2007年01月15日

町田地方史研究会主催で二宮尊徳を語る


農民文学者の薄井清先生と、初めて仕事でご一緒させていただいたのは、JA東京中央会が平成元年から取り組んだ「江戸東京ゆかりの野菜と花」 の出版企画が生まれてからで、「江戸東京暮らしを支えた動物たち」「江戸東京農業名所めぐり」と江戸東京農業シリーズの共同執筆者として、ご専門の畜産はもとより江戸市民の生活文化など、何かと親しくご教授をいただいた。

そんなご縁で平成18年9月に突然、お電話をいただきました。

無沙汰をお詫びしたり、近況をお尋ねしたりの後、先生の話は思わぬ展開で、「JA町田市忠生支店の植栽の一角に二宮尊徳翁の石像が奉られているが今年は二宮尊徳翁没後150年で記念シンポジウムを開催するんだ!」との話に、「それは素晴らしい」と、後先考えずに相槌を打ってしまった。




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 忠生尋常高等小学校(現忠生第一小学校)昭和6年度卒業記念として建立された「二宮尊徳像」の数奇な運命を地元の中丸祐昌先生が担当し、薄井先生が、各藩の財政再建などに果たした役割など総論を担当するという。

なにやら興味深い企画なので、相槌を打ちながら聞いていたが、先生は続けて、「わが国の協同組合の創設者としての二宮尊徳翁の話をしてくれないか!」と切り出され、

間髪おかずに「JA東京教育センターの学園長(当時の私)として、打って付けだ」と押し切られてしまった。


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2007年01月14日

「都市農業一筋に」加藤源蔵会長の自叙伝は、まさに都市農業の歴史だった。


2005年9月だったか、JA東京中央会の加藤源蔵会長から、退任時に配布したいので、これまでの自叙伝を纏めたいと云う相談があった。
三大都市圏の都市農業を引っ張ってきた加藤会長の活躍は、常にそばにいて指示を受けていたし、写真も持っていたので、大竹に任せればと信頼していただいたようだ。

経費は心配せずに良いものをつくってほしいと言う事なので、A4判240頁、見開きには必ず写真を掲載するなど、思い切ってできた。

会長の思いもあり、常に聞きながら、仕事の関係の原稿は、私が書いた。
掲載した人は、200余名に上り、掲載した内容は、私にとっても思い出に残るものばかり、都市農業史と云っても過言ではないものになった。

出来た時には、喜んでいただけた。







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上の画像をクリックすると目次

発行後、鈴木俊彦さんが日刊・協同組合通信15589号に書いてくれた。

◎金曜論弾・ 都市農業一筋の人生航路 鈴木俊彦
 東京都農協中央会長や全中副会長などの要職を歴任きれた加藤源蔵氏が自叙伝『都市農業一筋に』を家の光出版総合サービス鰍謔闃ァ行された。
一般に見られる鹿爪らしい自伝ではなく、A4判オール上質紙のグラフィッタなライフヒストリーである。

 大正十五年、当時の豊島郡下練馬村に生まれた加藤氏は、戦時下に立教中学、日本大学に学ぷ。中学時代の柔道着姿、大学時代のマント姿やゲートル姿など、昭和初期の腕白奔放な青春像が頬笑ましい。〃フジヤマの飛び魚〃古橋広之進選手は大学の後輩。日大法科を出て農業を継ぎ、練馬農協の理事となった。

加藤氏は全指連(全中の前身)の長期研修を受講。懇切に対応してくれた職員が大神田啓二朗氏(のち全中国際部長)で、加藤氏にとっては、これが協同組合学習の出発点となった。

 以来、加藤氏は農協のリーダーとして、練馬キヤベツの産地興しと販売促進。園芸センターや市民農園づくりなどで実績を重ね、都市農業の存在価値を強力にアピールし続ける。東京都農協中央会会長としては、宅地並み課税攻勢に体を張って反対し「農と住の講和したまちづくり」を目指して献身的に貢献。

 海外との交流にも情熱を注ぎ、韓国のソウル特別市農協と練馬農協とは姉妹農協〃の協淀を結ぶ。本邦初の国際姉妹農協を実現させたのだった。また、日中農業農民交流協会の会艮として、上海市や大連市などとの農業交流にも目覚ましい成果を挙げる。

このユニークな自叙伝には、田中角栄、三木武夫といった歴代総理から、亀岡高夫、渡辺美智雄などの歴代農相、さらには美濃部亮吉、鈴木俊一、青島幸男などの都知事、野中広務、.鈴木宗男といったラツ腕政治家も華やかに登場「政」と「農」を結ぶ激動の裏面史としても興味深い。

 本書の企画・編集には、元JA東京信連常務の大竹道茂氏が当たり、加藤氏ならではのユーモラスな語り口をまとめたのが『家の光』記者だった荷見明子さん。元全中会長の荷見安氏のお孫さんである。家の光出版総合サービスも史上に残る、示唆に富んだ本を刊行したものだ。その労を多としたい。 

平成18年9月15日発行 日刊・協同組合通信15589号

尚「都市農業一筋に」は、国会図書館、都立図書館、そして練馬区立図書館にも納めさせていただいた。
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2007年01月13日

食材の寺子屋から依頼されて、初めて「江戸・東京 農業名所めぐり」を語る


「食材の寺小屋」の企画等を担当している青木宏高理事を、2004年の秋に京橋から葛飾区高砂まで案内したことがご縁で、青木理事がまとめ2005年3月10日に発刊された、「考える大根」にも書かせていただいた。

当時、JA東京教育センターの学園長のポストにいたが、2005年7月3日、江戸東京の農業物語について話をしてくれというリクエストを青木さんからいただいた。

食材の寺子屋は、同年4月に、廃校になった元世田谷区立池尻中学校の教室を借りて開校していたことは聞いていた。



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代表理事の中村靖彦さんは、元NHKの論説委員として農林水産業の分野で説得力のある論説をされていた方で・・・・。

上の画像をタップする。
開会の挨拶をされた後、私を紹介してくれた。


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2007年01月12日

2005年、東京国際フォーラムでの「大人の食育ワークショップ」で講演活動に自信をつけた。


江戸・東京 ゆかりの野菜と花」1992年10月、「江戸・東京 暮らしを支えた動物たち」1996年3月、「江戸・東京 農業名所めぐり」2002年8月に発刊されたが、この編集者として携わったのが農文協の木村信夫さんだ。

2004年度の農林水産省の補助事業で、「故郷(ふるさと)に残したい食材」を農文協が実施主体として事業を受けたが、それを木村さんが担当した。

木村さんは農文協を退職されていたが、風土らいふ研究所を興し「フリー編集者」の立場で取組まれ、東京の食材については相談を受けた。

秋冬編として、全国から115食材を決定したが、その中に東京の食材は

亀戸大根練馬大根のらぼう菜柳久保小麦ビール麦の金子ゴールデンの5種を木村さんは選んだ。



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その翌年2005年、有楽町の東京国際フォーラムで、農文協が第2回食育総合展「ニッポン食育フェア」を開催、「大人の食育ワークショップ」を担当した木村さんから、1月15日、16日の両日、東京に残したい食材について、消費者に話してもらえないかと依頼された。

上の写真をクリツクする
木村さんの司会進行で始まったワークショップでは、冒頭木村さんが担当した「江戸・東京 ゆかりの野菜と花」、「江戸・東京 暮らしを支えた動物たち」、「江戸・東京 農業名所めぐり」を皆さんに紹介した。


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2007年01月11日

「江戸・東京 農業名所めぐり」発刊(2002.8.8)の物語。


東京都農業協同組合中央会(JA東京中央会)では、1992年に、『江戸・東京ゆかりの野菜と花』を、1996年には『江戸・東京暮らしを支えた動物たち』を企画し発行し、農山漁村文化協会で発売しました。

この2冊の内容は、書籍にとどめるのではなくと、1997年にJA東京グループでは農業協同組合法施行五十周年記念事業として、江戸・東京農業シリーズ前2冊を参考に「江戸・東京 農業の屋外説明板」の原稿が作成された。

平成9年(1997)には、東京都神社庁などの協力により、農業にゆかりある神社などに「江戸・東京の農業屋外説明板」を50か所に設置させていただきました。

そのことは、「江戸・東京 農業の屋外説明板」の建立物語として記されている。

説明板に加え、各区市町村などですでに設置されている農業にゆかりある記念碑なども掲載しして、東京の農業を育んだ地域を訪ねるガイドブック「江戸・東京農業名所めぐり」を企画し、2002年8月8日に刊行した。


 
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上の画像をタップすると目次


出版の主旨は、江戸から明治に至るわが国農業の歴史の中で、野菜を例にとると全国から集まった種が、江戸・東京から全国に広まった。

また、明治政府により内藤新宿試験場が設置され、西欧の最新農業技術などが、全国に発信されるなど、農業のルーツが江戸・東京の歴史の中で育まれてきたことを、知っていただくことも一つです。

21世紀は改革の時代と言われています。忘れられがちな歴史に光をあて、改めて今日の生活を改革していく意味からも、この本が出版できますことは大きな意義があると感じているところです。” としている。

広く都民の皆様に今日の東京農業の意義を共通理解していただくとともに、
 教育の現場では、2002年度から「総合的な学習の時間」が始まり、体験的・探求的学習を目的として地域とのかかわりを重視した学習の時間がもたれます。

 JA東京グループでは、”「次世代との共生」をめざす運動を進めるための重点として、次代を担う子どもたちが農業体験学習を通じて自然や生命に触れ、地域の人々と額に汗し、体験・交流することにより、地域の農業と食料に対する理解を深めていただくことを目的に、先生方や農家の方々の協力を得ながら学童農園の設置に向けて取り組んでいるところです。


同著の「まえがき」にJA東京中央会の加藤源蔵会長は、
「本書の出版に当たりまして、ご支援いただいた関係機関はもとより、編集・執筆にご協力をいただいた農業技術者の方々、貴重なご意見、資料などを提供いただいた方々に厚く御礼を申しあげます。」としたうえで、

加藤会長から編集を任されていたことから「編纂に尽力いただいた東京都信用農業協同組合連合会専務理事の大竹道茂さん、農文協編集者の木村信夫さんはじめ関係者の皆様に心より御礼申しし上げます。」とあえて名前を記していただいた。
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2007年01月10日

JAを元気にする曲「JA our country」を山下敬二郎さんが歌う


2001年(平成13年)9月にJA東京スマイルの松丸重蔵常務から、JAの組合員農家を元気にする曲を作りたいので、詩を書いてくれとの依頼があった。

JA東京スマイルは、2001年4月1日にJA江戸川、JA葛飾、JA足立の江東3区の農業協同組合が合併してスタートした。
松丸さんはJA葛飾の参事でしたが、合併により総務担当の常務理事に就任された。

役員に就任されたことで、組合員農家を元気にさせるCDを自費で作りたいからと協力を求められたもので、私でよけりゃと協力をさせていただいた。

松丸さんは、東洋大学時代からカントリーウエスタンが好きで、ギターを弾いていたと聞いている。
ロカビリー3人男(山下敬二郎さん、平尾昌晃さん、ミッキーカーティスさん)の山下さんのファンで、40年代の山下さんを個人的にも支えた続けたご縁で無報酬で歌ってくれたと云う。

山下さんは、ウイリー沖山氏に師事したこともあり、鼻にかかった唄い方が好きで、中高時代の大スターだったから光栄の一語に尽きる。




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11月20日 「JA our country」で詩が完成し、12月9日にはデモテープが完成し、12月14日に開催された東京都農業祭の表彰式で始めて曲を流した。

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2月11日、JA東京スマイルでは、亀有リリオホールに組合員農家女性を集め、西崎流師範の西崎藤枝さんが振付したJA our country」の踊りを発表し指導した。

2月15日 「JA our country」の記事が日本農業新聞全国版に掲載された。


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2007年01月09日

2000年9月、”森ミドリトーク&コンサート” が開催され、農の生け花が紹介された。


東京都とJA東京グループ、東京都生活協同組合で構成する「都市との共生を!21世紀東京農業記念事業実行委員会」は2000年9月12日、東京都農業試験場創立百周年に合わせ「森ミドリトーク&コンサート」を国分寺市のいずみホールで開催された。

広いステージには、東京都農業試験場で作られたポット植えの、きゅうりやナス、トマトやウド、葉物では小松菜などが並べられ、中央にピアノのSTEINWAY&SONSが置かれ、心和むステージとなっていた。

ハガキでの応募者約300人の都民が来場しました。
 都市農業が新農基法に明確に位置付けられたことを受けて、音楽家の森ミドリさんがリクエスト曲に応え、消費者、農業者などと音楽・トーク、映像を交え、21世紀の東京農業を展望した。




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何人かのゲストに交じって、東京の農家グループの一つ「八王子のぎく会」の濱中洋子さんが、森みどりさんからステージに呼び上げられた。

今回の企画の段階で、濱中さんに「農の生け花」をお願いしていて、ステージには、濱中さんたちが早く来て生けてくれていた。

濱中さんは、JA八王子女性部のメンバーだったが、平成6年、南多摩普及センターの普及員から、会員みんなが楽しんで出来るから「農の生け花」をやりませんかとの指導があった。

「農の生け花」は、毎週金曜日、日本農業新聞に掲載されていて楽しみに見ていたことから、会員を説得し導入に励んだ。
JA八王子川口支店の「八王子のぎく会」では、農の生け花を活動の中心としてきたと云う。


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2007年01月08日

甘藍(キャベツ)の碑建立式典が開催された。


甘藍の碑建立式典が、キャベツの碑建立実行委員会が主催して、平成10年10月6日にJA東京あおば石神井支店で開催された。



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建立した場所は、JA東京あおば石神井支店の駐車場の一部だったが、この地は合併前の石神井農業協同組合発祥の地だった。


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写真集「あすに息ずく 東京『農』の風景」をJA東京中央会編で家の光協会から刊行。


東京の農地は、「新鮮な農産物を都民に安定的に供給する」事は勿論の事、「災害時の避難場所」であったり、「緑ある居住環境の確保」「子供達にとっての情操教育の場」等、さまざまな機能を持っていますが、

カメラを愛する方々に、東京に残された都民共有の財産である、「農」にレンズを向けていただき、さらに、写し出された「農の風景」を通して、多くの都民の皆様に、それぞれの「農」を実感として、身近に感じてもらう機会になれば、それは「健康な都市」、農のある東京の街づくりにも役立つからだ。

このコンテストは、1985年 8月 3日、朝日新聞の東京版に連載された「農の風景・都市と緑」を、下敷きにしている。
 執筆した畦倉実記者が東京の「農」を取材し、農に親しむ人々の表情をよく捕らえた。八重樫カメラマンの写真は、都民ばかりか、農業関係者すら気が付かなかった、「農」を改めて認識させてくれ、しかも、55回にもわたった連載は、東京の農家に大きな自信を与えてくれたばかりか、都民に都市農業の重要性を認識させる機会になった。

「農の風景」は、「都市にとって農地は不可欠」という自説を唱えていた東京農業大学の進士五十八教授(当時助教授)の話に感銘を受けていて、54回と最終回は、進士助教授、深谷和子(東京学芸大助教授)、加藤源蔵会長(都農協中央会)で「農地はもっと身近な半自然」の座談会で閉めている。

連載終了後、朝日新聞では「農の風景〜都市と土と緑と〜」を1986年11月に発行したが、JA東京中央会では、この本を関係機関に配布をしている。

当時、朝日新聞のコラム天声人語には、農の風景を取り上げて「大都市が農地を失い、農の心を失った時、その都市は間違いなく、滅びの道を歩むことになるだろう」と、農地潰しの世論を戒めている。





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JA東京グループでは、この精神を引き継ごうと、1987年から農の風景フォトコンテストの募集を行った。

おりしも、バブル全盛期。東京都心部の地価は高騰し、これが周辺地域に、そして三大都市圏に波及し、さらに日米経済摩擦もからみ、内需拡大策として、都市農地を潰して、住宅建設を促進すべきだとの、論議が罷り通っていた。

フォトコンテストの審査委員長には、農業をテーマにしたカメラマンでは第一人者の、英 伸三先生にお願いし、審査員には、工業社会における、農の役割に着目している東京農大の進士五十八教授、音楽家で園芸がお好きな森みどりさん、自ら畑を耕す俳優の大泉滉さん、児童心理学の学芸大・深谷和子教授と、歴代朝日新聞東京本社写真部長に、お願いした。

また、展示も毎年実施し、東京写真美術館を始め、有楽町マリヨン・朝日ギャラリー、東京芸術劇場、東京都庁展示ホール、中野サンプラザ、立川駅コンコースなど、多くの皆さんに見ていただいた。
御覧になった皆さんからは一様に、「東京にもこんな素晴らしい『農の風景』があったのね!」と、驚きの声が聞かれた。


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「江戸・東京 農業の屋外説明板」の建立物語。農協法施行50周年記念の第25回JA東京大会で、50周年を記念し50本の説明板の建立


「農業協同組合法施行50周年記念 第25回JA東京大会」は、平成9年(1997)10月24日、明治神宮会館で開催された。

農協法が施行されて50年を迎えると云うことから、JA東京中央会では、1年前から記念事業について、検討を行っていました。

これまで、中央会では、平成4年(1992)『江戸・東京 ゆかりの野菜と花』、平成8年(1996)、『江戸・東京 暮らしを支えた動物たち』を刊行しましたが、これら「農」の歴史文化を本にとどめるだけでなく、

農業のルーツは東京にあったことを、多くの市民に知っていただく必要があると提案して、「江戸・東京 農業の屋外説明板」を都内に建立する案が組織として取り上げられていました。




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各区市町村で地域の歴史を研究している学芸員や歴史家の方々にもそれぞれ意見を聞きました。

 また、国際都市東京を意識し、外国人にも理解できるよう、農業の専門用語に卓越した知識を持つ元農林水産省の小畑琢志氏の協力で英文の説明文も添えました。

農協法施行50周年を記念して実施したため、説明板の本数も50本としましたが、すでに各地に先人の功績をたたえた野菜や穀物などの記念碑が設置されており、重複をさけてそれらは除外することとしました。

説明板の裏には、説明板建立の主旨が書かれています。

説明板をどこに設置するかだが、豊作祈願、収穫感謝と、栽培農家が崇敬する産地の神社に建立したいと云うことで、東京都神社庁に要請しました。

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2007年01月07日

 「江戸・東京 暮らしを支えた動物たち」の出版物語


"江戸・東京 暮らしを支えた動物たち" は、
企画・発行JA東京中央会で、平成8年3月31日農文協から発売された。


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上の画像をクリックすると目次


江戸・東京 ゆかりの野菜と花
平成2年に出版されたことは紹介した。

「江戸・東京 ゆかりの野菜と花」は、
都内の小中学校に贈呈したことから、反響も大きく好評だった。

執筆メンバーの薄井清氏
(農民作家・元東京都農業改良普及所で畜産の専門技術員)と
植松文雅氏
(愛隣堂動物病院長・元東京都西多摩農業改良普及所長)は、
江戸・東京シリーズとしての畜産の本も作ってもらいたいと、
企画・発行のJA東京中央会加藤源蔵会長に要請したことから、
会長は快諾した。



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2007年01月06日

「ビール麦 金子ゴールデン 発祥の地」の碑、建立物語。


江戸・東京の農業説明板建立は、農業協同組合法施行50周年記念事業として平成9年に実施されたが、都内に設置した50本の説明板の一つが、「ビール麦の金子ゴールデン」で、育成者・金子家の産土様・豊玉氷川神社に建立した。

平成14年夏、JA東京中央会が伝統野菜の復活栽培の調査の中に、ビール麦の金子ゴールデン(種子)が、独立行政法人 農業生物資源研究所ジーンバンクに保存されていることが分かったことから、改めてビール麦金子ゴールデンの育成者、金子丑五郎翁の功績を称え、ビールの復活を、の声が地元練馬から上がった。

これにより、“種類・二条大麦(ビール麦)、品種名・金子ゴールデン、保存JP番号・00016846
を、平成15年1月に中央会が申し込み、金子ゴールデン記念碑建立実行委員会は同年2月に発足している。




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当初、平成16年には建立する予定だったが、ビール醸造が計画されたことから建立は18年となったもの。

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建立実行委員会(加藤源蔵会長)から、碑文の作成を依頼され、相談役に任命された。

この金子ゴールデンは明治33年に現在の練馬区豊玉の金子丑五郎が、六条大麦品種の「四国」と米国ビール麦品種の「ゴールデンメロン」の自然交維の雑種の中から選び出した品種です。

また、申請によりジーンバンクから譲り受けた僅か120粒の種子を、練馬地区の生産者が3年をかけて収量を600kgに増やし、地ビール醸造は、茨城の木内酒造に依頼し、平成18年10月16日、記念碑建立の祝宴で、金子ゴールデンビールとして振る舞われました。参加者はその歴史とともに苦みの奥に甘みのあるビールに感嘆の声を上げました。



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2007年01月05日

TAMAらいふ21で、「21世紀多摩農業と都市の共存」のパネラーを依頼された。


 多摩地区が東京になって100周年を迎えた記念事業を、「TAMAらいふ21」として 1993年4月25日から11月7日まで、多摩の各地域で実施された。

慶応3年(1867)、徳川幕府は大政を奉還し、明治政府が誕生した。 
その後、明治4年の廃藩置県の施行により、多摩地区の大部分が神奈川県に編入されたが、明治23年頃より多摩地区の東京移管が表面化し、明治26年(1893)に多摩地域は神奈川県から当時の東京府に移管された。

移管についての政府の説明は、東京の飲み水である玉川上水の水源を管理するため、多摩地区を東京府に移管するというものだったが、これには多摩地区からの反対運動もあったようだが短期間に決定された。

TAMAらいふ21協会では、100周年を記念し、21世紀の多摩の生活を提案するため、市民、大学、団体、企業などと、市町村や東京都が連携して多摩全域で365万市民のまちづくり運動が開催された。




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その一つ、TAMAクリエート農業シンポジウムが何度か開催された。
21世紀の多摩における農業、農地のあり方、解決すべき課題等について、様々な角度から議論がされ、

その最後として、第4回「21世紀多摩農業と都市の共存」〜都市農業の新しい展開〜 が武蔵村山市民会館に350人を集めて開催され、JA東京グループを代表してパネラーを依頼されたもの。


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2007年01月04日

“「江戸・東京 ゆかりの野菜と花」の出版物語”


"江戸・東京 ゆかりの野菜と花" は
企画・発行JA東京中央会、平成4年10月31日農文協から発売した。


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上の画像をクリックすると目次に

発行までの経過だが、

昭和60年(1985)、当時東京都農業協同組合中央会(以後中央会)の教育指導部長を命ぜられていたが、

当時、東京都の経済事務所で農務課長をされていた梅澤幸治氏から、これまで栽培されていた江戸東京の伝統野菜が激減していることを聞いていて、二人で憂いていた。

同じ思いの元東京都で農芸緑生課長を歴任された菱沼圭太郎氏が訪ねて来られ、中央会の加藤源蔵会長に農業団体で、伝統野菜の種の保存と採種を行って欲しいと個人的な意見を述べられた。

菱沼氏は、東京都の現状は作りやすい野菜(F1)の研究普及に向いており、東京都は無理と判断して農業団体に依頼に来たものだった。

加藤会長は、野菜の種を採種する専門家も施設も無いことだし、軽々に受けることは難しいと、断ったが、中央会としてはできることから始めますからと、私に対策を考えるように指示された。

とりあえず、現状を調べ始めたが、平成元年(1989)で、
練馬大根、亀戸大根、高倉大根、東光寺大根、金町コカブ、
小松菜(ごせき晩生)、シントリ菜、馬込三寸ニンジン、
下山千歳白菜、奥多摩ワサビ、ノラボウ菜、東京ウド、
馬込半白キュウリ、滝野川ゴボウ、妻もの、の15種だったが、


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2007年01月03日

1990年5月号の「月刊自治研」、東京の貧困をテーマにの都市農地保全を考える


1990年(平成2) 5月発行の「月刊自治研」vol.32no.368で、東京の貧困をテーマに特集を組むからと、原稿を依頼された。

当時、バブル経済の中で東京は貧困な都市に向かおうとしていた。

目次には、
インタビュー、巨大都市東京の限界・・・力石定一、
対談、東京の空間的貧困を語る・・・寺西弘文+伏せ六郎、
論文、都市内農地保全の意義・・・大竹道茂、
東京の末期的住宅事情の意味するもの・・・前田昭彦 等だ。


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