2007年05月26日

町田地方史研究会主催で二宮尊徳を語る


農民文学者の薄井清先生と、初めて仕事でご一緒させていただいたのは、JA東京中央会が平成元年から取り組んだ「江戸東京ゆかりの野菜と花」 の出版企画が生まれてからで、「江戸東京暮らしを支えた動物たち」「江戸東京農業名所めぐり」と江戸東京農業シリーズの共同執筆者として、ご専門の畜産はもとより江戸市民の生活文化など、何かと親しくご教授をいただいた。

そんなご縁で平成18年9月に突然、お電話をいただきました。

無沙汰をお詫びしたり、近況をお尋ねしたりの後、先生の話は思わぬ展開で、「JA町田市忠生支店の植栽の一角に二宮尊徳翁の石像が奉られているが今年は二宮尊徳翁没後150年で記念シンポジウムを開催するんだ!」との話に、「それは素晴らしい」と、後先考えずに相槌を打ってしまった。




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 忠生尋常高等小学校(現忠生第一小学校)昭和6年度卒業記念として建立された「二宮尊徳像」の数奇な運命を地元の中丸祐昌先生が担当し、薄井先生が、各藩の財政再建などに果たした役割など総論を担当するという。

なにやら興味深い企画なので、相槌を打ちながら聞いていたが、先生は続けて、「わが国の協同組合の創設者としての二宮尊徳翁の話をしてくれないか!」と切り出され、

間髪おかずに「JA東京教育センターの学園長(当時の私)として、打って付けだ」と押し切られてしまった。


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2007年04月12日

日本橋の橋上で初めての「江戸東京野菜」セット販売が大好評。


日本橋料理飲食業組合の野永喜一郎会長(日本橋「ゆかり」の二代目 )から呼ばれて伺ったら、小松菜、滝野川ゴボウ、谷中ショウガ、練馬大根のお料理をご馳走になったことは、当ブログで紹介した。

野永会長は、その後、日本橋架橋96周年として、日本橋の橋上で行われた日本橋祭りで、日本橋から江戸東京野菜をブランド化したいと、橋上で江戸東京野菜の即売を行った。




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当日販売されたのは、千住ネギ、金町コカブ、東京ウド、亀戸大根、小松菜の5品目500円のセット価格で120セット。そして滝野川ゴボウは葉付きの1bもある伝統のゴボウを販売したが、仲卸の三徳と東京シティー青果が応援に駆け付けた。

また、ライターの橋本伊津美さんが日経流通新聞(日経MJ紙)に大きく掲載してくれたので、流通業界を中心に江戸野菜の存在が広く伝わった。

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2007年02月01日

食材の寺子屋から依頼されて、初めて「江戸・東京 農業名所めぐり」を語る


「食材の寺小屋」の企画等を担当している青木宏高理事を、2004年の秋に京橋から葛飾区高砂まで案内したことがご縁で、青木理事がまとめ2005年3月10日に発刊された、「考える大根」にも書かせていただいた。

当時、JA東京教育センターの学園長のポストにいたが、2005年7月3日、江戸東京の農業物語について話をしてくれというリクエストを青木さんからいただいた。

食材の寺子屋は、同年4月に、廃校になった元世田谷区立池尻中学校の教室を借りて開校していたことは聞いていた。



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代表理事の中村靖彦さんは、元NHKの論説委員として農林水産業の分野で説得力のある論説をされていた方で・・・・。

上の画像をタップする。
開会の挨拶をされた後、私を紹介してくれた。


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2007年01月10日

2005年、東京国際フォーラムでの「大人の食育ワークショップ」で講演活動に自信をつけた。


「江戸・東京 ゆかりの野菜と花」1992年10月、「江戸・東京 暮らしを支えた動物たち」1996年3月、「江戸・東京 農業名所めぐり」2002年8月に発刊されたが、この編集者として携わったのが農文協の木村信夫さんだ。

2004年度の農林水産省の補助事業で、「故郷(ふるさと)に残したい食材」を農文協が実施主体として事業を受けたが、それを木村さんが担当した。

木村さんは農文協を退職されていたが、風土らいふ研究所を興し「フリー編集者」の立場で取組まれ、東京の食材については相談を受けた。

秋冬編として、全国から115食材を決定したが、その中に東京の食材は

亀戸大根練馬大根のらぼう菜柳久保小麦ビール麦の金子ゴールデンの5種を木村さんは選んだ。



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その翌年2005年、有楽町の東京国際フォーラムで、農文協が第2回食育総合展「ニッポン食育フェア」を開催、「大人の食育ワークショップ」を担当した木村さんから、1月15日、16日の両日、東京に残したい食材について、消費者に話してもらえないかと依頼された。

上の写真をクリツクする
木村さんの司会進行で始まったワークショップでは、冒頭木村さんが担当した「江戸・東京 ゆかりの野菜と花」、「江戸・東京 暮らしを支えた動物たち」、「江戸・東京 農業名所めぐり」を皆さんに紹介した。


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2007年01月05日

JAを元気にする曲「JA our country」を山下敬二郎さんが歌う


2001年(平成13年)9月にJA東京スマイルの松丸重蔵常務から、JAの組合員農家を元気にする曲を作りたいので、詩を書いてくれとの依頼があった。

JA東京スマイルは、2001年4月1日にJA江戸川、JA葛飾、JA足立の江東3区の農業協同組合が合併してスタートした。
松丸さんはJA葛飾の参事でしたが、合併により総務担当の常務理事に就任された。

役員に就任されたことで、組合員農家を元気にさせるCDを自費で作りたいからと協力を求められたもので、私でよけりゃと協力をさせていただいた。

松丸さんは、東洋大学時代からカントリーウエスタンが好きで、ギターを弾いていたと聞いている。
ロカビリー3人男(山下敬二郎さん、平尾昌晃さん、ミッキーカーティスさん)の山下さんのファンで、40年代の山下さんを個人的にも支えた続けたご縁で無報酬で歌ってくれたと云う。

山下さんは、ウイリー沖山氏に師事したこともあり、鼻にかかった唄い方が好きで、中高時代の大スターだったから光栄の一語に尽きる。




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11月20日 「JA our country」で詩が完成し、12月9日にはデモテープが完成し、12月14日に開催された東京都農業祭の表彰式で始めて曲を流した。

上の写真をクリックする

2月11日、JA東京スマイルでは、亀有リリオホールに組合員農家女性を集め、西崎流師範の西崎藤枝さんが振付したJA our country」の踊りを発表し指導した。

2月15日 「JA our country」の記事が日本農業新聞全国版に掲載された。


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2000年9月、”森ミドリトーク&コンサート” が開催され、農の生け花が紹介された。


東京都とJA東京グループ、東京都生活協同組合で構成する「都市との共生を!21世紀東京農業記念事業実行委員会」は2000年9月12日、東京都農業試験場創立百周年に合わせ「森ミドリトーク&コンサート」を国分寺市のいずみホールで開催された。

広いステージには、東京都農業試験場で作られたポット植えの、きゅうりやナス、トマトやウド、葉物では小松菜などが並べられ、中央にピアノのSTEINWAY&SONSが置かれ、心和むステージとなっていた。

ハガキでの応募者約300人の都民が来場しました。
 都市農業が新農基法に明確に位置付けられたことを受けて、音楽家の森ミドリさんがリクエスト曲に応え、消費者、農業者などと音楽・トーク、映像を交え、21世紀の東京農業を展望した。




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上の画像をタップする

何人かのゲストに交じって、東京の農家グループの一つ「八王子のぎく会」の濱中洋子さんが、森みどりさんからステージに呼び上げられた。

今回の企画の段階で、濱中さんに「農の生け花」をお願いしていて、ステージには、濱中さんたちが早く来て生けてくれていた。

濱中さんは、JA八王子女性部のメンバーだったが、平成6年、南多摩普及センターの普及員から、会員みんなが楽しんで出来るから「農の生け花」をやりませんかとの指導があった。

「農の生け花」は、毎週金曜日、日本農業新聞に掲載されていて楽しみに見ていたことから、会員を説得し導入に励んだ。
JA八王子川口支店の「八王子のぎく会」では、農の生け花を活動の中心としてきたと云う。


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2007年01月04日

TAMAらいふ21で、「21世紀多摩農業と都市の共存」のパネラーを依頼された。


 多摩地区が東京になって100周年を迎えた記念事業を、「TAMAらいふ21」として 1993年4月25日から11月7日まで、多摩の各地域で実施された。

慶応3年(1867)、徳川幕府は大政を奉還し、明治政府が誕生した。 
その後、明治4年の廃藩置県の施行により、多摩地区の大部分が神奈川県に編入されたが、明治23年頃より多摩地区の東京移管が表面化し、明治26年(1893)に多摩地域は神奈川県から当時の東京府に移管された。

移管についての政府の説明は、東京の飲み水である玉川上水の水源を管理するため、多摩地区を東京府に移管するというものだったが、これには多摩地区からの反対運動もあったようだが短期間に決定された。

TAMAらいふ21協会では、100周年を記念し、21世紀の多摩の生活を提案するため、市民、大学、団体、企業などと、市町村や東京都が連携して多摩全域で365万市民のまちづくり運動が開催された。




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その一つ、TAMAクリエート農業シンポジウムが何度か開催された。
21世紀の多摩における農業、農地のあり方、解決すべき課題等について、様々な角度から議論がされ、

その最後として、第4回「21世紀多摩農業と都市の共存」〜都市農業の新しい展開〜 が武蔵村山市民会館に350人を集めて開催され、JA東京グループを代表してパネラーを依頼されたもの。


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2007年01月03日

1990年5月号の「月刊自治研」、東京の貧困をテーマにの都市農地保全を考える


1990年(平成2) 5月発行の「月刊自治研」vol.32no.368で、東京の貧困をテーマに特集を組むからと、原稿を依頼された。

当時、バブル経済の中で東京は貧困な都市に向かおうとしていた。

目次には、
インタビュー、巨大都市東京の限界・・・力石定一、
対談、東京の空間的貧困を語る・・・寺西弘文+伏せ六郎、
論文、都市内農地保全の意義・・・大竹道茂、
東京の末期的住宅事情の意味するもの・・・前田昭彦 等だ。


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