2024年12月17日

JA西東京と青梅市立西中学とのコラボで、沢井の柚子を冬至にお年寄りに柚子湯に浸かってもらおうと寄贈した。



JA西東京の森田美実代表理事専務に、沢井のゆずについて話を
伺った時、お持ちの資料を頂いた。
地元の新聞も入っていて、JA西東京の取り組みも紹介されていた。

今年も地元青梅市立西中学校とのコラボで、地元特養老人ホームに
沢井のゆずを提供する取り組みが実施されると云うので、
伺うと約束をしていた。

JA東京中央会の川並三也さんが奥多摩の治助芋の栽培で森田専務に
お世話になっていることから、川並さんの運転で行くことになった。

9時開会と聞いていたが、信号で止まってばかりで間に合わなかった。





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会場は奥多摩の銘酒「澤乃井」の小沢酒造の柚子園をお借りしていた。
前にも来ているから、場所はすぐわかった。

森田専務が、開会の挨拶をしている所だった。
JAバンク協調型事業教育活動助成事業として続けている。

上の画像をタップする。
JA西東京からは、二俣尾支店の川鍋克美支店長を始め
10名の職員が来ていた。




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2024年11月13日

加藤シェフが江戸東京歴史伝承作物「沢井の柚子」の100年以前の古木を見に行かれた。


港区の田町にあるホテルグレイスリーの加藤仁思料理長を、
始めコンシェルジの仲間10人で「沢井の柚子」の
栽培地を見て歩いていたことは紹介した。

加藤シェフは、早い便で御嶽駅まで行き、多摩川河畔の遊歩道を
歩いて沢井駅で待っていてくれた。

品評会を見に行った後は
100年以上の古木が、地元の鎮守・青謂神社にあるが、
折角ここまで来たのだから行ってみる、というので地図を渡した。

他の参加者は、坂道を15分も歩くのは無理という事で、
加藤シェフは一人で行かれ、その時の写真を送っていただいた。



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品評会会場で買った1キロほどの天然醸造味噌を
ぶら下げて・・・・・。

上の画像をタップする

写真を見ると鳥居横のスペースにある柚子畑には、沢山なっていた。




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2024年11月12日

江戸東京歴史伝承作物の「沢井の柚子」の産地を見に出かけた。


コンシェルジュ11期のLINEに加藤シェフが、昨年11月に沢井の柚子
写真を掲載したことから、江戸期に発行された新編武蔵風土記稿に
記されていることを思い出し、歴史伝承作物として広く知って頂き
後世に伝えていかければならない、作物であると思った。

そこで、沢井の柚子に詳しい福島和夫氏を訪ねたことは紹介した。

今年の江戸東京野菜推進委員会で、
江戸東京歴史伝承作物として認証された。

第46回 三田地区総合文化祭 農産物共進会は、11月10日が
一般参観日と聞いたので、柚子に興味あると云う方々をお誘いした。



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青梅で参加者と待ち合わせをして、東京アドベンチャーラインに
乗り換えて10時10分に沢井駅に到着した。

加藤シェフは折角行くならと、早い便で御嶽駅まで行き、多摩川沿いの
遊歩道を歩いて、集合時間に沢井駅で待っていた。
川沿いの遊歩道で買ったと云って、柚子を見せてくれた。

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参加者の前列左から、
杉田さん13期、佐々木さん2期、高橋さん1期、大塩さん8期、
後列左から、
渡邊さん9期、山口さん12期、加藤シェフ11期、松嶋さん2期、
中山さん5期




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2024年11月10日

あきる野市の石川敏之さんが五日市駅前にセレクトショップを開店した。


あきる野市で“ゆっくり農縁”を拓いている石川敏之さんが
五日市駅前に“五縁堂”というセレクトショップを出店したと云う。
JR五日市駅は、五日市線の終点で、檜原村から都民の森への
玄関口にあたることから、観光客が下車する。



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石川さんがセレクトした「いいもの」を置いているが、石川さんの
ゆっくの農縁の隣にある、ヴィンヤード多摩多摩のワイン
販売している。

檜原のお土産として、鈴木留次郎さんがナツハゼのジャム
持ってきてくれたと云う。

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土・日・祝日は9時半から17時半まで
平日の金・月は11時から18時、だと云う。





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2024年10月05日

奥多摩町の伝統野菜「治助芋」の購入について、協力いただけることになった。


JA東京中央会の川並三也さんが、青梅市、奥多摩町の江戸東京野菜の
普及を行っているJA西東京に行くと云うので、連れて行ってもらった。

事前に森田美実代表理事専務にお約束をしていたので、
江戸東京歴史伝承作物の候補として「沢井の柚子」の話
伺ったり、追加資料を頂いたことは紹介した。



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伝統野菜「治助芋」を普及、栽培を推進している奥多摩町の話を
聞きたいと思っていたが、

午後からは、JA西東京のテリトリーと云う事で 森田専務が都合を
付けて頂いて、奥多摩の伝統野菜「治助芋」を管理している、
一般財団法人小河内振興財団にご案内頂いた。

御嶽駅を過ぎた辺りから奥多摩町で、そこから奥多摩湖のダムサイトを
通過、山梨県境に近い、留浦まで30キロ、

留浦の交差点にあるのが、旧氷川農協小河内出張所跡の
建物が残っていた。

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留浦前の奥多摩湖。下は、峰谷橋を渡って檜原、山梨方面に、

旧小河内出張所脇を北に登っていく



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2024年10月02日

JA西東京では、地元の歴史伝承作物「沢井の柚子」で地元中学生の農業体験を行っていた。


今年の3月に沢井の柚子を購入した加藤シェフがスブレットを作った
事から、改めて沢井の柚子について調べ始めて、JA西東京の
森田美実代表理事専務が、沢井の三田地区ご出身であることから、
沢井の柚子歴史(福島和夫氏著)」を頂いた。

その後、福島和夫さんにお逢いして、沢井地区をご案内頂き
栽培の様子も見せていただいた。

貴重な資料や、百数十年を経た柚子の古木も見てきた。
これによって、江戸東京歴史伝承作物として登録する方向で
進めるべく、改めて森田専務にお話を伺った。



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森田専務は、JA西東京の取り組みについて紹介して頂いた。

上の画像をタップする
新型コロナの影響で中止していたが、10数年続けてきた地元の
青梅市立西中学校とは、JAバンク協調型事業教育活動助成事業
として2022年度中学生農業体験を行ったが、

2023年度は12月27日にJA西東京として実施している。




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2024年08月15日

猛暑が続く中、檜原村の農産物の現状を見ようと、特産物直売所「やまぶき屋」に行ってきた。


檜原村には昨年の9月以来だが、檜原村は特別涼しいことはなく、
それなりに暑いことから栽培には苦労されていた。

檜原村の農産物の現状を見ようと、檜原村観光協会が運営している、
特産物直売所「やまぶき屋」に行ってきた。




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上の画像をタップする。
やまぶき屋には、舞茸とルバーブの案内が下がっていた。




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2024年06月19日

檜原村の鈴木留次郎さんが栽培しているルバーブが大きく成長していた。


毎年、東京女子学院高等学校(大井俊博校長)フードカルチャーコースの
2年生に、SDGsがらみで東京産食材の調理実習も行っている。

この時期は檜原村の鈴木留次郎さんが栽培しているルバーブで
檜原のお土産としに販売しているルバーブジャムの調理をしている。




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檜原村は、平坦なところは少なく、主に宅地になってるが農地は、
斜面で、ルバーブやお稲のつる芋等のジャガイモを栽培している。

上の画像をタップする
ルバーブの希望校が増えたようなので、FCコース担任の穂積栄理教諭に
注文をするようにお伝えしていた。

鈴木さんから、ルバーブの写真が届いた。



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2024年04月15日

「ゆっくり農縁」の石川敏之さんにヴィンヤード多摩に案内してもらった。


石川敏之さんの「ゆっくり農縁」に行くには、車だと五日市街道を
行けばいいが、鉄道ではJR五日市線の武蔵増戸駅下車だと
歩いて10分もかからない。
最近では、この駅まで迎えに来てもらって、今熊神社のミツバツツジを
見に連れて行ってもらっていたり、「ゆっくり農縁」の石川敏之さんに
ヴィンヤード多摩に案内してもらった。
あきる野のワイナリーに行った時も、この駅で待ち合わせている、



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上の画像をタップする
五日市線は無人駅はないが、改札から拝島駅行きの上りホームを見ると、待合室が小屋になっていて、地方の田舎駅を思わせる。



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2024年04月06日

沢井ゆずの歴史に詳しい、福島和夫さんにお会いして、ゆずの産地を案内してもらった。


先日、「沢井ゆず」について書いたが、ゆずに詳しい福島和夫さん
とお話しすることが出来たので、ご無理をいって沢井に行ってきた。

昨年氷川には廃線を訪ねているが、1年ぶりに青梅から
東京アドベンチャ―ラインに乗車した。

いくさばた駅を過ぎると急に、山間地の景色になる。

11時に沢井駅で待ち合わせだったが、遅れては思って一本前の
電車できたので10時半に、沢井駅に着いた。



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沢井駅の手前に、ピンクの花と菜の花が咲いていた。
時間もあるので、写真を撮りに行ってみた。
線路脇の急斜面に生えていた。

上の画像をタップする。
近くまで行って見上げてみたら、モクレンの花だった。
天気も良く、穏やかな日だった。




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2024年03月29日

加藤シェフの「東京産拝島ねぎと沢井ゆずのスブレッド」で思い出した歴史伝承作物の柚子


昨年、江戸東京野菜コンシェルジュ11期の加藤シェフが
原島友幸さんの沢井ゆずを使って
「東京産拝島ねぎと沢井ゆずのスブレッド」を販売した。

また今年の3月始めに紹介した練馬大根のスプレッドには、
「沢井ゆずを使いたかった・・・」と、あった。

東京の伝統作物だから、歴史伝承作物として位置付ける必要かあると、
思って、沢井地区をテリトリーとするJA西東京の、野崎英樹営農課長に
電話で沢井ゆずについての情報調査をお願いした。

野崎さんには現役時代にお会いしていて覚えていてくれたので、翌日、
三田地区出身の森田美実代表理事専務が沢井ゆずの資料を、
お持ちだったと送って頂いた。



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日本酒の澤乃井で有名な青梅市・沢井の名産ゆず
上の画像をタップする

頂いた資料には、新編武蔵風土記稿にも、沢井の柚子が
紹介されているとあり、わかりやすく掲載されていた。
この資料は、かつて沢井地区の農協、三田農協の広報や
有線放送電話の責任者だった、大先輩の福島和夫さんが
記されたもので、90前で、御健在であることも分かった。

地元沢井の原島さんが栽培し、出荷しているだけに、
お会いするなどして、更に詳細を調べようと思っている。

2024年03月24日

石川敏之さんから誘われて、生活クラブ生協・東京の「生活クラブ農園あきる野」に伺った。


あきる野市のゆっくり農縁で、無農薬栽培をしている石川敏之さん
から、同じあきる野市にある「生活クラブ生活協同組合・東京」の、
「生活クラブ農園あきる野」で、江戸東京野菜を
栽培していると伺った。

同農園の担当者守屋亜純さんが、石川さんの「ゆっくり農緑」を訪ねて
くれた時に、江戸東京野菜を栽培している守屋さんが、江戸東京野菜
について色々知りたがっていると云うので、案内してもらった。





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収穫中の、のらぼう菜の畑を見せてもらった。

上の画像をタップする。
写真右から、「生活クラブ農園あきる野」の農園長山内弘和さん、隣が前任の農園長木村さやかさん。木村さんは現在青梅市岩蔵のきむら農園で無農薬栽培の狭山茶を栽培製茶している。
写真左が守屋さん、名刺から「政策調整部政策推進課」に
農園は属しているようだ。




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2023年09月22日

群馬県こんにゃく特産研究センターの先生方が、檜原在来こんにゃくの収集に来られた。


先月、8月22日に群馬県農業技術センター内にある、こんにゃく
特産研究センターの南雲顕太技師からメールをいただいた。
こんにゃくをネットで検索していたら、江戸東京野菜通信が
ヒットしたと言う。

東京都で在来種と思われる個体が現存していることは
驚きです。
」とあつた。

わが国こんにゃく流通の9割を生産する群馬県だけに、
特産研究センターはこんにゃくのジーンバンク的役割を
担っているという。

東京の伝統野菜や歴史伝承作物の復活普及に取り組む、
当研究会としては常に情報を発信をしている効果が出た。
お互い新たな出会いを生み出してくれたわけ、

そんなことで、檜原村の藤倉と、湯久保にも出かけ生産者と
話し込んできた。

檜原ではお世話になっている鈴木留次郎さんに相談すると、数馬の
お食事処「木庵」でも在来種のこんにゃくを使っていると云う
情報も入ってきた。





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11月の収穫の頃に、案内すれば良いかと思って居たら、葉や茎で
在来かどうかを判断したいから9月中に案内してほしいという。

そんなものかと、鈴木さんと石川敏之さんに日程調整をしていただいて
20日10時に武蔵五日市駅前ロータリーで群馬の皆さんと待ち合わせた。

林道を走るから軽自動車でと伝えていたが、普通車にスコップなどを
積んできたという。

檜原村役場で、皆さんに鈴木さんを紹介した。
檜原村じゃがいも栽培組合の組合長をしているので、ひのジャガ君の
前で記念写真。
前列右から、ゆっくり農縁の石川さん、鈴木さん、高崎健康福祉大学の
廣瀬竜郎教授(農学部生物生産学科作物研究室)、橋田庸一助教、

後列右から、檜原村地域おこし協力隊の友澤勇紀さん、私、
こんにゃく特産研究センター加藤晃センター長、南雲技師。

この後、檜原村地域おこし協力隊の高野優海さんが合流した。
高野さんは(株)西の風新聞社の記者でもある。

一行は車3台で数馬に向かう。



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2023年09月13日

絶滅危惧種の「ムラサキ」は「東京ひのはら地域協議会」が結成され守られていた。


檜原村の鑾野大豆の種を丸山美子さんがお持ちだというので、
栽培をしていた高橋ハツヱさんのお宅から、丸山さんの車に、
私と石川敏之さんとハツヱさんが乗って向かったことは紹介した。

丸山さんたちが、立ち上げた「東京ひのはら地域協議会」の
やまぼうし計画の一つ「お宝塾」は、
希少植物の調査・保護作業により環境を維持、改善し、
地域自慢を作り出すとして「むらさき」の花が掲載されている。





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檜原のむらさきは、1957年に小沢地区の「松生山」で発見された。

発見された地区の小沢園芸組合から引き継いて、
1995年、草木染愛好会が発足。
その後「松生山」は、針葉樹が成長し日陰になった事から絶えた。

1999年には愛好会から『草木染同好会「いろいろ」』に移行し
2008年に「東京ひのはら地域協議会」が発足し、協議会では
2014年に「檜原在来ムラサキ」を、農業生物資源ジーンバンクに
登録している。

上の画像をタップする
2018年に、ひのはらムラサキプロジェクトが発足し、
松村直美さんが代表に就任した。



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2023年09月05日

檜原村湯久保に伝わる鑾野大豆を守る人々に話を聞き食べてきた。


5月に、武蔵小金井で「わくわく都民農園小金井」で、環境教育を
実践している渡邉裕樹さんと松嶋おおいさんが、あきる野市の
自然農法「ゆっくり農縁」を視察に来たが、オーナーの
石川敏之さんが、生産している野菜を納品している、檜原村の
イタリアン「ヴィッラ・デルピーノ」に案内してくれた。

2011年に檜原村の藤倉地区で、おいねのつるいもを調査しに来て
以来で、オーナーの松村哲朗シェフに、昔来た事を伝えると
覚えてくれていた。

あの時は、丸山二郎さんに案内されて来たもので、伺うところ、
丸山さんの娘さん直美さんは松村シェフのもとに嫁いだと・・・

昼食を註文して待っているタイミングで、丸山美子さんがご友人を
案内してこられるとシェフが知らせてくれた。

お互い、連れがいたので、軽い挨拶程度だったが、帰りに
鑾野(すずの)大豆の栽培を見に来てくださいと、お誘いを頂いた。





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藤倉の在来こんにゃくの調査の次は、湯久保地区の鑾野大豆の
調査の予定だったが、丸山さんから湯久保でも在来こんにゃく
栽培していると伺い、こんにゃくと鑾野大豆を見せてもらった。

上の画像をタップする
大豆は花を咲かせていた。

この大豆橋家では、姑さんが10年ほど栽培した後、
嫁のハツヱさんが引き継いで栽培してきて、湯久保に広がった。

ハツヱさんが「おとうちゃんの大豆」と呼んできた大豆で、
おとうちゃんのご主人政秋さんから聞いた話を
物語としてメモしていた。



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2023年09月04日

檜原村の藤倉にあった在来コンニャクが湯久保の集落にもあると云うので丸山さんと待ち合わせた。


檜原村で栽培されている在来種のこんにゃくは今もありますかと云う
メールが、群馬県のこんにゃく特産研究センターの南雲顕太先生から
頂き、その確認のために檜原村藤倉の田倉信子さんを
訪ねたことは報告した。

2011年に藤倉を案内頂いたのは丸山美子さんで、おいねのつるいもの
調査で、田倉一郎さん、信子さん夫妻を紹介いただいた。




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丸山さんの御主人二郎さんは、藤倉小学校(現在は廃校)に教諭として
着任してから、以後ご夫妻は湯久保住まいで、4人のお子さんを育て、
長男の丸山理太郎さんと、長女の松村直美さんも湯久保住まいで、
大自然の中に親子4人は住んでいる。

丸山美子さんは、村会議員の頃、東京ひのはら地域協議会を立ち上げた
1人で、2007年9月から10年を見据えて2018年頃まで活動を
展開していたが、10年が経過して、個々の活動は独立したので
協議会は発展的に解消した。

「まっこの会」(檜原の言葉でいろりの枠のこと)では、
食と命を考えていくとして、おいねのつるいもの生産と
和玉こんにゃくを栽培し、美子さんが会長を務めている。

写真はハツエさんの実家の畑で和玉こんにゃくの周りの
除草作業を、まっこの会のメンバーが実施しているところ。

上の画像をタップする
黄色の輪が丸山さんのお宅やハツエさんの実家の畑がある。

和玉こんにゃくについては、橋ハツエさんを含めて
丸山さんの「まっこの会」が対応している。



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2023年09月02日

檜原村へこんにゃくの在来種調査に、藤倉と湯久保の集落に出掛けた。


8月22日に、群馬県農業技術センターこんにゃく特産研究センターからメールをいただいた。

南雲顕太とおっしゃる先生で、当ブログ2011年10月16日に掲載した、
檜原村の藤倉地区で伝統野菜に巡り合う (藤倉編)」がヒットし、
まさか東京に在来種があるとはと驚いたようだ。

群馬県はこんにゃくの大産地だけに ”こんにゃく特産研究センター” が
設置されていて、メールによると、日本各地のこんにゃくを
収集・栽培保存し、交雑育種や試験研究等に活用しているという。

昔は日本各地にあった地域固有の在来種も今や消失の危機に瀕して、
同センターの使命は、全国の種を保存することだという。

写真を見る限り "在来種" もしくは "備中種" と思われ、
2011年のこんにゃくが現在も栽培されているのか、
教えて欲しいとのこと。





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栽培をしていたのは藤倉の、田倉一郎、信子夫妻で、
2017年にも行っているが、その時は白岩ウリの調査で伺った。

在来種を守っていると云っていたご主人や田倉亨さんは
亡くなられていて、こんにゃくの事は聞きもしなかった。

上の画像をタップする
藤倉の尾根の黄色い輪が、田倉信子さんの家。

南雲先生の説明からして貴重なものであることが分かり、
東京の歴史伝承作物として、認定しておく必要もある。

あきる野市の自然農法「ゆっくり農縁」のオーナー
石川敏之さんにお願いして、車を出していただき、
JR武蔵五日市駅で待ち合わせをした。



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2023年06月26日

檜原村の鈴木留次郎さんを訪ねる前に立寄った、あきる野市。


向笠千恵子先生を檜原村の鈴木留次郎さんの畑にお連れした。

拝島駅で10時に待ち合わせをしていたが、高速道路が混むと
いけないからと早く出てきたようで、9時に到着したと電話1(プッシュホン)がった。
こちらは、自宅を出たところだったので、しばらく待って頂いたが、
それでも早く待ち合わせ場所についた。




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檜原の鈴木さんとは、11時の約束なので、檜原までの途中で、
あきる野市増戸にある「ゆっくり農縁」に案内した。
オーナーの石川敏之さんの了解を取ってのこと。
今月初めに松嶋あおいさんと来ている。

上の画像をタップする
雨が降っていたので、草が濡れていた。



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2022年10月07日

檜原村の鈴木留次郎さんから大きな天然舞茸が届いた。


檜原村で、江戸東京野菜の白岩ウリや、おいねのつる芋を
栽培している、鈴木留次郎さんから夕方電話を頂いた。

鈴木さんは、今年7月に「ベテラン農家は語る」を新宿でお願いした。

天然の舞茸が採れたので、届けるからというので、
お礼を云って電話を切った。

何でも、鈴木さんが内緒にしている樹齢70年-80年の、コナラが
山中にあり、2-3年に一度、根元に大きな舞茸が生えるという。

夏場の暑さと、この所急に寒くなって雨模様なので、昨晩奥さんと
明日(6日)あたり生えていると、話していたそうで、
案の定大きな舞茸が収穫できたという。





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上の画像をタップする
19時半に、あきる野市で自然農法に取り組んでいる
石川敏之さんが、大きな舞茸を持ってきてくれた。

こんなにたくさんの舞茸をもらっていいのか聞くと、
私の分もありますから、というので、遠慮なく頂いた。

「天ぷらにしろ、キノコ飯でも美味しい」と、鈴木さんの奥さんから
聞いたと教えてくれた。

コナラはブナ科の落葉広葉樹で、檜原の山にはたくさん自生している。
かつては薪炭に使われていたが、現在はシイタケ栽培のホダ木として
も使われていて、
ドングリの木としても知られ、小動物のエサになっている。

檜原村倉掛には "きのこセンター" があり、舞茸を生産しているが、
頂いたのは天然物だから貴重だ。

改めて、鈴木さんありがとうございました。


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2022年08月22日

白岩ウリの収穫が始まったと云うので、檜原村の鈴木留次郎さんを訪ねた。


先日、府中市の伝統野菜を栽培している石川孝治さんの真桑ウリを
購入したことは報告したが、あきる野市で自然農法をしている
石川敏行さんにも味わっていただこうと、五日市線の武蔵増子で
待ち合わせをした。

石川さんは、早く来て改札で待っていてくれたが、折角だからと
檜原村の鈴木留次郎さんの所に案内すると云う。
石川さんは鈴木さんの情報を持っていて、檜原村の伝統野菜
「白岩(しらや)ウリ」の収穫が始まったと教えてくれた。
それならと、石川さんにお任せして、車に乗り込んだ。

鈴木さんには、先般コンシェルジュ協会が実施した講座
ベテラン農家は語る」で講演をしていただいているので、
改めてお礼を伝えなければとの思いもあった。







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檜原村に近づいたところで、鈴木さんに電話をして
待ち合わせ場所の圃場に向かった。

鈴木さんの圃場は幾つか分かれていて、今まで貸していた畑が
戻ってきたと云う平坦な圃場で、白岩ウリを栽培していた。
白岩ウリは、一般的キュウリの栽培と異なり、若採りせずに、
種が実る前まで大きく育てる栽培法で、種類は
半白キュウリの一種のようだ。

上の画像をタップする。
地這い法を取らずに、支柱から白岩ウリが幾つも下がっていた。



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