2010年02月27日

東京都教職員組合栄養部会の学習会で、地元の伝統野菜を探してほしいと依頼される。


従兄の娘・川端富士子から、久しぶりに電話があった。
彼女は練馬区立の小学校で栄養士をやっていたが、最近、東京都教職員組合栄養部会でも、江戸東京野菜が話題になっているからと、毎年2月に行う学習会の講師を依頼された。

依頼書には、「東京都に働く教職員の組合で、教研として将来に向かって栄養職員や学校給食の役割を考え、自分自身への生き方や暮らし方に生かせる機会としたいと思っております。
現在、地場産の食材を給食にと、地元の野菜を少しずつ給食の中に取り入れているところです。
「江戸東京の野菜」の歴史や現在の実情のお話をお聞きし、「みて、さわって、食べて」深めたいと思います。
そして、学校給食に生かし、教職員・子ども達・身近な人達へ・地域の人へ伝えていきたいと考えます。」
とあった。


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上の写真をクリツクする
平成14(2002)年度から小学校では「総合的な学習の時間」が始まり、体験的・探求的学習を目的として地域とのかかわりを重視した学習の時間が導入された。

その年、JA東京グループでは、「次世代との共生」をめざす運動を進めるための重点として、次代を担う子どもたちが農業体験学習を通じて自然や生命に触れ、地域の人々と額に汗し、体験・交流することにより、地域の農業と食料に対する理解を深めてることを目的にした活動を展開していた。


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2010年02月03日

農林水産省広報誌「aff」で、江戸東京野菜が紹介された。


農林水産省広報課から、広報誌「aff」で、伝統野菜の特集をするから、伝統野菜について書いてくれと依頼があった。
昨年、「江戸東京野菜」の物語篇と図鑑篇を出したのを読んでくれたようだ.

2008年9月に、関東農政局が広報誌「Lets農業26号」で特集を組んでから2年になるが、本省の農林水産省広報誌に掲載されるまでになったのは喜びに堪えない。



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「野菜をめぐる新しい動き」として「伝統野菜の実力」が8頁にわたって掲載されたが、
特に、巻頭の「伝統野菜ってどんな野菜?」を、書かせていただいたのは光栄で、東京都農林水産振興財団食育アドバイザーとして掲載いただけたのは感謝だ ! 。

上の写真をクリツクする
同誌には、練馬大根と亀戸大根の他

生産の現場から、亀戸大根を栽培する木村重佳さん
販売の現場からは、品川の青果商・大塚好雄さん

そして、伝統野菜を盛り上げる取り組みとしては
墨田区立第一寺島小学校での寺島ナスの復活
練馬大根引っこ抜き競技大会

小金井市のまち興し大作戦 等、
東京の取り組みをあますことなく紹介した。

2010年01月04日

AFC フォーラム 2010年1月号に江戸東京野菜でエッセー


日本政策金融公庫の農林水産事業本部の広報誌「AFC フォーラム」の編集協力をしている、青木宏高さんから、11月に同誌1月号のフォーラムエッセーの頁を書かないかと電話がかかってきた。

青木さんは、NPO法人良い食材を伝える会の理事で、「江戸・東京伝統野菜の産地を見て学ぶ」ツアーを企画してくれるなど、早くから注目してくれているので、多くの方々に知っていただくには良い機会なので喜んでお受けした。

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2010年01月03日

東京都公園協会の季刊誌「緑と水の広場」に、「江戸生まれの小松菜」が掲載される


2009年の9月末に、東京都公園協会が季刊誌として発行している「緑と水の広場」東京の自然図鑑に、「江戸生まれの小松菜」について執筆をお願いしたいと (株)シーエスプランニング編集ルームの三品和彦氏から既刊誌と共に手紙を戴いた。

この季刊誌、都民を中心に広く一般の方々に、東京の緑と水および自然に対する関心と知識を深めてもらうとともに、都立公園・庭園の魅力、公園協会の事業を紹介している。

「東京の自然図鑑」(植物)は、東京とのかかわりでさまざまな植物を取り上げ、その生態や生息、保全の現状、また、種類によっては歴史や文化・生活との関わりなどを紹介していて、

これまでに野菜で取り上げたのは「東京のウド」だけで、27号で東京都産業労働局農林水産部農芸畜産課で野菜の専門技術員をされていてる高尾保之氏が書いていた。



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2009年度の冬号として2010年1月に送って戴いた。

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・江戸の野菜生産事情(江戸生まれの野菜品種は多い、その理由)
・現在、東京は食稚自給率最下位であるが、
その中でコマツナは全国第2位の生産量
・コマツナとはどのような野菜なのか
(祖先は中国から伝来したカブなど)
・江戸におけるコマツナ生産および名前の由来
(大切な冬野菜、葛西菜から小松菜へ)
・江戸での食され方、雑煮に欠かせない野菜
・現在の東京におけるコマツナ生産事情など・・・。


撮影協力を戴いた塚越農園の園主塚越弘さんは、小松菜栽培のリーダーとして、2008年4月に、東京都農林総合研究センター江戸川分場で開催されたシンポジウム「小松菜の明日を考える」で発表している


2010年01月01日

【1月号】 早春の香り、東京ウド


新春を寿ぎ、穏やかな新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。我が家では、正月の一品にウド料理は欠かせない。ウドは平城宮跡の近くから出土した木簡にも書かれているなど古くからある野菜だが、ウドの軟化栽培が江戸に伝


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わったのは文化年間(1804-18)に練馬の石神井に伝わり、また一説には文政年間(1818-30)に杉並の井荻村に伝わり「井荻ウド」と呼ばれていた。戦後、東京では関東ローム層を利用した穴蔵栽培法が開発され、現在、「東京ウド」「立川ウド」のブランドで取引されている。真っ暗闇に真っ白なウドが林立する幻想的な光景が、収穫作業とともにテレビでも映し出されるものだから、消費者は、穴蔵にタネを蒔くものと思い込んでいる消費者が結構いる。ウドは春に畑に芽株を植え込む。 夏には大きく成育し、秋には花も咲く。そして、冬になり霜が降れば、霜げて地上部は枯れてしまう。枯れてもしばらくは畑に放置されるから、「収穫もしないで、枯らしてしまった」と、都会には批判する人もいる。しかし、これがウド栽培の重要なポイントだ。 春になったら芽生える芽をたくさん付けた根株を休眠させるための手段で、その後、掘り出して保冷庫に貯蔵する。そして、出荷時期に合わせて、3〜4メートルの地下に掘られた穴蔵に根株を植え込み。 温度をかけて目覚めさせると、春が来たかと真っ暗闇で発芽、生育するものだから、真っ白な肌のウドが生まれる。また、ウドはウコギ科で、朝鮮人参と同じ仲間だ。秋に咲く花をてんぷらにしたり、サッと湯がいて酢味噌で食べるとオツな味だ。たくさん食べるものではないが、珍味といっていい。そんな話を山形の庄内でしたら、ある人が、「子供の時に、親から毒だから食べるなと云われたが、食べられるのか?」と真面目に質問された。子供には食べさせたくない何らかの事情があったのだと思うが、うまい。

2009年12月20日

The Japan Times が、江戸東京野菜について書いてくれた。しかも同社のHPに掲載している。


12月7日にジャパンタイムス紙の小竹朝子記者が、農林水産振興財団の勤め先に訪ねてきた。

数日前に、電話があって江戸東京野菜の「品川カブ」を販売している北品川商店街の大塚好雄さんを取材したが、そもそもの江戸東京野菜について、大塚さんに紹介をいただいたので、お聞きしたいという。




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品川カブ等、伝統野菜がなぜ、栽培されなくなったのか。

伝統野菜と、交配種の違いは何か、小松菜を例に、その違いを・・・

江戸東京野菜には、物語があるとして、
8代将軍徳川吉宗が、小松菜の名付け親であること・・・。

また、5代将軍徳川綱吉の大根の話など・・・、

私の話を、余すところなく書き込んでくれた。





2009年12月02日

公開フォーラム2009「日本の伝統野菜・在来作物のこれからを考える」、山形在来作物研究会から講師依頼。


山形在来作物研究会の江頭宏昌会長から、11月に同会が公開フォーラム2009を開催するからと、講師依頼があった。

テーマは「日本の伝統野菜・在来作物のこれからを考える」というもので、趣旨には、「在来野菜研究の先駆者である青葉高氏は地方の在来種を『生きた文化財』と表現した。伝統野菜・在来作物の持つ本当の魅力とは何か、これからの望ましい活かし方とは何か。講師の先生、参加者の皆さんとともにその本質に迫りたい」とあった。

山形在来作物研究会からのご指名は、名誉なことで喜んでお引き受けした。

前日の昼までにホテルにチェツクインする予定で、新幹線で新潟に行き、そこから
鶴岡に向かったが、新潟から乗り込んだ急行で、野菜文化史研究センター代表の久保功先生と一緒になった。



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フォーラム関連行事として、交流会と見学会が企画されていて、28日18:30からレストラン「イル・ケッチヤーノ」で交流会。
翌日には、現地見学会:11月29日(日)8:30−11:40
余目・亀の尾の里記念館〜平田赤ねぎ生産地〜産直めんたま畑〜山形大学。
交流会および現地見学会へはホテルよりバスで送迎すると云う。


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2009年11月01日

【11月号】 東京にも海抜2000メートル級の山があるなんて知ってました!


江戸東京の食材を求めて奥多摩へ出掛けてみた。雲取山(2016b)の山ふところ深くの沢にはワサビ田が造られているが、今回は日原谷に向かう。川苔山(1,340b)の林道を落石に注意しながら途中まで車で行き、そこからは、農産物運搬用のモノレールで標高1.100bの、千島山葵園のワサビ田で収穫作業に立ち会った。



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奥多摩ワサビ栽培の歴史は古く、江戸時代にさかのぼる。初めは野生の苗を採取して栽培されて、筏によって神田市場に運ばれていた。武蔵名勝図会(文政六年)によると海沢(うなざわ)村の産物として山葵(ワサビ)が紹介されているが、「山葵 この地の名産なり、多く作りて江戸神田へ出す。」としたうえで、栽培についても「村内に澗水の流れ多く、

また柿平川という谷川もあれば、清水の流れは常に絶えず、士気少しもなきように、小砂利の間に挿み置きて、上の方より清水を不断に流して、又、多からず少なからぬように灌ぎぬれば、分根して、その葉は少く、その味はいと辛し。」と詳細に記され、「当村は山葵を作り出して、値百金余に至れる由。」と数少ない換金作物であったことがうかがわれる。

また、「これより西に至る村々にても作れども、この地は殊に多し。」と奥多摩の各地で栽培されていたことがわかる。明治28年頃より地元の仲買人が神田に常時出荷するようになると、産地奥多摩の名は定着していく。明治43年8月に相次ぐ台風に伴う洪水で、山懐のワサビ田は崩壊、流失する壊滅的な打撃を受け、廃業する者も相次いだが、全国的な被害で価格が高騰したことから、再び生産しようと云う意欲が生産者の間に湧きおこり栽培面積は10.5fまで回復した。

その後、昭和46年に20fにまで広がったが、外国産の安いワサビが輸入されるようになったことで、品質の良い奥多摩ワサビは苦戦を強いられている。


2009年10月30日

体験学習「江戸・東京伝統野菜の産地を見て学ぶ」のガイドを任された。


「地域食材と江戸の食文化」について「大人の食育」が7月に行われたが

10月には、体験学習が予定されていた。

10月27日【城東コース】で、10月28日は【城北コース】としてガイドを依頼されていた。

両日の内容は、青木宏高理事が纏めて、同会のブログに掲載した。



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上の写真をクリックするとリンクする
開度をお受けしたことで、城東コースは、2004年に青木理事をご案内したコースをベースに構築したもの。

また、城北コースは、滝野川ゴボウは輪島一成さんにお願いしたが、三富新田は元埼玉新聞記者の中西博之さんが担当された。


2009年10月01日

【10月号】 東京の食材にとことんこだわる  「mikuniMARUNOUCHI」


フレンチ巨匠の三国清三シェフが9月3日丸の内にmikuni MARUNOUCHIをオープンした。
2004年に雑誌ソトコトの企画で、東京の農業などを取材していただいて、生産者の生きざまを知っていただいたのが、シェフを東京の農業にこだわらせるきっかけになったと思っている。


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今年の5月に、新宿御苑でシェフと地産地消のトーク企画があったことは新聞にも書いた。

上の画像をクリックする
その時、丸の内店を、江戸東京野菜を始め、東京の食材にとことんこだわった店にしたいと、その思いを打ち明けられた。

東京の旬を教えてくれる、季節限定の江戸東京野菜についても良くご存知だった。

開店1か月前の8月3日に、相談に乗ってくれと、オテルドゥミクニに呼ばれた。
新店舗のスタッフ全員が集まった。

シェフは「僕は北海道の出身ですが、東京には北海道にも負けないぐらいの上質の食材があると云うことを伝えたい」、
そして「東京の食料自給率1パーセントを少しでも上げ、地産地消をテーマの中心に考えています」と言う。 シェフの思いを受けて、江戸東京野菜を始めとする地場産野菜は、当ブログの「江戸東京野菜はここで買えます」の生産者たち。

また、牛肉はあきる野市の竹内牧場の秋川牛、豚肉は東京都畜産試験場が開発したTOKYO X、鶏肉は東京シャモに東京ウコッケイ。

牛乳は東京の酪農家が搾乳した東京牛乳。
魚は、多摩川源流、奥多摩のニジマスにヤマメ、さらに東京漁連の江戸前と伊豆近海の魚。

コメは八王子高月の特別栽培米。
塩は伊豆七島の天然塩に油は利島の椿油と、東京の農林水産物をもろもろ紹介させてもらったが、消費都市・江戸東京には昔から何でもあった。

季節折々の食材は、その旨みを引き出され、目と舌を楽しませてくれるはずだ。



2009年09月10日

江戸東京再発見コンソーシアムの「舟めぐり」、電気ボートで日本橋から墨田川へ


江戸から東京へと歴史文化は引き継がれ、東京には歴史の舞台となった史跡や代々続く老舗、伝統工芸などが存在する。
農業についてもしかりで、代々引き継がれた農家、農地、そして野菜などの種がある。

これらを東京の観光資源として位置づけ、活性化を図るため、江戸東京再発見コンソーシアム”Consortium of Rediscovery Edo-Tokyo Tourism Walk(CREW)” が結成され、ユニークな活動は、経済産業省「広域・総合観光集客サービス支援事業」の補助事業となった。

同事業としては、江戸野菜のほか、伝統工芸、舟めぐり、街めぐりなどがあるが、江戸野菜としては、4月に日本橋女学館中学校の藤井由紀子教頭から、固定種の小松菜栽培について相談を受けている。





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江戸東京再発見コンソーシアムから「舟めぐり」について何度か案内をいただいていた。

9月7日(月)、都合がついたのでの10時に、集合場所の日本橋川の常盤橋近くの桟橋についた。
舟の出帆は11時だが、少し早く行って周辺を歩いた。

今回の企画、日本橋川クルーズは、環境にやさしく静かな電気ボートで、日本橋川に架かる日本橋から、江戸橋、江戸湊、そして墨田川に出ると、月島に架かる永代橋、中央大橋をくぐり、墨田川から亀島川を上り、霊岸島を回って茅場町から日本橋水門を抜けて日本橋川に戻り、帰路に就くというコース。

常盤橋
「江戸城の城郭門「常磐橋御門」の見附橋として架けられたもので、東京で最も古い橋の一つといわれています。橋のたもとには常盤橋御門の跡が残されており、国の史跡に指定されています。」(CREWガイド)


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2009年09月01日

【9月号】 江戸東京野菜 物語篇……江戸東京野菜には物語がある


前号で紹介した「江戸東京野菜 図鑑篇」と併せて「江戸東京野菜 物語篇」を執筆して、8月末にようやく校了した。9月中旬には完成して、下旬には書店に並ぶはずである。この物語篇は「1.400年の歴史を伝える江戸東京野菜」「2.江戸東京野菜には物語がある」「3.江戸の食の"柱"は江戸生まれの野菜……食文化研究者・江原絢子さんに聞く」「4.江戸東京野菜復活の取り組み」の4章で構成した。



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江戸が運河の街だったと知る人は少ない。ましてやその運河を利用した舟運の主要な荷が米と並んで野菜だったと知る人はもっと少ないだろう。

急増した江戸の人口を支える大量の農産物は、「河岸」と呼ばれる市場に荷揚げされた。運河と街道を結ぶ拠点に市場が形成されていた。神田須田町にあった神田市場しかり、日本橋川と神田川に挟まれたこの地域は特に舟運の便がよかったからだ。他にもいくつもの河岸が多数点在していた。京橋には「京橋大根河岸」があった。現代的ビルが立ち並ぶ東京の中心地は、ベニスに匹敵するような運河の街であり、野菜流通の拠点だったのである。 

また、江戸は田園都市であったことを知る人も少なくなった。江戸は人口の増加に伴って規模が拡大してゆくが、常に郊外に新鮮な野菜を供給できる場所が必要であった。そうでなければ100万人もの人口を養うことができなかった。江戸東京市中も含め近郊の農村で栽培され、江戸東京人の食卓に上り食文化を育てたのが江戸東京野菜だ。「練馬ダイコン」「滝野川ゴボウ」「早稲田ミョウガ」「小松菜」などの産地の名がつくのもそれだけ身近だったからに違いない。400年の伝統があるだけに話題はつきない。その歴史を振り返り思いを綴った結果が200頁を超える「江戸東京野菜 物語篇」になった。

輸入ギョーザ中毒事件をきかっけに食の安心安全の問題がクローズアップされ、外国依存の恐ろしさを消費者は深刻に受け止めるようになった。身土不二、地産地消などの言葉が広く知れ渡り各地で伝統野菜復活の動きが出てきている。

その象徴として日本の首都東京には江戸東京野菜があり、その東京で地場産野菜を栽培する志の高い農家や関係者がいることを広く知ってほしいというのも本書執筆の動機の一つでもあった。本書を是非手にとって、多くの方に江戸東京野菜に興味を持ていただき、食の安心安全の問題だけでなく、身近な都市農業が持つ食を支える力、さらにはスローフードのあり方や地球に優しい食文化への理解と発展につなげていただければ幸甚だ。

2009年07月30日

「大人の食育」学習会「地域食材と江戸の食文化」のパネラーとして招かれる



NPO法人 良い食材を伝える会では、2009年度 農林水産省 にっぽん食育推進事業を受託して、「大人の食育」学習会 「地域食材と江戸の食文化」を、2009年7月26日 家の光会館 コンベンションホールで開催した。


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この様子は、「良い食材を伝える会」のホームページで紹介された。

上の画像をクリックする
今回「大人の食材」にお招きいただけたのは、中村靖彦塾長が、小さくてもいいから志のある人が集い、食や農についての勉強をして、お互いを高めあう場が必要だとの思いから生まれた「食材の寺小屋」で話をさせていただいたからで・・・・、

2005年7月 3日 発足まもない食材の寺小屋にお招きをいただき、「江戸東京農業名所めぐり」の話をさせていただいたことは当ブログで紹介している。


2009年07月17日

美味いもん倶楽部 家呑みのススメ編(芳文社)が発刊された。



週刊漫画TIMESで昨年3月から連載されてきた、本格野菜コミック「愛・菜彩」(作/ 桜井和生・画/ 幡地英明 )は、昨年11月に美味いもん倶楽部 冬の絶品つまみ編に一部挿入されて発行された

今回は7月16日、本格野菜コミック「愛・菜彩」の残った作品を掲載、美味いもん倶楽部「家呑みのススメ編」として芳文社 から発行された。


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上の表紙をクリツクする







2009年06月20日

「よみがえれ! 江戸東京・伝統野菜」の連載が、都政新聞で始まる


江戸東京野菜のメデイアへの露出度が高まってきた中で、東京都や各自治体の議員や職員等に読者の多い、都政新聞社では、東京の農業を紙面の中で連載していく企画が生まれ、東京都農林水産振興財団に、相談があった。

これまでも単発だったが、東京の農業についての紹介記事が掲載されていたが、今回は連載するという。
ありがたい話だ。



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この企画、第1回は、「寺島なす」で、5月の連休明けに墨田区立第一寺島小学校で栽培の二日つが始まったばかりだったことから、紹介したもの。

尚  同紙では、HPで紹介するという。


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2009年06月15日

6月13日に、京橋大根河岸青物市場跡碑 建設50周年のイベントが行われた


6月13日に、京橋大根河岸青物市場跡碑 建設50周年のイベントが、京橋大根河岸会(石川勲会長)の主催によって行われ、当日は私も招かれた。

京橋大根河岸は、昭和10年(1935年)中央卸売市場が築地に開設されたのを機に当時の問屋集団が卸売会社を結成し築地市場に移転した事から、会長の石川氏は東京中央青果株式会社の社長で、東京シティ青果の会長をされている。
 

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2009年6月13日撮影


上の写真をクリックすると式典の様子


昭和34年6月、大根河岸当時の問屋が集い、京橋大根河岸青物市場跡碑を、京橋の地に建立したもので、早50年の月日が流れた。


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2009年06月01日

【6月号】 京橋大根河岸青物市場跡


このほど「京橋大根河岸記念碑建設50年を祝う会」の主催者(京橋大根河岸会)から招待状をいただいた。昭和34年6月に記念碑(下の写真)が建立されてから50年という節目だが、この50年日本は大きく変わった。都民の食生活を支えてきた築地市場も、食生活の多様化、人口の増加による都市の発展の中で、すっかり手狭になってしまい、新たな移転先が騒がしくなっている。

昭和34年というと、4月に皇太子殿下と美智子様の結婚式があり、その前年は東京タワーが完成している。丁度、私が高校に入った頃だから、30年代初めの数寄屋橋や京橋も、そしてよどんだ川面も記憶に鮮明に残っている。大根河岸の青物市場は昭和10年に中央卸売市場法の施行で泣く泣く築地に移転し、その後、首都圏整備計画によって32年に外堀が埋め立てられて数寄屋橋ショッピングセンターがオープンする。これら運河は水が抜かれたりビルが建設されたり、京橋川も埋め立てられて、昭和37年には、日本で始めての高速道路に生まれ変わった。「京橋大根河岸青物市場跡」が設置されているあたりは、京橋の袂に当るが、屋上が高速道路になっているビルの壁面(写真左のビル)に圧迫されて、河岸から水面を見下ろす開けた景観と面影はまったく無い。


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京橋の青果市場には、江戸の昔からなぜか大根の入荷が多かったことから、誰云うとなく大根河岸と云われるようになった。ダイコン河岸ではない、粋でイナセな江戸っ子は「ダイコ河岸」と呼ぶ。

葛飾方面からは中川を下り、小名木川を通って、深川口から隅田川を横断、八丁堀から京橋川に入って、大根河岸に荷を付けた。特に、3月から4月にかけては、小振りの亀戸大根が大量に入荷している。また、12月には、練馬ダイコンが産地から牛馬によって大根河岸に運ばれた。かつて杉並で農業をされていたお年寄りに昔聞いた話だが、「昭和の始め、父親が荷造りしておいてくれた牛車に乗って夜中の2時頃家を出た。下り坂を選んで京橋まで、5時間もかかったが、途中居眠りをしても牛は可愛いもので慣れた道を京橋まで連れて行ってくれた。 河岸に着くと市場の若い衆が寄ってきて、大根を下ろし、牛は若い衆が河岸のはずれの牛を繋いでおく場所に連れて行き、干草を与えたり水を飲ませたりしてくれた。京橋にもそんな時代があったんだ。」

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2009年05月01日

【5月号】 江戸近郊で栽培されていた京菜


若い人たちが生野菜のサラダで食べるようになったことで一気にブレークした野菜が水菜だ。 細長い葉はのこぎり状の切れ込みがあり葉柄が白いお馴染みになった野菜は、においが無く淡白で、サクサクした歯ざわりが好まれている。この野菜、今では、交配種も売り出され、しかも若採りで手ごろな大きさで収穫するから、周年栽培が可能となった。足立の新井宏治さんは平成16年1月から若採りで栽培し始めているが、その後生産者が一気に増え、新井さんも栽培面積を増やしたという。



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水菜は江戸近郊で栽培されていた。江戸でつくられ始めた頃は細い葉柄から名付けて糸菜と呼ばれていたが、その後、京都の野菜という意味で、京菜と呼ばれるようになった。江東区史(上)によると、京菜は嘉永年間(1848〜1854)には砂村(江東区北砂、南砂)からタネを取り寄せて尾久村(現荒川区)で栽培が始まっている。また、奥戸(現葛飾区)では安政年間(1854〜1860)に、古くからの産地亀戸からタネを取り寄せて栽培が始まったとあり、その後、江戸川から葛飾、足立と産地は広がっていく。明治45年の記録によると反当りの収入では小松菜の倍の値段で取引され、大正期になると栽培はさらに盛んになり大正11年には小松菜に比べて反収3.5倍にもなっている。 大きさは白菜ぐらいで、細く切れ込みのある葉はブッシュのようにボサボサで、当時は、塩で漬けた漬物が絶品で、鍋物でも美味しかったが、核家族が増える昭和40年代からは大きすぎて食べきれないと売れず、江戸から続いた栽培は途切れてしまった。

先月末に、京菜(固定種)の栽培にトライしたのが、小平市小川で江戸東京野菜を栽培している宮寺光正さん、冬の野菜だが、若採りしようとタネを蒔き試作を始めた。市販の水菜と比べて、食感や味、それに匂いなど、違いが出ればいいのだがとは宮寺氏。

Timely

2016年東京オリンピック・パラリンピック招致に伴い、IOC評価委員が来日していたが、18日には委員を招いての公式晩餐会が赤坂の迎賓館で行われた。

ディナーは日本流の「おもてなしの心」で迎え、「季節感を大切にし、日本でなければ食べられない食材を、五感を通して楽しんでいただけるように工夫しました」と細やかな心遣いをうかがわせた。

それが、「江戸の食材」として、「小松菜」「亀戸ダイコン」「千住ネギ」などが使われたことで、翌日のNHK「おはようニッポン」で紹介された。

東京オリンピック・パラリンピックだけに東京の地場産野菜として話題の江戸東京野菜が食材に使われたことはタイムリーで、生産者も元気が出るというもの

2009年04月01日

【4月号】 横十間川と江戸東京野菜


家康が江戸に入って(天正年間)すぐに取り組んだのが、千葉の行徳から塩を江戸に運ぶための小名木川開削である。やがて小名木川は物資を輸送する舟運の大動脈となっていくが、幕府は城東地域の開発のために、万治年間(1658-1661)、幾つもの堀を開削する。竪川や北十間川を初め、小名木川や竪川と交差する大横川に横十間(18m)川だ。この大横川や横十間川、戦後、トラック輸送の発達等で本来の目的を失ったことや、工業地帯として発展する一方、地下水のくみ上げから地盤沈下が発生し、0メートル地帯となり水が溢れるおそれ等から、江東区ではこの川を埋め立て、昭和61年に親水公園として開園している。



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この横十間川親水公園内に田んぼ(250u)があるが、この田んぼを活動拠点としているのが「田んぼの学校」。

今年で8年目、保護者も生徒で子供と一緒に田んぼに入って、田んぼを学ぼうと活発に活動している。2年前このグループのリーダーのお一人から、野菜にも取り組みたいが、歴史ある横十間川の場所で栽培するのだから江戸東京野菜をつくりたいとの相談があった。

江戸東京野菜の講演会や、小松菜シンポジウムにも参加されるなど、熱心に研究され、昨年は亀戸ダイコン、伝統小松菜、滝野川ゴボウなどにも挑戦された。

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2009年03月28日

財団法人・東京都農林水産振興財団では、平成20年度の取り組みを資料化。


財団法人東京都農林水産振興財団は、かつての東京都農業試験場(現・東京都農林総合研究センター) を組織内に持つ財団で、さらに広く、消費者や子どもたちの農業に対する理解の促進や食育活動を通じて、健康な心身と豊かな人間性を育むことも、事業のひとつになっている。

平成20年度からは、かつて役員として席を置いていた東京都信用農業協同組合連合会からの寄付を受け、「都民と進める食と農の体験事業」を実施してきた。

 これまでの、1年間の事業実績をまとめた「都民と進める 食と農の体験事業実績集」を発行したもの。


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昨年4月から財団法人・東京都農林水産振興財団にお世話になって、食育アドバイザーの肩書をいただいたので、江戸東京野菜の復活普及をとおして食育授業させていただいた。

上の写真をクリックする
まずは、江戸の文化年間に記された成形図説にも掲載されている「品川カブ」を使って、品川区立小中一貫校「伊藤学園」の9年生を対象に実施した。

そもそもは、品川カブは東京シティ青果の野田裕さんに託したもので、野田さんが品川カブを探していた北品川の青果商大塚好雄さんに提供したことから始まった。

また、来年度からは、墨田区東向島が「寺島」であった時代の産物「寺島ナス」の栽培が、第一寺島小学校で実施されることが決まっていて、三鷹のナス農家・星野直治さんが苗を作ってくれていて、今後指導も戴けることになっている。