2010年06月01日

【6月号】 島からの便り「島レモンと明日葉(アシタバ)」


小笠原には、天保元年(1830)、無人島であった父島にハワイから最初に移住した欧米系の人達により、バナナが持ち込まれました。(農業説明板より)とある。

まだ、施設栽培がなかった戦前では、冬至にカボチャが常夏の小笠原から入荷したが、ビニール等の農業資材の発達で本土における栽培が可能となったことから、返還後の小笠原の農業は戦前とは全く変わってしまった。

地産地消、東京の食にこだわる飲食店が増える中、島から便りが届いた。



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復帰後40年の歴史の中で、商品化された農産物も多いが、小笠原の島レモンもその一つだ。

小笠原の亜熱帯農業センターの佐藤澄仁氏によると、八丈島の菊池雄二氏が昭和15年,ミクロネシア共和国のテニアンから持ち帰った苗が起源とか、それを昭和48年,菊池氏の子女沖山ルリ子さんが父島に持ち込んだもので、商品名を「島レモン」。

また、三宅島から届いた便りには、アシタバが写っていた。

アシタバは、日本原産でセリ科シシドウ属の多年草植物。「今日葉を摘んでも明日には新しい葉が出る」ことからその名がある精力の強い植物。ビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富なことから不老長寿の植物とも言われていた。

この栽培が面白い、文政十年(1827年)にまとめられた古文書「八丈実記」によると、ハンノキの近くにアシタバを播種することで、ビタミン豊富な高品質アシタバ栽培が可能になるということで、島では昔からアシタバはハンノキとの共生で栽培している。


フードボイスのバックナンバーは2010年7月以降はここから

2010年05月01日

【5月号】 江戸東京野菜を栽培するエコファーマーたち


環境にやさしい農業を推進している東京都農業振興事務所では、エコファーマー認定制度を実施している。

この制度、「持続性の高い農業生産方式の導入の促進に関する法律」持続農業法(平成11年7月28日施行)に基づく制度で、4月と10月の年二回、東京都知事が作物別に生産者を認定している。これによって認定されたエコファーマーは現在623名となっている。

現在、各地区農業改良普及センターが普及員によって生産農家に制度への申請を呼びかけている。

江戸東京野菜の栽培農家はおおむね取得しているが、当研究会としても引き続き申請を呼びかけていく。 



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江戸東京野菜について消費者からよく、農薬や化学肥料などの質問があり、消費者の関心の高さが伺える。

かつて、高度経済成長時代以降、化学肥料に依存した農法により、土壌機能の低下や環境汚染が懸念されていたから、東京都では、化学肥料や科学合成農薬の使用量・使用回数を20%以上削減することと、堆肥などを土に施し地力の保全増進を図ることを定めた「東京都版の指針」を策定し、エコファーマーの認定を行っている。

エコファーマーが取り組む農業技術としては、土作りがあり(写真左上)、堆肥を土に施用することで、水はけ、水持ちが良くなり、作物が育ちやすい土になる。また、防虫ネット(写真右上)により、害虫を寄せ付けず、ビニールを敷く(マルチ)ことによって雑草の発生を抑える。

また、害虫のメスが出す匂いと同様の性フォロモン剤を使い、多量のオスを誘って殺虫(写真右下) 。さらに、黄色粘着トラップ(写真左下)で、コナジラミ類、アザミウマ類、ハモグリバエ類など害虫を誘引し捕殺するなど、エコファーマーが取り組むべき、農業技術が示されている。

安全安心な野菜を生産することは、フードマイレージや地産地消の推進の前提条件になるだけに、生産農家の総加入が望まれている。 http://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/norin/nogyo/eco/eco.html

2010年04月01日

【4月号】 たけのこ


子供の頃を目黒で過ごしたと云うと、「目黒と云うとサンマですね! 」とよく云われる。目黒のサンマは、落語の題材だが、目黒には孟宗竹のタケノコが特産の時代が事実あった。



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安永年間(1772-81)に幕府御用の回船問屋を営んでいた山路勝孝が、現在の品川区戸越に別邸をもうけたたおり、特別な産物もなく貧しい農家の生活が楽になればと、薩摩から孟宗竹の種竹を取り寄せ移植した。地味にも合い、地域には立派な竹林ができて、戸越のタケノコとして知られるようになった。 このタケノコを近くにある日本三大不動尊の一つで、江戸市民の信仰篤い目黒不動尊の門前で、料理屋が春先にタケノコ飯にして食べさせたことから一躍「目黒のタケノコ」として、江戸市中に聞こえるまでなり、遠くから食べに来るようになる。しかし、昭和の初めには、戸越や目黒は都市化が進み、世田谷から城北方面へ、また、三鷹から多摩地区へと産地が移転していった。

京都からタケノコを取り寄せて使っている割烹店の主人に、「こんなバカでかいんじゃ!」と軽蔑されたが、これが江戸のタケノコと云うものだ。昭和初期の写真を見ればわかるが、農家では早朝、自慢のタケノコの出荷作業が写っている。

古い根を掘り起こし新しい根を整えるなど、竹林は整備され大きいタケノコを生産する目黒式孟宗竹栽培法という栽培技術が、大正時代には確立されていた。

加賀野菜のタケノコも江戸から持ってきたと加賀の地では語られているが、これも大振りのタケノコだ。

2010年03月01日

【3月号】 あきる野市の五日市小中野で、のらぼう祭り



2月、3月の企画で、練馬ダイコンを使いたいので、相談に乗ってほしいというメールが例年1月になると入ってくる。 練馬ダイコンとなると沢庵漬けにするため、殆どが12月の中旬頃には抜いて干されてしまう。 それを知らない割烹店から、1月になって練馬ダイコンはないかと注文が入るのはしばしばだったから、今年は生産者に無理に頼み込んで100本ほど抜かないで置いてもらったら、しかし中旬になっても注文が少ない。市場で心当たりに当たってもらったら、「もう春のメニューだヨ」と言われてしまった。 難しいものだ、それでも、その後、江戸東京野菜の展示会や、テレビのクルー等から練馬ダイコンを撮らしてほしいとの頼みがあったりしたのでこれには応えることができた。
(3/12  BS-JAPAN 22:00〜元気プロジェクト放送予定)

立川では、JA東京みどりが、駅近くにある商店街の空き店舗を活用して農産物の直売所を開設したが、江戸東京野菜は話題の目玉商品で、この時期、伝統コマツナ、亀戸ダイコン、金町コカブ、のらぼう菜が並んでいる。



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その「のらぼう菜」、五日市に伝わる伝統野菜だ。明和4年(1767)年、幕府は代官伊那備前守に命じて武蔵国の中山間地域(入間、五日市、川崎など)の農家経済安定のため、菜種油が採れる「のらぼう菜」のタネを配布した。天明・天保の飢餓には、村人たちは、のらぼう菜を食べて命を永らえたと、境内にある「野良坊之碑」に刻まれている。

のらぼう菜は、株元から次々に生じさせた花茎を摘み採って食べるが、 癖のない味で、寒さを耐えた菜は甘みが一層増して、炒めても、ゆでても美味しく、今人気の野菜の一つである。

3月28日の日曜日には、五日市の子生神社では村人達によって10時から13時まで「のらぼう祭り」が執り行われる。 素朴な山間の村祭りに、遠くからやってくる観光客も増えている。
都心からJR中央線で武蔵五日市駅まで1時間、駅から西東京バスで小中野下車。


2010年02月27日

東京都教職員組合栄養部会の学習会で、地元の伝統野菜を探してほしいと依頼される。


従兄の娘・川端富士子から、久しぶりに電話があった。
彼女は練馬区立の小学校で栄養士をやっていたが、最近、東京都教職員組合栄養部会でも、江戸東京野菜が話題になっているからと、毎年2月に行う学習会の講師を依頼された。

依頼書には、「東京都に働く教職員の組合で、教研として将来に向かって栄養職員や学校給食の役割を考え、自分自身への生き方や暮らし方に生かせる機会としたいと思っております。
現在、地場産の食材を給食にと、地元の野菜を少しずつ給食の中に取り入れているところです。
「江戸東京の野菜」の歴史や現在の実情のお話をお聞きし、「みて、さわって、食べて」深めたいと思います。
そして、学校給食に生かし、教職員・子ども達・身近な人達へ・地域の人へ伝えていきたいと考えます。」
とあった。


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上の写真をクリツクする
平成14(2002)年度から小学校では「総合的な学習の時間」が始まり、体験的・探求的学習を目的として地域とのかかわりを重視した学習の時間が導入された。

その年、JA東京グループでは、「次世代との共生」をめざす運動を進めるための重点として、次代を担う子どもたちが農業体験学習を通じて自然や生命に触れ、地域の人々と額に汗し、体験・交流することにより、地域の農業と食料に対する理解を深めてることを目的にした活動を展開していた。


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2010年02月03日

農林水産省広報誌「aff」で、江戸東京野菜が紹介された。


農林水産省広報課から、広報誌「aff」で、伝統野菜の特集をするから、伝統野菜について書いてくれと依頼があった。
昨年、「江戸東京野菜」の物語篇と図鑑篇を出したのを読んでくれたようだ.

2008年9月に、関東農政局が広報誌「Lets農業26号」で特集を組んでから2年になるが、本省の農林水産省広報誌に掲載されるまでになったのは喜びに堪えない。



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「野菜をめぐる新しい動き」として「伝統野菜の実力」が8頁にわたって掲載されたが、
特に、巻頭の「伝統野菜ってどんな野菜?」を、書かせていただいたのは光栄で、東京都農林水産振興財団食育アドバイザーとして掲載いただけたのは感謝だ ! 。

上の写真をクリツクする
同誌には、練馬大根と亀戸大根の他

生産の現場から、亀戸大根を栽培する木村重佳さん
販売の現場からは、品川の青果商・大塚好雄さん

そして、伝統野菜を盛り上げる取り組みとしては
墨田区立第一寺島小学校での寺島ナスの復活
練馬大根引っこ抜き競技大会

小金井市のまち興し大作戦 等、
東京の取り組みをあますことなく紹介した。

2010年02月01日

【2月号】 早春に出回る、江戸っ子が好きな亀戸ダイコン


江戸川の鹿骨で伝統の亀戸ダイコンの栽培に取り組む木村重佳さんは、2月15日と22日の二回に分けて2千本を越える亀戸ダイコンの種を蒔くという。かつてよしず栽培の時代には三月頃が亀戸ダイコンの最盛期であったが、ビニールなどの園芸資材の発達・普及で、栽培期間も延び5月の連休の頃までも、食べられるようになった。

木村さんが栽培した亀戸ダイコンは味噌と一緒に瓶に漬けられ、葉付一本の丸ごと味噌漬(450円)として、亀戸天神の藤が咲く連休に売り出される。

江戸の昔から、藤の名所として天下に聞こえた亀戸天神の「藤祭り」、昨今は暖冬の影響で花の咲くのも早く、今年は4月18日頃から4月一杯が花の見頃だろうといわれている。JR亀戸駅から天神様への途中に、その人出をにらんで「すずしろ庵(03-5626-3636)」が開店し、一昨年の暮れ当たりから新商品の味噌漬を売り出した。小ぶりな亀戸ダイコンの漬物は、少人数の家庭でも食べきれる大きさで好評のようだ。


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一方、毎年恒例となった亀戸の香取神社(JR亀戸駅から亀戸天神への途中)で開催される福分け祭りは、今年は例年より一週間早く3月7日の10時から始まる。この福分け祭り、亀戸ダイコンがかつて亀戸の地で盛んに栽培されていた頃、お多福ダイコンと呼ばれていたことから、その福を分ける、めでたい祭として始まり、当日は新鮮な亀戸ダイコンが参拝者に配られる。 そもそも平成10年に亀戸の小学校6校で始まった「栽培の復活」は、収穫した亀戸ダイコンの収穫祭として生まれたのが福分け祭で、当時の小学生達は成人になり、新たに定着した地元の食文化として継承してくれている。


2010年01月04日

AFC フォーラム 2010年1月号に江戸東京野菜でエッセー


日本政策金融公庫の農林水産事業本部の広報誌「AFC フォーラム」の編集協力をしている、青木宏高さんから、11月に同誌1月号のフォーラムエッセーの頁を書かないかと電話がかかってきた。

青木さんは、NPO法人良い食材を伝える会の理事で、「江戸・東京伝統野菜の産地を見て学ぶ」ツアーを企画してくれるなど、早くから注目してくれているので、多くの方々に知っていただくには良い機会なので喜んでお受けした。

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2010年01月03日

東京都公園協会の季刊誌「緑と水の広場」に、「江戸生まれの小松菜」が掲載される


2009年の9月末に、東京都公園協会が季刊誌として発行している「緑と水の広場」東京の自然図鑑に、「江戸生まれの小松菜」について執筆をお願いしたいと (株)シーエスプランニング編集ルームの三品和彦氏から既刊誌と共に手紙を戴いた。

この季刊誌、都民を中心に広く一般の方々に、東京の緑と水および自然に対する関心と知識を深めてもらうとともに、都立公園・庭園の魅力、公園協会の事業を紹介している。

「東京の自然図鑑」(植物)は、東京とのかかわりでさまざまな植物を取り上げ、その生態や生息、保全の現状、また、種類によっては歴史や文化・生活との関わりなどを紹介していて、

これまでに野菜で取り上げたのは「東京のウド」だけで、27号で東京都産業労働局農林水産部農芸畜産課で野菜の専門技術員をされていてる高尾保之氏が書いていた。



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2009年度の冬号として2010年1月に送って戴いた。

上の画像をクリックする


・江戸の野菜生産事情(江戸生まれの野菜品種は多い、その理由)
・現在、東京は食稚自給率最下位であるが、
その中でコマツナは全国第2位の生産量
・コマツナとはどのような野菜なのか
(祖先は中国から伝来したカブなど)
・江戸におけるコマツナ生産および名前の由来
(大切な冬野菜、葛西菜から小松菜へ)
・江戸での食され方、雑煮に欠かせない野菜
・現在の東京におけるコマツナ生産事情など・・・。


撮影協力を戴いた塚越農園の園主塚越弘さんは、小松菜栽培のリーダーとして、2008年4月に、東京都農林総合研究センター江戸川分場で開催されたシンポジウム「小松菜の明日を考える」で発表している


2010年01月01日

【1月号】 早春の香り、東京ウド


新春を寿ぎ、穏やかな新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。我が家では、正月の一品にウド料理は欠かせない。ウドは平城宮跡の近くから出土した木簡にも書かれているなど古くからある野菜だが、ウドの軟化栽培が江戸に伝


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わったのは文化年間(1804-18)に練馬の石神井に伝わり、また一説には文政年間(1818-30)に杉並の井荻村に伝わり「井荻ウド」と呼ばれていた。戦後、東京では関東ローム層を利用した穴蔵栽培法が開発され、現在、「東京ウド」「立川ウド」のブランドで取引されている。真っ暗闇に真っ白なウドが林立する幻想的な光景が、収穫作業とともにテレビでも映し出されるものだから、消費者は、穴蔵にタネを蒔くものと思い込んでいる消費者が結構いる。ウドは春に畑に芽株を植え込む。 夏には大きく成育し、秋には花も咲く。そして、冬になり霜が降れば、霜げて地上部は枯れてしまう。枯れてもしばらくは畑に放置されるから、「収穫もしないで、枯らしてしまった」と、都会には批判する人もいる。しかし、これがウド栽培の重要なポイントだ。 春になったら芽生える芽をたくさん付けた根株を休眠させるための手段で、その後、掘り出して保冷庫に貯蔵する。そして、出荷時期に合わせて、3〜4メートルの地下に掘られた穴蔵に根株を植え込み。 温度をかけて目覚めさせると、春が来たかと真っ暗闇で発芽、生育するものだから、真っ白な肌のウドが生まれる。また、ウドはウコギ科で、朝鮮人参と同じ仲間だ。秋に咲く花をてんぷらにしたり、サッと湯がいて酢味噌で食べるとオツな味だ。たくさん食べるものではないが、珍味といっていい。そんな話を山形の庄内でしたら、ある人が、「子供の時に、親から毒だから食べるなと云われたが、食べられるのか?」と真面目に質問された。子供には食べさせたくない何らかの事情があったのだと思うが、うまい。

2009年12月20日

The Japan Times が、江戸東京野菜について書いてくれた。しかも同社のHPに掲載している。


12月7日にジャパンタイムス紙の小竹朝子記者が、農林水産振興財団の勤め先に訪ねてきた。

数日前に、電話があって江戸東京野菜の「品川カブ」を販売している北品川商店街の大塚好雄さんを取材したが、そもそもの江戸東京野菜について、大塚さんに紹介をいただいたので、お聞きしたいという。




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品川カブ等、伝統野菜がなぜ、栽培されなくなったのか。

伝統野菜と、交配種の違いは何か、小松菜を例に、その違いを・・・

江戸東京野菜には、物語があるとして、
8代将軍徳川吉宗が、小松菜の名付け親であること・・・。

また、5代将軍徳川綱吉の大根の話など・・・、

私の話を、余すところなく書き込んでくれた。





2009年12月02日

公開フォーラム2009「日本の伝統野菜・在来作物のこれからを考える」、山形在来作物研究会から講師依頼。


山形在来作物研究会の江頭宏昌会長から、11月に同会が公開フォーラム2009を開催するからと、講師依頼があった。

テーマは「日本の伝統野菜・在来作物のこれからを考える」というもので、趣旨には、「在来野菜研究の先駆者である青葉高氏は地方の在来種を『生きた文化財』と表現した。伝統野菜・在来作物の持つ本当の魅力とは何か、これからの望ましい活かし方とは何か。講師の先生、参加者の皆さんとともにその本質に迫りたい」とあった。

山形在来作物研究会からのご指名は、名誉なことで喜んでお引き受けした。

前日の昼までにホテルにチェツクインする予定で、新幹線で新潟に行き、そこから
鶴岡に向かったが、新潟から乗り込んだ急行で、野菜文化史研究センター代表の久保功先生と一緒になった。



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フォーラム関連行事として、交流会と見学会が企画されていて、28日18:30からレストラン「イル・ケッチヤーノ」で交流会。
翌日には、現地見学会:11月29日(日)8:30−11:40
余目・亀の尾の里記念館〜平田赤ねぎ生産地〜産直めんたま畑〜山形大学。
交流会および現地見学会へはホテルよりバスで送迎すると云う。


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2009年12月01日

【12月号】 早稲田ミョウガを探しませんか !


今年の8月に足立区興野で、昔から栽培してきたという銀マクワ(本田ウリ)の栽培農家が見つかった。
このニュースは、まだまだ東京の片隅に伝統野菜がひっそりと息づいているのではとの期待を抱かせる明るいニュースであった。



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早稲田の穴八幡宮にある江戸野菜「早稲田ミョウガ」の説明版


江戸っ子が好んだ「早稲田ミョウガ」も早稲田のいずこかに、こっそりと生きているのではないかとの、思いに駆られている。
早稲田ミョウガは、全体に赤みがかり、大振りで独特の香りで、薬味や味噌汁の具、ヌカ漬など、江戸っ子に好まれた。
田山花袋の「東京の三十年」には、「早稲田から鶴巻町へ出て来るところは、一面の茗荷畑で、早稲田の茗荷と言えば、野菜市場にもきこえたものであった。」とある。花袋が明治14年(1881)に上京してから三十年間の変遷を記したものだが、明治15年大隈重信によって早稲田大学の前身・東京専門学校が田圃の中に設立されると、その後、辺りはしだいに学生達の食堂や書店、下宿屋などが出来る。
夏目漱石の「硝子戸の中(初版大正4年)」で「早稲田に移ってから、私はまたその門前を通って見た。表から覗くとくと、何だかもとと変らないような気もしたが、門には思いも寄らない下宿屋の看板が懸っていた。私は昔の早稲田田んぼが見たかった。しかしそこはもう町になっていた。」とあり、明治の終わり頃には、早稲田ミョウガは田圃と同じ運命をたどっていたようだ。しかし、神社やお寺の片隅、昔から残る屋敷の一角にしぶとく残っているのではとの期待も捨てきれないでいる。
早稲田ミョウガの捜索活動は、昔の早稲田や地理に詳しい方を探してからだから来年の春以降になるが、見つかったあとは何年かかけて増産する。 
夢にまでみた早稲田ミョウガを刻んだ薬味。 内藤新宿ゆかりの八つ房の唐辛子とともに「そば」の薬味として食べてみたいのは、私だけだろうか。

2009年10月31日

10月30日、NHK「視点・論点」で「食育の秋」を語る


NHK教育テレビで放送している「視点論点」については、今年の3月12日に、「今話題の、江戸東京野菜」をテーマにお話ししたが、

その時、スタジオからの帰りがけに、解説員室の吉川恵美さんから、「またお願いします! 」と云われたが、その場は社交辞令と受け止めていた。

以後、江戸東京野菜の取り組みは、各地で活発な取り組みが行われていた。
そんな中で、9月の初めに、吉川さんから再び電話をいただき、「その後どうですか! 」と云うもの、

食育アドバイザーとして、お断りするのもいかがかと、即答でお引き受けして、10月の日程が決まったもの。



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上の写真をクリックする
今回は「食育の秋」について話した。
江戸の食生生活は、ビタミンB1欠乏傾向だったこと、食事バランスガイドを参考にした食生活が大切。
そして、寺島なすの復活させた小学校での取り組み、季節限定の野菜だということなどを話した。







2009年10月30日

体験学習「江戸・東京伝統野菜の産地を見て学ぶ」のガイドを任された。


「地域食材と江戸の食文化」について「大人の食育」が7月に行われたが

10月には、体験学習が予定されていた。

10月27日【城東コース】で、10月28日は【城北コース】としてガイドを依頼されていた。

両日の内容は、青木宏高理事が纏めて、同会のブログに掲載した。



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上の写真をクリックするとリンクする
開度をお受けしたことで、城東コースは、2004年に青木理事をご案内したコースをベースに構築したもの。

また、城北コースは、滝野川ゴボウは輪島一成さんにお願いしたが、三富新田は元埼玉新聞記者の中西博之さんが担当された。


2009年10月01日

【10月号】 東京の食材にとことんこだわる  「mikuniMARUNOUCHI」


フレンチ巨匠の三国清三シェフが9月3日丸の内にmikuni MARUNOUCHIをオープンした。
2004年に雑誌ソトコトの企画で、東京の農業などを取材していただいて、生産者の生きざまを知っていただいたのが、シェフを東京の農業にこだわらせるきっかけになったと思っている。


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今年の5月に、新宿御苑でシェフと地産地消のトーク企画があったことは新聞にも書いた。

上の画像をクリックする
その時、丸の内店を、江戸東京野菜を始め、東京の食材にとことんこだわった店にしたいと、その思いを打ち明けられた。

東京の旬を教えてくれる、季節限定の江戸東京野菜についても良くご存知だった。

開店1か月前の8月3日に、相談に乗ってくれと、オテルドゥミクニに呼ばれた。
新店舗のスタッフ全員が集まった。

シェフは「僕は北海道の出身ですが、東京には北海道にも負けないぐらいの上質の食材があると云うことを伝えたい」、
そして「東京の食料自給率1パーセントを少しでも上げ、地産地消をテーマの中心に考えています」と言う。 シェフの思いを受けて、江戸東京野菜を始めとする地場産野菜は、当ブログの「江戸東京野菜はここで買えます」の生産者たち。

また、牛肉はあきる野市の竹内牧場の秋川牛、豚肉は東京都畜産試験場が開発したTOKYO X、鶏肉は東京シャモに東京ウコッケイ。

牛乳は東京の酪農家が搾乳した東京牛乳。
魚は、多摩川源流、奥多摩のニジマスにヤマメ、さらに東京漁連の江戸前と伊豆近海の魚。

コメは八王子高月の特別栽培米。
塩は伊豆七島の天然塩に油は利島の椿油と、東京の農林水産物をもろもろ紹介させてもらったが、消費都市・江戸東京には昔から何でもあった。

季節折々の食材は、その旨みを引き出され、目と舌を楽しませてくれるはずだ。



2009年09月01日

【9月号】 江戸東京野菜 物語篇……江戸東京野菜には物語がある


前号で紹介した「江戸東京野菜 図鑑篇」と併せて「江戸東京野菜 物語篇」を執筆して、8月末にようやく校了した。9月中旬には完成して、下旬には書店に並ぶはずである。この物語篇は「1.400年の歴史を伝える江戸東京野菜」「2.江戸東京野菜には物語がある」「3.江戸の食の"柱"は江戸生まれの野菜……食文化研究者・江原絢子さんに聞く」「4.江戸東京野菜復活の取り組み」の4章で構成した。



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江戸が運河の街だったと知る人は少ない。ましてやその運河を利用した舟運の主要な荷が米と並んで野菜だったと知る人はもっと少ないだろう。

急増した江戸の人口を支える大量の農産物は、「河岸」と呼ばれる市場に荷揚げされた。運河と街道を結ぶ拠点に市場が形成されていた。神田須田町にあった神田市場しかり、日本橋川と神田川に挟まれたこの地域は特に舟運の便がよかったからだ。他にもいくつもの河岸が多数点在していた。京橋には「京橋大根河岸」があった。現代的ビルが立ち並ぶ東京の中心地は、ベニスに匹敵するような運河の街であり、野菜流通の拠点だったのである。 

また、江戸は田園都市であったことを知る人も少なくなった。江戸は人口の増加に伴って規模が拡大してゆくが、常に郊外に新鮮な野菜を供給できる場所が必要であった。そうでなければ100万人もの人口を養うことができなかった。江戸東京市中も含め近郊の農村で栽培され、江戸東京人の食卓に上り食文化を育てたのが江戸東京野菜だ。「練馬ダイコン」「滝野川ゴボウ」「早稲田ミョウガ」「小松菜」などの産地の名がつくのもそれだけ身近だったからに違いない。400年の伝統があるだけに話題はつきない。その歴史を振り返り思いを綴った結果が200頁を超える「江戸東京野菜 物語篇」になった。

輸入ギョーザ中毒事件をきかっけに食の安心安全の問題がクローズアップされ、外国依存の恐ろしさを消費者は深刻に受け止めるようになった。身土不二、地産地消などの言葉が広く知れ渡り各地で伝統野菜復活の動きが出てきている。

その象徴として日本の首都東京には江戸東京野菜があり、その東京で地場産野菜を栽培する志の高い農家や関係者がいることを広く知ってほしいというのも本書執筆の動機の一つでもあった。本書を是非手にとって、多くの方に江戸東京野菜に興味を持ていただき、食の安心安全の問題だけでなく、身近な都市農業が持つ食を支える力、さらにはスローフードのあり方や地球に優しい食文化への理解と発展につなげていただければ幸甚だ。

2009年08月01日

【8月号】 江戸東京野菜に取り組む生産者たち


平成19年の正月、農文協の鈴木部長(当時「季刊・うかたま」編集長)から「東京の農業の実力を知らしめ、東京の地産地消の象徴として江戸東京野菜の本を書かないか」との相談があった。「江戸東京ゆかりの野菜と花」(農文協)が絶版となった後、わかりやすい紹介本がほしいとの要望が寄せられていることも知っていたので、引き受けることにしたが、鈴木部長は、物語篇(著書)と図鑑篇(監修)の二冊を同時に発行したいと云うことだった。
 「江戸東京野菜 図鑑篇」 (9月中旬 農文協から刊行予定)

この本では監修を担当したが、カメラマンと編集者を引き連れて江戸東京野菜の栽培に取り組んでいる旧知の代表的生産者を取材した。

かつて都市には農地はいらないという政策が押し進められ、農地の宅地並み課税に都市農業者は反対してきた。都市に農地が必要なんだと、都市の中で果たす農業の役割を一つひとつ訴えてきた生産者たちを、30年ぶりに畑にたずねてみると、そこでは、農地を守り生産に励む懐かしい笑顔が手を休めて迎えてくれた。               
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この本では24人の生産者と17品種を紹介している。訪れてあらためて思ったのは栽培が難しく、大量生産に向かないと消えていく運命にあった江戸東京野菜をつくり続け、あるいは復活させた生産者の心意気の高さである。江戸時代から続く伝統を消してなるものかと、個性ある野菜たちを自分の姿に重ね合わせて栽培に取り組んでおられた。生産者が手にした野菜たちは、「お見事!」という言葉しか浮かばない綺麗な姿形をしている。そうした「いい仕事をしている」生産者とともに江戸東京野菜の姿を図鑑として一冊の本にまとめることができた。読者は、東京にもこんな個性豊かな伝統野菜があったのかと目を見張るに違いない。そして本書は、生産者&JA・研究者・市場・料理人が一体となって江戸東京野菜をもり立て、東京の地産地消を推進するための基本文献となるはずである。書店に並んだ折には是非お買い求めいただきたい。

2009年07月30日

「大人の食育」学習会「地域食材と江戸の食文化」のパネラーとして招かれる



NPO法人 良い食材を伝える会では、2009年度 農林水産省 にっぽん食育推進事業を受託して、「大人の食育」学習会 「地域食材と江戸の食文化」を、2009年7月26日 家の光会館 コンベンションホールで開催した。


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この様子は、「良い食材を伝える会」のホームページで紹介された。

上の画像をクリックする
今回「大人の食材」にお招きいただけたのは、中村靖彦塾長が、小さくてもいいから志のある人が集い、食や農についての勉強をして、お互いを高めあう場が必要だとの思いから生まれた「食材の寺小屋」で話をさせていただいたからで・・・・、

2005年7月 3日 発足まもない食材の寺小屋にお招きをいただき、「江戸東京農業名所めぐり」の話をさせていただいたことは当ブログで紹介している。


2009年07月17日

美味いもん倶楽部 家呑みのススメ編(芳文社)が発刊された。



週刊漫画TIMESで昨年3月から連載されてきた、本格野菜コミック「愛・菜彩」(作/ 桜井和生・画/ 幡地英明 )は、昨年11月に美味いもん倶楽部 冬の絶品つまみ編に一部挿入されて発行された

今回は7月16日、本格野菜コミック「愛・菜彩」の残った作品を掲載、美味いもん倶楽部「家呑みのススメ編」として芳文社 から発行された。


美味いもん倶楽部 (2009-7-16).jpg


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