の墓前にお参りをしてきた。
2010年2月に亡くなられたので、10年になる。

宅地並み課税については「江戸東京野菜の物語」にも書いたが、

都市に農地はいらないとした国の政策、農地の宅地並み課税
に対して、国政に立ち向かった際に、三大都市圏の農家代表を
されていたのが、加藤源蔵先生(当時JA東京中央会会長)で、
都市農業一筋に歩まれた方だった。




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「江戸東京ゆかりの野菜と花」をはじめ、
江戸東京シリーズ3冊を農文協から刊行したのも、

江戸東京の農業説明板の50か所の設置企画も、
GOの決済をしてくれたのが、加藤先生だったから、
今日、江戸東京野菜の復活のきっかけを作ってくれた。
師の生き方に学ぶこととが多く、私を育ててくれた恩師だ。

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加藤先生の顕彰碑が建立されたのが2011年4月だったが、
発起人に加えていただき碑文の原案を書かせていただいた。

改めて、碑文を読んだが、加藤先生の幅広い活動から、
改めて加藤先生のご遺徳を偲んだ。

しばらくして雷雨がパラついてきたので、寺を後にした。
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2020年08月13日

東村山の果樹園久安から「令和2年度 本日開園」のチラシが届いたので、出かけた。


連日の猛暑で、熱中症かと勘違いして、
新型コロナウイルスの大規模なクラスターが発生したとの、
ニュースが流れていた。

東村山の「果樹園 久安」から「令和2年度 本日開園」のチラシが
入った封書が届いた。
チラシには、新型コロナウィルス対策に万全を期し対応する
旨があったので、猛暑だったが出かけた。

同園の園主中村博さんには、2010年に江戸東京野菜の普及とともに、
東京農業の振興にも取り組んでいたことから、
レストラン等からの需要にこたえるために、
東京の先進的な果樹栽培の「果樹園 久安」を、当ブログでも紹介した。





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園主の中村博さんには、お会いできなかったが、
後継者の中村竜太さんが幸水を収穫しているところだった。

竜太さんは、
2006年に広島県農業技術センターで葡萄の根域制限栽培について
学んできたことから、梨栽培にも取り入れたようだ。

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かつて、キュウイフルーツを栽培していた自宅裏の果樹園は、
ぶどう栽培と同じ、根域制限の多摩湖梨として、
幸水、秀麗、あきづき、を栽培していた。


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2020年08月10日

昔のトマト「世界一」を栽培している東久留米の "ぽかぽかファーム" に行ってきた。


先日、押上「よしかつ」の店主佐藤勝彦さんと、
電話で話していたらトマトの話題となった。

昔のトマトが食べたいと云う、お客さんが結構いて、
トマトの話になるとトマトにまつわる思い出話しは尽きない。

このトマト ”世界一“ は、子供の頃に食べた思い出がある。
大きくて揃いが悪い、今のトマトは甘いばかりだが、旨味もある。

東久留米の横山さん姉妹にお願いして、栽培しているというので、
昔のトマト”世界一”が見たいと、横山さんに電話をして伺った。






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三つ並んだハウスの一つに、案内いただいた。

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トマトのハウス内は、土埃が舞うほどフカフカだ。
花が咲くまで水をやるが、咲いてからは水はやらない。
栽培の基本だ。

無骨な形の果実が生っていた。


トマトが日本に渡ってきたのは江戸時代だ、
ナス科のトマトは「赤茄子」と呼ばれ、鑑賞用だった。

食用として普及したのは明治の初めだが、昭和に入ってようやく
消費者の間に広まった。

世界一トマトの消費が伸びるのは
戦後しばらくしての20年代後半で、その頃、小学4-5年生で、
母親の実家の畑でよくもいで食べた思い出がある。



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2020年07月16日

大泉の加藤晴久さんが東京べか菜を収穫していたので分けてもらった。


加藤晴久さんが、東京べか菜を栽培していた。
東京べか菜は、トキタ種苗が販売している固定種た。

べか菜は、漬け菜の一種で不結球白菜の山東菜の中から選抜された。

現在の江戸川区の葉物農家が主に栽培していたが、
小松菜のごせき種苗が選抜した、ごせきべか菜は、
日本農林社が種を販売している。

山東菜は、明治時代の初期に中国山東省から導入されたもので、
導入当初は、江戸川では大型の山東菜を栽培していた。

若採りの山東菜をべか菜と呼んでいる。
べか菜の「べか」は、ベカ舟から来ていて、
小型の形状を意味している。

べか舟とは、のり採り舟のことで、長さ12尺(3.6メートル)
幅2尺8寸(84センチ)位の薄板で造られていた。






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東京べか菜の収穫を始めたところを、分けてもらった。

上の画像をタップする
東京べか菜は癖の無い味わいだから、納品先を伺ったら、
地元の中華料理店「八」の店主高野宰さんが購入するという。
(03-6311-0672)
高野さんは、生産者の顔が見える食材にこだわっている。


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2020年06月16日

井之口さんの初夏産キャベツは、梅雨に入り、ほぼ収穫は終わろうとしていた。


練馬で、江戸東京野菜を栽培している井之口喜實夫さんは、東京を代表するキャベツ栽培農家で、5月中旬に出荷を待つ初夏産キャベツの畑を取材している。

6月になってから、早稲田ミョウガの生育状況を見に伺った時に、キャベツをお土産に頂いた。




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関越自動車道に入る手前の目白通り沿いにある、

既に収穫が始まっていることが分かったので、先日、畑の脇を通りかかったら7割がた収穫は終わっているが、収穫の規格に達していないものが、点々と収穫された中に残っている。

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2020年05月20日

練馬区立かたくり福祉作業所が選別した、白石農園のアスパラガスが届いた。


練馬区大泉の白石好孝さんから箱詰めのアスパラガスが届いた。

白石さんとは、今年の2月にお会いした、
まちデザインの市民講座が、渋谷エクセル東急で実施されたときに、
理事の立場で出席されていて、席がお隣だったので、
色々とお話をさせていただいた。

白石農園の東側に立派なハウスを数年前に建築していたが、
それが最新鋭の環境制御機能付きのアスパラガスの
ハウスだったようで、農薬に頼らない栽培を行っていると云う。

今年の2月頃から収穫期を迎えたようで、選別、袋詰め、発送は
練馬区社会福祉協議会が運営する
練馬区立かたくり福祉作業所に委託している。

アスパラガスは美味しかったのは云うまでもないが、
かたくり福祉作業所との取り組みを紹介する。






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アスパラガスは、早朝の朝採りで、9時から9時半までに、
車で5分程の福祉作業所に持って行く。

作業所には、クラウドファンディングで冷蔵庫と選別機が用意され
作業所利用者(18歳以上)は、9時半頃から作業に入り、
白石さんから受け取った ”朝採りアスパラ” を選別機にかける。

選別されたアスパラガスは計量して袋詰め、冷蔵庫で一時保管し

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注文によってヤマト便で発送するという。


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2020年05月18日

練馬区高野台の井之口喜實夫さんのキャベツは6月の収穫に向けて順調に生育していた。


丁度1カ月前、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、
テレワークで井之口さんから資料をいただいた。

練馬区の小学校では3年生になると農業を学ぶが、

その副読本の中で、井之口さんのキャベツが紹介されている。
しかし新型コロナの影響で授業はまだ始まっていない。

今回も、電話で伺ったが、
このキャベツは3月10日に定植した初夏産キャベツで
日本農林社の「藍宝」だ。

現在、順調な生育を見せていることから
6月上旬には2万個のキャベツが出荷されるようだ。





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上の画像をタップするとgoogleマップにリンク。
丁度、井之口さんご夫妻と勇喜夫さんが作業をしている。

これまで、井之口さんの畑は、屋敷前の畑を紹介していたが、
練馬インターチェンジの近くに、35アールの農地が広がっている。

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2020年04月08日

法事のついでに、東京の西「秋川ファーマーズセンター」に立ち寄った。


先日、母親の7回忌法要を墓前で行った。
お坊さんには、新型コロナウィルスの事もあり、
鹿野大仏のある西多摩郡日の出町の霊園に来ていただいて、
身内だけの少人数で墓前法要を行った。




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お坊さんを招いてのお斎は、このような情勢でもあり、
失礼をさせていただいた。

上の画像をタップする
桜が満開だつた。



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2020年04月03日

東京のセルリー栽培では第一人者 並木猛さんの収穫が始まった。


東京で「セロリ」ではなく「セルリー」の名称で生産・販売をしている、清瀬市の並木猛さんから、今年も電話をいただいた。

先日、セルリーの歴史について書いた
3月29日(日)から収穫がはじまると伺っていて、あいにく都合があって行かれず、31日に伺ったが、ハウスは締まっていた。

ハウスに休みの張り紙があって、地域の人が数人来たが「休みか!」と云って帰っていった。

折角来たので、並木さんに電話をすると、今日は市場が休みなので、休んでますとの返事だったが、すぐ行きますと自転車で来てくれたので話を聞くことができた。





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今年は、3月に入って、例年にない暖かさが続いたことで、栽培には苦労があったようだ。

上の画像をタップする

このハウスは、4500本ほど栽培しているが、お手伝いの6人により、毎日500本ほど大田市場に出荷している。
特に、平均2Lクラスを70ケース出荷するとか

南側の別のハウスで2000 本、育苗をしてきた自宅のハウスに500本と、
今年も7000本。収穫は14日頃までとか、


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2020年03月23日

江戸から平成まで栽培されていた「足立の水セリ」、簡単には復活できないその味も。


先日、江戸東京野菜コンシェルジュの亀島由美子さんから、頂いてきた三関せりが成長し始めたとラインで写真が送られてきた。

三関せりは、6月上旬、親株になるものを育て、節からの発根を促し苗(ランナー)を育成させる。
大きくなったところで水を張った本畑に定植する。

宮城県名取の三浦隆弘さんの場合は、NHKの里山で紹介されたが、節が2〜3付いた茎を、無造作に水田に投げ入れていた。





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お勝手の流しの窓際に置いているようだが、主婦が楽しむにはいい水栽培だ。

「東京ではどこで作ってるんですか ? 」と「サミットin秋田湯沢」で誰だったかに聞かれた。

東京の中央卸売市場に全国から入荷する野菜は、0b地帯から、中山間地、そして2千メートルの雲取山まで、
また、洋上1千キロの小笠原まであるから、なんでも栽培していると、云ったものだから聞かれたものだ。


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2019年10月20日

立川と昭島で銀杏栽培をしている鳴島勇三さんに、銀杏の収穫風景を見せてもらった。


立川市で銀杏栽培をしている鳴島勇三さんの畑を紹介したが、収穫をする頃に取材をしたいと頼んでいたが、あの後銀杏を拾いやすいようにシートが張られていた。

台風19号で落ちた銀杏を拾い集める作業をすると云うので、JA東京みどりの原省三さんに案内してもらった。

鳴島さんの銀杏畑は、昭島市に1か所と立川市7か所あると聞いているが、11月までは定期的に拾い集めて、11月中下旬になると、木の枝に残ったものを、棒で叩き落すとか。

収穫と云うから、ワイルドに棒で全部落とすのかと思っていたが






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台風19号で落ちた銀杏がシートの上に散乱していた。

樹にはまだ沢山の銀杏がついていた。




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