2023年09月22日

群馬県こんにゃく特産研究センターの先生方が、檜原在来こんにゃくの収集に来られた。


先月、8月22日に群馬県農業技術センター内にある、こんにゃく
特産研究センターの南雲顕太技師からメールをいただいた。
こんにゃくをネットで検索していたら、江戸東京野菜通信が
ヒットしたと言う。

東京都で在来種と思われる個体が現存していることは
驚きです。
」とあつた。

わが国こんにゃく流通の9割を生産する群馬県だけに、
特産研究センターはこんにゃくのジーンバンク的役割を
担っているという。

東京の伝統野菜や歴史伝承作物の復活普及に取り組む、
当研究会としては常に情報を発信をしている効果が出た。
お互い新たな出会いを生み出してくれたわけ、

そんなことで、檜原村の藤倉と、湯久保にも出かけ生産者と
話し込んできた。

檜原ではお世話になっている鈴木留次郎さんに相談すると、数馬の
お食事処「木庵」でも在来種のこんにゃくを使っていると云う
情報も入ってきた。





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11月の収穫の頃に、案内すれば良いかと思って居たら、葉や茎で
在来かどうかを判断したいから9月中に案内してほしいという。

そんなものかと、鈴木さんと石川敏之さんに日程調整をしていただいて
20日10時に武蔵五日市駅前ロータリーで群馬の皆さんと待ち合わせた。

林道を走るから軽自動車でと伝えていたが、普通車にスコップなどを
積んできたという。

檜原村役場で、皆さんに鈴木さんを紹介した。
檜原村じゃがいも栽培組合の組合長をしているので、ひのジャガ君の
前で記念写真。
前列右から、ゆっくり農縁の石川さん、鈴木さん、高崎健康福祉大学の
廣瀬竜郎教授(農学部生物生産学科作物研究室)、橋田庸一助教、

後列右から、檜原村地域おこし協力隊の友澤勇紀さん、私、
こんにゃく特産研究センター加藤晃センター長、南雲技師。

この後、檜原村地域おこし協力隊の高野優海さんが合流した。
高野さんは(株)西の風新聞社の記者でもある。

一行は車3台で数馬に向かう。



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2023年09月13日

絶滅危惧種の「ムラサキ」は「東京ひのはら地域協議会」が結成され守られていた。


檜原村の鑾野大豆の種を丸山美子さんがお持ちだというので、
栽培をしていた高橋ハツヱさんのお宅から、丸山さんの車に、
私と石川敏之さんとハツヱさんが乗って向かったことは紹介した。

丸山さんたちが、立ち上げた「東京ひのはら地域協議会」の
やまぼうし計画の一つ「お宝塾」は、
希少植物の調査・保護作業により環境を維持、改善し、
地域自慢を作り出すとして「むらさき」の花が掲載されている。





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檜原のむらさきは、1957年に小沢地区の「松生山」で発見された。

発見された地区の小沢園芸組合から引き継いて、
1995年、草木染愛好会が発足。
その後「松生山」は、針葉樹が成長し日陰になった事から絶えた。

1999年には愛好会から『草木染同好会「いろいろ」』に移行し
2008年に「東京ひのはら地域協議会」が発足し、協議会では
2014年に「檜原在来ムラサキ」を、農業生物資源ジーンバンクに
登録している。

上の画像をタップする
2018年に、ひのはらムラサキプロジェクトが発足し、
松村直美さんが代表に就任した。



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2023年09月05日

檜原村湯久保に伝わる鑾野大豆を守る人々に話を聞き食べてきた。


5月に、武蔵小金井で「わくわく都民農園小金井」で、環境教育を
実践している渡邉裕樹さんと松嶋おおいさんが、あきる野市の
自然農法「ゆっくり農縁」を視察に来たが、オーナーの
石川敏之さんが、生産している野菜を納品している、檜原村の
イタリアン「ヴィッラ・デルピーノ」に案内してくれた。

2011年に檜原村の藤倉地区で、おいねのつるいもを調査しに来て
以来で、オーナーの松村哲朗シェフに、昔来た事を伝えると
覚えてくれていた。

あの時は、丸山二郎さんに案内されて来たもので、伺うところ、
丸山さんの娘さん直美さんは松村シェフのもとに嫁いだと・・・

昼食を註文して待っているタイミングで、丸山美子さんがご友人を
案内してこられるとシェフが知らせてくれた。

お互い、連れがいたので、軽い挨拶程度だったが、帰りに
鑾野(すずの)大豆の栽培を見に来てくださいと、お誘いを頂いた。





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藤倉の在来こんにゃくの調査の次は、湯久保地区の鑾野大豆の
調査の予定だったが、丸山さんから湯久保でも在来こんにゃく
栽培していると伺い、こんにゃくと鑾野大豆を見せてもらった。

上の画像をタップする
大豆は花を咲かせていた。

この大豆橋家では、姑さんが10年ほど栽培した後、
嫁のハツヱさんが引き継いで栽培してきて、湯久保に広がった。

ハツヱさんが「おとうちゃんの大豆」と呼んできた大豆で、
おとうちゃんのご主人政秋さんから聞いた話を
物語としてメモしていた。



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2023年09月04日

檜原村の藤倉にあった在来コンニャクが湯久保の集落にもあると云うので丸山さんと待ち合わせた。


檜原村で栽培されている在来種のこんにゃくは今もありますかと云う
メールが、群馬県のこんにゃく特産研究センターの南雲顕太先生から
頂き、その確認のために檜原村藤倉の田倉信子さんを
訪ねたことは報告した。

2011年に藤倉を案内頂いたのは丸山美子さんで、おいねのつるいもの
調査で、田倉一郎さん、信子さん夫妻を紹介いただいた。




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丸山さんの御主人二郎さんは、藤倉小学校(現在は廃校)に教諭として
着任してから、以後ご夫妻は湯久保住まいで、4人のお子さんを育て、
長男の丸山理太郎さんと、長女の松村直美さんも湯久保住まいで、
大自然の中に親子4人は住んでいる。

丸山美子さんは、村会議員の頃、東京ひのはら地域協議会を立ち上げた
1人で、2007年9月から10年を見据えて2018年頃まで活動を
展開していたが、10年が経過して、個々の活動は独立したので
協議会は発展的に解消した。

「まっこの会」(檜原の言葉でいろりの枠のこと)では、
食と命を考えていくとして、おいねのつるいもの生産と
和玉こんにゃくを栽培し、美子さんが会長を務めている。

写真はハツエさんの実家の畑で和玉こんにゃくの周りの
除草作業を、まっこの会のメンバーが実施しているところ。

上の画像をタップする
黄色の輪が丸山さんのお宅やハツエさんの実家の畑がある。

和玉こんにゃくについては、橋ハツエさんを含めて
丸山さんの「まっこの会」が対応している。



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2023年09月02日

檜原村へこんにゃくの在来種調査に、藤倉と湯久保の集落に出掛けた。


8月22日に、群馬県農業技術センターこんにゃく特産研究センターからメールをいただいた。

南雲顕太とおっしゃる先生で、当ブログ2011年10月16日に掲載した、
檜原村の藤倉地区で伝統野菜に巡り合う (藤倉編)」がヒットし、
まさか東京に在来種があるとはと驚いたようだ。

群馬県はこんにゃくの大産地だけに ”こんにゃく特産研究センター” が
設置されていて、メールによると、日本各地のこんにゃくを
収集・栽培保存し、交雑育種や試験研究等に活用しているという。

昔は日本各地にあった地域固有の在来種も今や消失の危機に瀕して、
同センターの使命は、全国の種を保存することだという。

写真を見る限り "在来種" もしくは "備中種" と思われ、
2011年のこんにゃくが現在も栽培されているのか、
教えて欲しいとのこと。





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栽培をしていたのは藤倉の、田倉一郎、信子夫妻で、
2017年にも行っているが、その時は白岩ウリの調査で伺った。

在来種を守っていると云っていたご主人や田倉亨さんは
亡くなられていて、こんにゃくの事は聞きもしなかった。

上の画像をタップする
藤倉の尾根の黄色い輪が、田倉信子さんの家。

南雲先生の説明からして貴重なものであることが分かり、
東京の歴史伝承作物として、認定しておく必要もある。

あきる野市の自然農法「ゆっくり農縁」のオーナー
石川敏之さんにお願いして、車を出していただき、
JR武蔵五日市駅で待ち合わせをした。



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2023年06月26日

檜原村の鈴木留次郎さんを訪ねる前に立寄った、あきる野市。


向笠千恵子先生を檜原村の鈴木留次郎さんの畑にお連れした。

拝島駅で10時に待ち合わせをしていたが、高速道路が混むと
いけないからと早く出てきたようで、9時に到着したと電話1(プッシュホン)がった。
こちらは、自宅を出たところだったので、しばらく待って頂いたが、
それでも早く待ち合わせ場所についた。




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檜原の鈴木さんとは、11時の約束なので、檜原までの途中で、
あきる野市増戸にある「ゆっくり農縁」に案内した。
オーナーの石川敏之さんの了解を取ってのこと。
今月初めに松嶋あおいさんと来ている。

上の画像をタップする
雨が降っていたので、草が濡れていた。



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2022年10月07日

檜原村の鈴木留次郎さんから大きな天然舞茸が届いた。


檜原村で、江戸東京野菜の白岩ウリや、おいねのつる芋を
栽培している、鈴木留次郎さんから夕方電話を頂いた。

鈴木さんは、今年7月に「ベテラン農家は語る」を新宿でお願いした。

天然の舞茸が採れたので、届けるからというので、
お礼を云って電話を切った。

何でも、鈴木さんが内緒にしている樹齢70年-80年の、コナラが
山中にあり、2-3年に一度、根元に大きな舞茸が生えるという。

夏場の暑さと、この所急に寒くなって雨模様なので、昨晩奥さんと
明日(6日)あたり生えていると、話していたそうで、
案の定大きな舞茸が収穫できたという。





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上の画像をタップする
19時半に、あきる野市で自然農法に取り組んでいる
石川敏之さんが、大きな舞茸を持ってきてくれた。

こんなにたくさんの舞茸をもらっていいのか聞くと、
私の分もありますから、というので、遠慮なく頂いた。

「天ぷらにしろ、キノコ飯でも美味しい」と、鈴木さんの奥さんから
聞いたと教えてくれた。

コナラはブナ科の落葉広葉樹で、檜原の山にはたくさん自生している。
かつては薪炭に使われていたが、現在はシイタケ栽培のホダ木として
も使われていて、
ドングリの木としても知られ、小動物のエサになっている。

檜原村倉掛には "きのこセンター" があり、舞茸を生産しているが、
頂いたのは天然物だから貴重だ。

改めて、鈴木さんありがとうございました。


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2022年08月22日

白岩ウリの収穫が始まったと云うので、檜原村の鈴木留次郎さんを訪ねた。


先日、府中市の伝統野菜を栽培している石川孝治さんの真桑ウリを
購入したことは報告したが、あきる野市で自然農法をしている
石川敏行さんにも味わっていただこうと、五日市線の武蔵増子で
待ち合わせをした。

石川さんは、早く来て改札で待っていてくれたが、折角だからと
檜原村の鈴木留次郎さんの所に案内すると云う。
石川さんは鈴木さんの情報を持っていて、檜原村の伝統野菜
「白岩(しらや)ウリ」の収穫が始まったと教えてくれた。
それならと、石川さんにお任せして、車に乗り込んだ。

鈴木さんには、先般コンシェルジュ協会が実施した講座
ベテラン農家は語る」で講演をしていただいているので、
改めてお礼を伝えなければとの思いもあった。







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檜原村に近づいたところで、鈴木さんに電話をして
待ち合わせ場所の圃場に向かった。

鈴木さんの圃場は幾つか分かれていて、今まで貸していた畑が
戻ってきたと云う平坦な圃場で、白岩ウリを栽培していた。
白岩ウリは、一般的キュウリの栽培と異なり、若採りせずに、
種が実る前まで大きく育てる栽培法で、種類は
半白キュウリの一種のようだ。

上の画像をタップする。
地這い法を取らずに、支柱から白岩ウリが幾つも下がっていた。



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2022年07月01日

檜原村で代々生活の中で使われてきた山野草 ”ねんねんぼう” の定植に成功した。


檜原村のおいねのつるいもがほしいという方がいて、
それならと「檜原地区じゃがいも栽培組合」は鈴木留次郎さんが
組合長をしているから、電話で聞いてみた。

7月になればあるだろうと、探してもらえることになったが、
鈴木さんから檜原にもあった伝統的な山野草の栽培に
成功したという情報を頂いた。

檜原村では代々生活の中で使われてきた山野草 ”ねんねんぼう” と
呼ばれているもので、葉を干して繊維だけを取り出して、ソバの
繋ぎとして使うと、つるつるしてのど越しが良くなる。

暮れには葉を茹で、あく抜きをして、正月用の餅を作る時に、
ヨモギ餅をつくる要領で「のし餅」を作る等、生活に密着している。

春先には鹿が好きでかじるという。






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檜原では、標高500b以上の所に生えているから、山梨県塩山辺り
でも見ることができ、長野県では「雄山火口(おやまぼくち)」と呼ばれ栽培している。

昔から草餅に使われていて、10月から3月まで、檜原温泉センター
数馬の湯で限定販売されていたが、作る方が高齢で事前電話が必要だ。

檜原のソバ屋「玄庵檜原」では、昔使っていて人気だったが、
「ねんねんぼう」の入手が困難で現在は使っていないという。

奥多摩では「ねねんぼう」と呼び、「やすらぎの宿 ねねんぼう」が
奥多摩町日原にあるが、電話で「ねねんぼう」の料理を食べられるか
聞いてみたら、電話に出た女性は「ねねんぼう」を知らなかった。


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2022年06月22日

檜原村の鈴木留次郎さんが、7月2日「食彩の王国」と7月7日「昼メシ旅」で紹介される。


東京檜原村で、ジャガイモ栽培とルバーブ栽培をしている
鈴木留次郎さんに、東京女子学院高等学校フードカルチャーコースの
調理実習で、ルバーブシャムを教えるので、送ってくれるように
電話をしたのは6月の上旬だった。

何時ですか!と云うので、20日の月曜日なので、19日には学校に
届けてくださいと云っていた。

この所、テレビ取材があって忙しいとの事、
忙しいと云うので事情を伺うと、鈴木さんを追って収録していて、

番組は「食彩の王国」と、テレビ東京の「昼メシ旅」だという。
楽しみだ。





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上の画像をタップする
「食彩の王国」は7月2日(土)、第936回『東京・檜原村のじゃがいも
として放送される。

鈴木さんは、檜原地区じゃがいも栽培組合の組合長だから
当然だが、ジャガイモと共にルバーブ栽培もしていて、番組では
夫婦で鈴木芳次店主の”割烹すずき” に訊ねている。



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2022年06月05日

あきる野市で「ゆっくり農緑」を開設している石川敏之さんが、宗兵衛裸麦を収穫した。


先日、あきる野市で川口エンドウに似た、留原エンドウを栽培している
河村卿子さんの様子を知りたくて、同じあきる野市で
ゆっくり農緑」を開設している石川敏之さん
電話番号を教えてもらったが、話の中で、

そろそろ麦の収穫が始まると思って、石川さんが栽培している
宗兵衛裸麦の様子を聞いてみた。

今、丁度収穫中だという。これまでならすぐ車を飛ばして見に行く
ところだが、車が無い事を知っている石川さんは、
スマホで写真を送ってくれた。






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このところ天候が変わって、激しい雷雨が襲ってくることもあるから、
刈り取るタイミングは難しいが、午前中は好天に恵まれたこともあり、
1人で刈り取りをしていると云っていた。

上の画像をタップする
はざ掛けをしてるのもあるが、雨が降る時はシートを掛けたり、
一部は自宅に持ち帰って雨に当たらないところに置いている
と云っていた。

今年の2月に、宗兵衛裸麦の復活普及に尽力している高野重春さんと、栽培している登坂信美さんが
八王子市上川の麦畑で、麦踏と芋煮会のイベントを行ったが、
刈り取りはまだ行っていないようだ。

高野さんの麦は、実った穂だけを切っていると云っていたが、
これも手間がかかりそうだ。



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2021年09月17日

檜原村人里(へんぼり)の宝「ナツハゼ」を、鈴木夫妻が収穫するのを取材させてもらった。


今年もナツハゼが実ったと、檜原村の鈴木留次郎さんから連絡がきた。

14日か15日と云うので、14日9時にお宅に伺うと伝えたが、収穫は早くからやっているので、9時には人里(へんぼり)の畑に来てほしいという。

鈴木さんのお宅から、人里のナツハゼの栽培地まで、曲がりくねった上り坂は12`弱あるので、30分早く家を出た。

鈴木さんが、檜原村の産物づくりとして、ナツハゼのジャムづくりに取り組んでいることは聞いていたので、昨年、初めて連れて行ってもらった。






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予定通り、9時に到着した。
すでに、鈴木さんと奥様の孝枝さんは収穫作業の真っ最中、ゆっくり農縁の石川敏之さんも収穫作業をしているところだった。

上の画像をタップする。

このナツハゼ農園は、人里(へんぼり)部落が見下ろせる檜原街道(都道33号線)沿いの南斜面にある。

この農園のナツハゼは、江戸時代の 弘化3年(1846)に開業した老舗、神田「万惣」フルーツパーラーの社長が、40年前に軽井沢から移植したもので、同店が2012年に閉店するまでの25〜26年、ジャムとして商品化していた。

人里に住んでいた村の産業担当職員が万惣の社長と懇意で、この地で栽培が始まったが、閉店した以降、収穫する者はいなかったが、2018年に話を聞いた鈴木さんが商品化に取り組み始めたもの。


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2021年07月10日

檜原村にルバーブが定着するまでの物語


先日、檜原村にルバーブが導入されたことを書いたが、改めて東京におけるルバーブの導入の経過をまとめておこうと、関係者の話を聞いた。

ルバーブが日本に入ったのは、長野県軽井沢の外国人避暑地に宣教師ショーがジャムを持ち込んだと、旧軽の中山ジャムの女将が話していた。

檜原村には長野から導入したようだと話していた鈴木留次郎さんに、改めて20年前に導入した山嵜源重さん(現村議会議長)に聞いてもらった。

導入したのは、長野県ではなく神奈川県からだったという。
山嵜さんは鎌倉の建長寺に行った際、大根料理の店で食事をしたが、女将の佐藤さんからルバーブの話を聞き、興味を持ったようだ。

鈴木さんの話を聞いて驚いた。もしかして大根料理の店は福来鳥で、女将の佐藤さんはエダさんではと思い佐藤エダさんに電話をした。

当時、福来鳥の佐藤さんは、鎌倉大根の件で相談していた県農業総合研究所の成松次郎先生がルバーブの研究をしていて、ルバーブの栽培も勧められていたことから、山嵜さんにルバーブを紹介したという。話は繋がった。






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後日、成松先生から頂いた10株の苗は伝統的品種の「ビクトリア」で、2000年に佐藤さんは山嵜さんに送ったという。

女将の佐藤エダさんばかりか、神奈川県の成松先生の名前も出てきた。
お二人のことは良く存じ上げていたが、檜原村のルバーブの導入に係わっていたとは知らなかった。

お二人に事の経過を確認したが、20年前のことで、うる覚えだったが、大筋ではこのような事だった。
その後、佐藤さんは何度か檜原村の栽培地を訪れたという。

上の画像をタップする。

ルバーブ研究の第一人者だった成松先生は、1990年「農業および園芸」(養賢堂)に論文を掲載していて、論文「ルバーブの特性と軟化栽培」を送って頂いた。

論文には、ウド栽培と同じ軟化栽培により、冬から春にかけて生産可能になり、色調も赤く高品質のルバーブが収穫できると、栽培方法が詳細に書かれている。


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2021年06月26日

東京産野菜の調理実習として、ルバーブを活用することとなり、檜原村で受け取り学校に納品した。


先日、檜原村の鈴木留次郎さんの畑で栽培していたルバーブで
ジャムを作ったことは紹介した。

ルバーブが食用として日本に伝わったのは1920年代で、
長野県の野尻湖畔や軽井沢に導入されたが、
現在は長野県や北海道が主産地になっている。

檜原村では、20年前に檜原温泉センター「数馬の湯」の
山嵜源重センター長(現村議会議長)が、冷涼の檜原村は栽培に
向いているだろうと、導入を試みた。

品種は伝統的な「ビクトリア」は固定種で苗で導入している。






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鈴木さんの畑から、檜原城址(中央の山)を望む。
応永20年(西暦1413年)に平山氏の居城とされた。

檜原村は平らな所は少なく、平らな所には人家が建っているから、
畑は南秋川の谷に向かって、水はけの良い斜面に作られている。

上の画像をタップする
鈴木さんの畑も斜面で、野菜が栽培されていて、10年前に
普及をしていた山崎俊彦さんに勧められて、檜原の特産物になればと、

ルバーブを栽培し、村内の観光施設で販売している。



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2021年06月16日

鈴木さんのルバーブで作ったジャム、お土産にいただいた。


鈴木留次郎さんには、南秋川の河畔を案内してもらったことは
紹介したが、鈴木さんの畑にも案内頂いた。

鈴木さんの畑には、前にも来ていて、檜原の農地の特徴で急な南斜面に農作物が作られている。

ジャガイモの男爵や、江戸東京野菜のおいねのつる芋に、白岩ウリを
栽培しているが、ルバーブを収穫してジャムを作ることになった。






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斜面にルバーブが植えてあって、収穫期を迎え、葉を茂らせていた。
茎の生え際が赤く美しいのを選んで鈴木さんは収穫していた。

上の画像をタップする
ルバーブのジャムは、我々二人の土産にしてくれると云うが、
作るのに10分程で、できるからと企画してくれたもの。




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2021年06月15日

梅雨の合間に、檜原の鈴木さんに誘われて、南秋川のほとりを歩いた。


檜原村の鈴木留次郎さんと、ジャガイモができる頃に、また伺いますと、4月に行ったときに約束していたが、鈴木さんから電話をいただき、11日に伺った。

若葉が出始めたころとは違い、梅雨の合間に晴れが続いていた。

鈴木さんには、これまで広い檜原村を案内してもらっているが、今回は鈴木さんのお宅の下を流れる南秋川のほとりに、山菜があるというので案内してもらった。






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この辺りの南秋川は、檜原村の三頭山の山懐から流れ出る流れに、北部の山懐からの北秋川が村役場の辺りで、合流して水量を増して流れている。

渡ってきた、吊り橋の辺りには釣り人が数人。
多摩川を遡上、拝島の先で秋川を上ったアユを釣っていた。

上の画像をタップする

蕾だった花筏は、花が咲き、果実になっていた。ユキノシタの葉は天ぷらで食べたが花が咲いていた。
河畔の斜面を指して、鈴木さんは「うるい」は、おひたしで美味しいと説明してくれた。


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2021年05月28日

命をつなぐ固定種の「留原エンドウ」を栽培する河村さんの菜園を見せてもらった。


先日、石川敏之さんの畑「ゆっくり農緑」で待ち合わせをしたことは紹介した。

あきる野市の高尾で、大型のキヌサヤ「留原(ととはら)エンドウ」を栽培している河村郷子さんを紹介してくれるというので伺った。

今年、石川さんは地元のスーパーで河村さんに再会し、菜園の話から、何年も種をつなぐエンドウを栽培していると聞かされた。

数日後に、河村さんは留原エンドウを栽培している市毛和恵さん(写真左から2人目)たちを連れて、「ゆっくり農緑」を訪ねてきたことから、石川さんも河村さんの畑を訪ねたという。

そもそも石川さんは、檜原村やあきる野市で行われたイベントで陶芸家の河村さんと度々会うことがきっかけで、今回の発見に繋がった。






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河村さんの菜園は、自宅前の道を渡った先にあった。

上の画像をタップする

留原エンドウは、留原の旧姓小峰さんという方が、先代が栽培してきた種を35年前に受け継ぎ、それを頂いた友人の岡田さんから市毛さんが譲り受け7年、採種した種が昨年河村さんの許に・・・・、

河村さんは、今年初めて収穫したというから、50年以上は受け継がれてきたようだ。

エンドウには、赤花と紫花とがあり、一本からふたつ咲く。
この時期は、花は終わって種を膨らませていて、河村さんは採種用に残しているという。



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2021年04月14日

「みつばちファーム」の皆さんと、さくらの採蜜を手伝った石川さん。


今年の2月に、石川敏之さんを誘って檜原のメープルシロップのイタヤカエデの樹液を採取する檜原の鈴木留次郎さんについていったが、イタヤカエデが芽吹くころに来ようと約束をしていた。

今、桜が見ごろだと鈴木さんから電話が来たので、急遽、翌日に行くことになったが、石川さんに電話をすると、朝4時半から「みつばちファーム」の皆さんと採蜜に行くことになっているので、終わったら追い駆けるといって、途中から参加された。

みつばちファーム・(有)健康自然工房は、石川さんの「ゆつくり農緑」の近くにあって、前に伺って犬飼博オーナーの話を聞いている、





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同社の蜜箱は多摩の各地に置かれているが、今回は八王子と、あきる野市の蜜蜂の巣を持ち帰った。

上の画像をタップする

作業は、犬飼社長と社員2人、それに石川さんが加わった。
石川さんは昨年お手伝いをしたことから、今年は、お誘いがあったという。

蜜箱を開けると、すぐ燻煙器で蜂をおとなしくさせる。
一枚いちまいの巣にたかる蜜蜂を、丁寧に払い、代わりに持参した空の蜂の巣と入れ替えにセットする。


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2021年04月13日

鈴木さんに檜原の尾根まで案内いただき、お疲れさまでした。


山の尾根に続く林道を走って、ご案内頂き、浅間坂の木庵で、
山菜料理を食べたことは、報告した。

鈴木さんは「檜原じゃがいも栽培組合」の組合長をされている。

帰りの車の中で、次回はじゃがいもの収穫の時期、
6月になったら再度伺いたいとお伝えした。

木庵で食事をしてから、鈴木さんのお宅に戻ってきたのは、
15時を過ぎていた。

鈴木さん、ありがとうございました。

鈴木さんの庭にも、三つ葉ツツジ、ヤマツヅジ、ボケと、
季節の花が咲いていた。






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庭を見せてくれたが、クマガイ草も花をつけていた。

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1977年頃、季刊誌に随筆を連載していたが、そこに吉川英治の
新・平家物語の一説、平敦盛と熊谷直実のいきさつをからめ、
クマガイ草について、書いたことがあった。

花の形が丁度、直実が弓の矢を防ぐために背負った袋・母衣に
似て(写真左上)いることから、クマガイ草の名がある。

ヤブレガサに似ているが、切れ込みが少なく、葉が開くと
紅葉の葉に似ているモミジガサ

片隅に、ブナの木があった。
大きくなる樹だから日陰にならないように枝が切り込まれている。
鈴木さんが云うには、奥さんのお父さんが、後継ぎが出来るように、
植えてくれたという。

何でも、ブナの葉は、新葉が出るまで、落葉しないそうで、
新葉に引き継ぐことから、後継ぎが出来るようにと、
家の周りに植えるものだとか。


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2021年04月12日

江戸東京野菜の白岩うりの栽培をしている鈴木さんに檜原村を案内してもらった。


先日、檜原村のイタヤカエデの森を見に行き、満開の桜を楽しみ、
北の水根本宿線から入間白岩林道で尾根を走り、
浅間坂から檜原街道へ抜けるコースを案内頂いた。






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南秋川の支流を覆うように、若葉が萌出ていた。

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村の花は、ヤマブキ(写真左下)、鳥は「ウグイス」、木は「檜木」

爪楊枝に使うクロモジ(写真左上)も花をつけていた。

朴葉(写真右上)は、大きな葉を広げようとしていた。

キブシの花(写真右下)が数珠つなぎ、そして実になる。
サンショが(写真中央上)、落ち葉の間で芽生えていた



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