2022年10月07日

檜原村の鈴木留次郎さんから大きな天然舞茸が届いた。


檜原村で、江戸東京野菜の白岩ウリや、おいねのつる芋を
栽培している、鈴木留次郎さんから夕方電話を頂いた。

鈴木さんは、今年7月に「ベテラン農家は語る」を新宿でお願いした。

天然の舞茸が採れたので、届けるからというので、
お礼を云って電話を切った。

何でも、鈴木さんが内緒にしている樹齢70年-80年の、コナラが
山中にあり、2-3年に一度、根元に大きな舞茸が生えるという。

夏場の暑さと、この所急に寒くなって雨模様なので、昨晩奥さんと
明日(6日)あたり生えていると、話していたそうで、
案の定大きな舞茸が収穫できたという。





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上の画像をタップする
19時半に、あきる野市で自然農法に取り組んでいる
石川敏之さんが、大きな舞茸を持ってきてくれた。

こんなにたくさんの舞茸をもらっていいのか聞くと、
私の分もありますから、というので、遠慮なく頂いた。

「天ぷらにしろ、キノコ飯でも美味しい」と、鈴木さんの奥さんから
聞いたと教えてくれた。

コナラはブナ科の落葉広葉樹で、檜原の山にはたくさん自生している。
かつては薪炭に使われていたが、現在はシイタケ栽培のホダ木として
も使われていて、
ドングリの木としても知られ、小動物のエサになっている。

檜原村倉掛には "きのこセンター" があり、舞茸を生産しているが、
頂いたのは天然物だから貴重だ。

改めて、鈴木さんありがとうございました。


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2022年08月22日

白岩ウリの収穫が始まったと云うので、檜原村の鈴木留次郎さんを訪ねた。


先日、府中市の伝統野菜を栽培している石川孝治さんの真桑ウリを
購入したことは報告したが、あきる野市で自然農法をしている
石川敏行さんにも味わっていただこうと、五日市線の武蔵増子で
待ち合わせをした。

石川さんは、早く来て改札で待っていてくれたが、折角だからと
檜原村の鈴木留次郎さんの所に案内すると云う。
石川さんは鈴木さんの情報を持っていて、檜原村の伝統野菜
「白岩(しらや)ウリ」の収穫が始まったと教えてくれた。
それならと、石川さんにお任せして、車に乗り込んだ。

鈴木さんには、先般コンシェルジュ協会が実施した講座
ベテラン農家は語る」で講演をしていただいているので、
改めてお礼を伝えなければとの思いもあった。







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檜原村に近づいたところで、鈴木さんに電話をして
待ち合わせ場所の圃場に向かった。

鈴木さんの圃場は幾つか分かれていて、今まで貸していた畑が
戻ってきたと云う平坦な圃場で、白岩ウリを栽培していた。
白岩ウリは、一般的キュウリの栽培と異なり、若採りせずに、
種が実る前まで大きく育てる栽培法で、種類は
半白キュウリの一種のようだ。

上の画像をタップする。
地這い法を取らずに、支柱から白岩ウリが幾つも下がっていた。



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2022年07月01日

檜原村で代々生活の中で使われてきた山野草 ”ねんねんぼう” の定植に成功した。


檜原村のおいねのつるいもがほしいという方がいて、
それならと「檜原地区じゃがいも栽培組合」は鈴木留次郎さんが
組合長をしているから、電話で聞いてみた。

7月になればあるだろうと、探してもらえることになったが、
鈴木さんから檜原にもあった伝統的な山野草の栽培に
成功したという情報を頂いた。

檜原村では代々生活の中で使われてきた山野草 ”ねんねんぼう” と
呼ばれているもので、葉を干して繊維だけを取り出して、ソバの
繋ぎとして使うと、つるつるしてのど越しが良くなる。

暮れには葉を茹で、あく抜きをして、正月用の餅を作る時に、
ヨモギ餅をつくる要領で「のし餅」を作る等、生活に密着している。

春先には鹿が好きでかじるという。






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檜原では、標高500b以上の所に生えているから、山梨県塩山辺り
でも見ることができ、長野県では「雄山火口(おやまぼくち)」と呼ばれ栽培している。

昔から草餅に使われていて、10月から3月まで、檜原温泉センター
数馬の湯で限定販売されていたが、作る方が高齢で事前電話が必要だ。

檜原のソバ屋「玄庵檜原」では、昔使っていて人気だったが、
「ねんねんぼう」の入手が困難で現在は使っていないという。

奥多摩では「ねねんぼう」と呼び、「やすらぎの宿 ねねんぼう」が
奥多摩町日原にあるが、電話で「ねねんぼう」の料理を食べられるか
聞いてみたら、電話に出た女性は「ねねんぼう」を知らなかった。


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2022年06月22日

檜原村の鈴木留次郎さんが、7月2日「食彩の王国」と7月7日「昼メシ旅」で紹介される。


東京檜原村で、ジャガイモ栽培とルバーブ栽培をしている
鈴木留次郎さんに、東京女子学院高等学校フードカルチャーコースの
調理実習で、ルバーブシャムを教えるので、送ってくれるように
電話をしたのは6月の上旬だった。

何時ですか!と云うので、20日の月曜日なので、19日には学校に
届けてくださいと云っていた。

この所、テレビ取材があって忙しいとの事、
忙しいと云うので事情を伺うと、鈴木さんを追って収録していて、

番組は「食彩の王国」と、テレビ東京の「昼メシ旅」だという。
楽しみだ。





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上の画像をタップする
「食彩の王国」は7月2日(土)、第936回『東京・檜原村のじゃがいも
として放送される。

鈴木さんは、檜原地区じゃがいも栽培組合の組合長だから
当然だが、ジャガイモと共にルバーブ栽培もしていて、番組では
夫婦で鈴木芳次店主の”割烹すずき” に訊ねている。



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2022年06月05日

あきる野市で「ゆっくり農緑」を開設している石川敏之さんが、宗兵衛裸麦を収穫した。


先日、あきる野市で川口エンドウに似た、留原エンドウを栽培している
河村卿子さんの様子を知りたくて、同じあきる野市で
ゆっくり農緑」を開設している石川敏之さん
電話番号を教えてもらったが、話の中で、

そろそろ麦の収穫が始まると思って、石川さんが栽培している
宗兵衛裸麦の様子を聞いてみた。

今、丁度収穫中だという。これまでならすぐ車を飛ばして見に行く
ところだが、車が無い事を知っている石川さんは、
スマホで写真を送ってくれた。






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このところ天候が変わって、激しい雷雨が襲ってくることもあるから、
刈り取るタイミングは難しいが、午前中は好天に恵まれたこともあり、
1人で刈り取りをしていると云っていた。

上の画像をタップする
はざ掛けをしてるのもあるが、雨が降る時はシートを掛けたり、
一部は自宅に持ち帰って雨に当たらないところに置いている
と云っていた。

今年の2月に、宗兵衛裸麦の復活普及に尽力している高野重春さんと、栽培している登坂信美さんが
八王子市上川の麦畑で、麦踏と芋煮会のイベントを行ったが、
刈り取りはまだ行っていないようだ。

高野さんの麦は、実った穂だけを切っていると云っていたが、
これも手間がかかりそうだ。



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2021年09月17日

檜原村人里(へんぼり)の宝「ナツハゼ」を、鈴木夫妻が収穫するのを取材させてもらった。


今年もナツハゼが実ったと、檜原村の鈴木留次郎さんから連絡がきた。

14日か15日と云うので、14日9時にお宅に伺うと伝えたが、収穫は早くからやっているので、9時には人里(へんぼり)の畑に来てほしいという。

鈴木さんのお宅から、人里のナツハゼの栽培地まで、曲がりくねった上り坂は12`弱あるので、30分早く家を出た。

鈴木さんが、檜原村の産物づくりとして、ナツハゼのジャムづくりに取り組んでいることは聞いていたので、昨年、初めて連れて行ってもらった。






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予定通り、9時に到着した。
すでに、鈴木さんと奥様の孝枝さんは収穫作業の真っ最中、ゆっくり農縁の石川敏之さんも収穫作業をしているところだった。

上の画像をタップする。

このナツハゼ農園は、人里(へんぼり)部落が見下ろせる檜原街道(都道33号線)沿いの南斜面にある。

この農園のナツハゼは、江戸時代の 弘化3年(1846)に開業した老舗、神田「万惣」フルーツパーラーの社長が、40年前に軽井沢から移植したもので、同店が2012年に閉店するまでの25〜26年、ジャムとして商品化していた。

人里に住んでいた村の産業担当職員が万惣の社長と懇意で、この地で栽培が始まったが、閉店した以降、収穫する者はいなかったが、2018年に話を聞いた鈴木さんが商品化に取り組み始めたもの。


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2021年07月10日

檜原村にルバーブが定着するまでの物語


先日、檜原村にルバーブが導入されたことを書いたが、改めて東京におけるルバーブの導入の経過をまとめておこうと、関係者の話を聞いた。

ルバーブが日本に入ったのは、長野県軽井沢の外国人避暑地に宣教師ショーがジャムを持ち込んだと、旧軽の中山ジャムの女将が話していた。

檜原村には長野から導入したようだと話していた鈴木留次郎さんに、改めて20年前に導入した山嵜源重さん(現村議会議長)に聞いてもらった。

導入したのは、長野県ではなく神奈川県からだったという。
山嵜さんは鎌倉の建長寺に行った際、大根料理の店で食事をしたが、女将の佐藤さんからルバーブの話を聞き、興味を持ったようだ。

鈴木さんの話を聞いて驚いた。もしかして大根料理の店は福来鳥で、女将の佐藤さんはエダさんではと思い佐藤エダさんに電話をした。

当時、福来鳥の佐藤さんは、鎌倉大根の件で相談していた県農業総合研究所の成松次郎先生がルバーブの研究をしていて、ルバーブの栽培も勧められていたことから、山嵜さんにルバーブを紹介したという。話は繋がった。






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後日、成松先生から頂いた10株の苗は伝統的品種の「ビクトリア」で、2000年に佐藤さんは山嵜さんに送ったという。

女将の佐藤エダさんばかりか、神奈川県の成松先生の名前も出てきた。
お二人のことは良く存じ上げていたが、檜原村のルバーブの導入に係わっていたとは知らなかった。

お二人に事の経過を確認したが、20年前のことで、うる覚えだったが、大筋ではこのような事だった。
その後、佐藤さんは何度か檜原村の栽培地を訪れたという。

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ルバーブ研究の第一人者だった成松先生は、1990年「農業および園芸」(養賢堂)に論文を掲載していて、論文「ルバーブの特性と軟化栽培」を送って頂いた。

論文には、ウド栽培と同じ軟化栽培により、冬から春にかけて生産可能になり、色調も赤く高品質のルバーブが収穫できると、栽培方法が詳細に書かれている。


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2021年06月26日

東京産野菜の調理実習として、ルバーブを活用することとなり、檜原村で受け取り学校に納品した。


先日、檜原村の鈴木留次郎さんの畑で栽培していたルバーブで
ジャムを作ったことは紹介した。

ルバーブが食用として日本に伝わったのは1920年代で、
長野県の野尻湖畔や軽井沢に導入されたが、
現在は長野県や北海道が主産地になっている。

檜原村では、20年前に檜原温泉センター「数馬の湯」の
山嵜源重センター長(現村議会議長)が、冷涼の檜原村は栽培に
向いているだろうと、導入を試みた。

品種は伝統的な「ビクトリア」は固定種で苗で導入している。






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鈴木さんの畑から、檜原城址(中央の山)を望む。
応永20年(西暦1413年)に平山氏の居城とされた。

檜原村は平らな所は少なく、平らな所には人家が建っているから、
畑は南秋川の谷に向かって、水はけの良い斜面に作られている。

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鈴木さんの畑も斜面で、野菜が栽培されていて、10年前に
普及をしていた山崎俊彦さんに勧められて、檜原の特産物になればと、

ルバーブを栽培し、村内の観光施設で販売している。



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2021年06月16日

鈴木さんのルバーブで作ったジャム、お土産にいただいた。


鈴木留次郎さんには、南秋川の河畔を案内してもらったことは
紹介したが、鈴木さんの畑にも案内頂いた。

鈴木さんの畑には、前にも来ていて、檜原の農地の特徴で急な南斜面に農作物が作られている。

ジャガイモの男爵や、江戸東京野菜のおいねのつる芋に、白岩ウリを
栽培しているが、ルバーブを収穫してジャムを作ることになった。






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斜面にルバーブが植えてあって、収穫期を迎え、葉を茂らせていた。
茎の生え際が赤く美しいのを選んで鈴木さんは収穫していた。

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ルバーブのジャムは、我々二人の土産にしてくれると云うが、
作るのに10分程で、できるからと企画してくれたもの。




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2021年06月15日

梅雨の合間に、檜原の鈴木さんに誘われて、南秋川のほとりを歩いた。


檜原村の鈴木留次郎さんと、ジャガイモができる頃に、また伺いますと、4月に行ったときに約束していたが、鈴木さんから電話をいただき、11日に伺った。

若葉が出始めたころとは違い、梅雨の合間に晴れが続いていた。

鈴木さんには、これまで広い檜原村を案内してもらっているが、今回は鈴木さんのお宅の下を流れる南秋川のほとりに、山菜があるというので案内してもらった。






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この辺りの南秋川は、檜原村の三頭山の山懐から流れ出る流れに、北部の山懐からの北秋川が村役場の辺りで、合流して水量を増して流れている。

渡ってきた、吊り橋の辺りには釣り人が数人。
多摩川を遡上、拝島の先で秋川を上ったアユを釣っていた。

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蕾だった花筏は、花が咲き、果実になっていた。ユキノシタの葉は天ぷらで食べたが花が咲いていた。
河畔の斜面を指して、鈴木さんは「うるい」は、おひたしで美味しいと説明してくれた。


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2021年05月28日

命をつなぐ固定種の「留原エンドウ」を栽培する河村さんの菜園を見せてもらった。


先日、石川敏之さんの畑「ゆっくり農緑」で待ち合わせをしたことは紹介した。

あきる野市の高尾で、大型のキヌサヤ「留原(ととはら)エンドウ」を栽培している河村郷子さんを紹介してくれるというので伺った。

今年、石川さんは地元のスーパーで河村さんに再会し、菜園の話から、何年も種をつなぐエンドウを栽培していると聞かされた。

数日後に、河村さんは留原エンドウを栽培している市毛和恵さん(写真左から2人目)たちを連れて、「ゆっくり農緑」を訪ねてきたことから、石川さんも河村さんの畑を訪ねたという。

そもそも石川さんは、檜原村やあきる野市で行われたイベントで陶芸家の河村さんと度々会うことがきっかけで、今回の発見に繋がった。






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河村さんの菜園は、自宅前の道を渡った先にあった。

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留原エンドウは、留原の旧姓小峰さんという方が、先代が栽培してきた種を35年前に受け継ぎ、それを頂いた友人の岡田さんから市毛さんが譲り受け7年、採種した種が昨年河村さんの許に・・・・、

河村さんは、今年初めて収穫したというから、50年以上は受け継がれてきたようだ。

エンドウには、赤花と紫花とがあり、一本からふたつ咲く。
この時期は、花は終わって種を膨らませていて、河村さんは採種用に残しているという。



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2021年04月14日

「みつばちファーム」の皆さんと、さくらの採蜜を手伝った石川さん。


今年の2月に、石川敏之さんを誘って檜原のメープルシロップのイタヤカエデの樹液を採取する檜原の鈴木留次郎さんについていったが、イタヤカエデが芽吹くころに来ようと約束をしていた。

今、桜が見ごろだと鈴木さんから電話が来たので、急遽、翌日に行くことになったが、石川さんに電話をすると、朝4時半から「みつばちファーム」の皆さんと採蜜に行くことになっているので、終わったら追い駆けるといって、途中から参加された。

みつばちファーム・(有)健康自然工房は、石川さんの「ゆつくり農緑」の近くにあって、前に伺って犬飼博オーナーの話を聞いている、





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同社の蜜箱は多摩の各地に置かれているが、今回は八王子と、あきる野市の蜜蜂の巣を持ち帰った。

上の画像をタップする

作業は、犬飼社長と社員2人、それに石川さんが加わった。
石川さんは昨年お手伝いをしたことから、今年は、お誘いがあったという。

蜜箱を開けると、すぐ燻煙器で蜂をおとなしくさせる。
一枚いちまいの巣にたかる蜜蜂を、丁寧に払い、代わりに持参した空の蜂の巣と入れ替えにセットする。


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2021年04月13日

鈴木さんに檜原の尾根まで案内いただき、お疲れさまでした。


山の尾根に続く林道を走って、ご案内頂き、浅間坂の木庵で、
山菜料理を食べたことは、報告した。

鈴木さんは「檜原じゃがいも栽培組合」の組合長をされている。

帰りの車の中で、次回はじゃがいもの収穫の時期、
6月になったら再度伺いたいとお伝えした。

木庵で食事をしてから、鈴木さんのお宅に戻ってきたのは、
15時を過ぎていた。

鈴木さん、ありがとうございました。

鈴木さんの庭にも、三つ葉ツツジ、ヤマツヅジ、ボケと、
季節の花が咲いていた。






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庭を見せてくれたが、クマガイ草も花をつけていた。

上の画像をタップする
1977年頃、季刊誌に随筆を連載していたが、そこに吉川英治の
新・平家物語の一説、平敦盛と熊谷直実のいきさつをからめ、
クマガイ草について、書いたことがあった。

花の形が丁度、直実が弓の矢を防ぐために背負った袋・母衣に
似て(写真左上)いることから、クマガイ草の名がある。

ヤブレガサに似ているが、切れ込みが少なく、葉が開くと
紅葉の葉に似ているモミジガサ

片隅に、ブナの木があった。
大きくなる樹だから日陰にならないように枝が切り込まれている。
鈴木さんが云うには、奥さんのお父さんが、後継ぎが出来るように、
植えてくれたという。

何でも、ブナの葉は、新葉が出るまで、落葉しないそうで、
新葉に引き継ぐことから、後継ぎが出来るようにと、
家の周りに植えるものだとか。


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2021年04月12日

江戸東京野菜の白岩うりの栽培をしている鈴木さんに檜原村を案内してもらった。


先日、檜原村のイタヤカエデの森を見に行き、満開の桜を楽しみ、
北の水根本宿線から入間白岩林道で尾根を走り、
浅間坂から檜原街道へ抜けるコースを案内頂いた。






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南秋川の支流を覆うように、若葉が萌出ていた。

上の画像をタップする
村の花は、ヤマブキ(写真左下)、鳥は「ウグイス」、木は「檜木」

爪楊枝に使うクロモジ(写真左上)も花をつけていた。

朴葉(写真右上)は、大きな葉を広げようとしていた。

キブシの花(写真右下)が数珠つなぎ、そして実になる。
サンショが(写真中央上)、落ち葉の間で芽生えていた



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2021年04月11日

今が桜の盛りだと、元檜原村観光協会の鈴木さんに電話をもらったので翌日出かけた。


檜原の山に生えるイタヤカエテの樹液を採って、メープルシロップを作っている、鈴木留次郎さんにお願いして、2月に取材をさせてもらったが、

落葉樹の森だったので、芽生える頃に来てみたいと鈴木さんにお願いをしていた。

先日、NHKBSジャパンで、新日本風土記「東京 檜原村」を放送していたので視たら、鈴木さんが檜原・春日神社の神事を守り伝える一人として出ていた。

そんな中で、鈴木さんから電話をもらった。
桜が今一番の見頃で、イタヤカエデの森も新芽が伸びているというので、桜が散らないうちに木曜日に、石川敏之さんにも連絡して、出かけた。





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朝9時に、鈴木さんのお宅に伺い、4輪駆動の軽トラで、
田中林業が管理する山に入った。
田中林業の田中惣次社長も新日本風土記で、
山を守っている様子が紹介されていた。

イタヤカエデの葉は、落ち葉で知るしかなかったが、
芽生えた葉は広がろうとしていた。

上の画像をタップする
イタヤカエデの花が咲いていた。

カエデの樹液は、樹が凍らないように糖度を増すが、
今年は雪も少なく、鈴木さんの話では例年の3分の1だったという。



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2021年02月05日

メープルシロップの原液、イタヤカエデの樹液を採取する現場をリポートする。


檜原村で、江戸東京野菜の白岩うりや、お稲のつる芋を栽培している鈴木留次郎さんが

冬はメープルシロップを作っていると聞いていたので、樹液を採りに行くときには、連れて行ってくださいとお願いしていた。
電話をいただいたのが先週で、2月1日あきる野で、無農薬、無肥料の自然菜園を行っている石川敏之さんを誘って鈴木さんのお宅に9時半に伺った。

鈴木さんからは、山の中だから寒くない格好でと、また林道は悪く雪が残っていたりで四輪駆動の車で行くからと聞いていた。





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70グラム(1000円税別)と、130グラム(価格未定)の、メープルシロップを作っていた。

鈴木さんの屋号からとって「ひなたぼっこ」のブランドで、メープルシロップの他、ルバーム、なつはぜしらやうり、を檜原特産として販売している。

メープルシロップは秩父が有名で、秩父樹液生産協同組合が組織されている。
カナダでは、メープルシロップが取れるサトウカエデが国旗になっている。


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2020年12月20日

あきる野市の農園「ゆっくり農緑」の野菜は、檜原村で行われたモニターイベント「焚火料理会」で使われた。


あきる野市で農園「ゆっくり農緑」を開設している石川敏之さんは、
無農薬、無肥料の自然栽培をおこなっていて、
檜原村の イタリアンレストランや、江戸東京野菜に取り組んでいる
生産者鈴木留次郎さんともご縁を結んできた。

今度は、旅する料理人が、檜原村で「焚火料理会」を実施するからと、渡部由佳さんが「ゆっくり農縁」の野菜を買いに来た。





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焚火料理会は、檜原村の名瀑・払沢の滝の上の方にある、
株)東京チェーンソーズのMOKKIの森で来年実施する予定だが、

今回は、イベントのモニターとして、意見を聞こうと、実施された。

上の画像をタップする
東京チェーンソーズのMOKKIの森には、
同社の社員と檜原村地域おこし協力隊の人たち15人が参加した。



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2020年09月24日

沖縄のモーウィを参考に、檜原村に伝わる伝統野菜「白岩(しらや)ウリ」のレシピ開発を研究。


檜原村に伝わる伝統野菜のキュウリに「白岩(しらや)ウリ」がある。
檜原の生産者鈴木留次郎さんに教え頂いたのが、2017年8月で、
檜原の藤倉集落の倉掛の生産者を紹介していただいた。

白岩ウリは、果肉が厚いキュウリで、果皮が黄色く変色するまで
大きく育てて、採種できるようになってから収穫して、
果肉の部分をピラーで削って食べると伺った。







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上の画像をタップする

白岩ウリと同じようなキュウリが、南西諸島・奄美大島の
伝統野菜シマウリで、紹介されていた
他県の事なので発祥がいずこなのかは調べていなかったが、

同じようなウリが、洋上150`、沖縄の伝統野菜として、
琉球王朝の宮廷料理で食べられていたと、月刊野菜情報に
「モーウイ(赤毛瓜)
」が紹介されていた。

琉球と薩摩との交易圏の中では、南西諸島は通り道だ、
そこで・・・・・。



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2020年09月16日

檜原村の鈴木留次郎さんに、ナツハゼの栽培地と浅間坂の納品店「大庵」を案内してもらった。


あきる野市で、自然栽培をしている石川敏之さんを檜原村に誘った。

今年の、江戸東京野菜コンシェルジュ協会の講座で、「ベテラン農家は語る(7月18日)」に檜原の鈴木留次郎さんに、お話しをいただく予定だったが、新型コロナの感染拡大を恐れて、延期になってしまったが、まだ日程は決まっていない。

この時期、鈴木さんは何をしているか、電話で伺ったら、ナツハゼを収穫してジャムをつくるという。
ナツハゼの栽培地については、2018年に写真を送ってもらったことがあったが、一度行ってみたいと思っていた。

石川さんには、檜原村に行く主旨を伝えた後で、お昼は、石川さんの野菜を納めている檜原のイタリアンで食事をしようと思っていると伝えると、月曜日は休みだと云う。それなら檜原に行ってから決めようと云うことで、私の車に乗ってもらって向かった。





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鈴木さんは、自宅横に清潔な工房を作ってジャムを作っていた。

上の画像をタップする

昨日、地域おこし協力隊のボランティアさん5人で、5.2`のナツハゼの実を収穫したという。黒い真珠のようだ。
一粒ひと粒、潰さないように収穫するのは、大変な作業だ。
試食をさせていただいたが、程よい甘さに、酸味が利いて後を引く味だ。

瓶詰は、ひと瓶600円で、観光協会の特産物直売所のやまぶき屋、檜原温泉センター「数馬の湯」、檜原役場の喫茶店「せせらぎ」、直売所「山の店」、民宿「浅間坂」等に置いてもらうという。


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2020年07月27日

お土産にもらった檜原村の「おいねのつる芋」を早々と収穫した。


練馬の村田農園で江戸東京野菜を栽培している
渡邉和嘉さん(江戸東京・伝統野菜研究会副代表)が、
「おいねのつる芋」を収穫したと、写真を送ってくれた。

檜原村で栽培されている「おいねのつる芋」の収穫は
8月になってからで、うちのもまだ収穫していないというのは、
白岩ウリの普及をしている鈴木留次郎さん。

そもそも、おいねのつる芋はどのように入手したのかを聞くと、
昨年の7月に、森川洋一さんと、此松陽子さんが企画した
KONOCAFEで講師を務めたときに、お土産にもらったものとか、

もらってきた、おいねのつる芋を、7月に秋どりのジャガイモと
一緒に定植したが、おいねのつる芋は3週間たっても芽が出ないため、
休眠中と、掘り起こして春まで保存したと云う。






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今年になって
種芋を、採るために渡邉さんは6個の “おいねのつる芋”から
収穫した写真を撮って送ってくれた。

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小ぶりに作るために、芋から出たすべての芽を欠かずに、
定植したものただから、小ぶりの芋ができ、
正解だと渡邉さんの感想だ。


追録

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posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 檜原村とあきる野市の農業