江戸東京野菜のタケノコは、江戸時代の元文元年(1736)五月に薩摩藩の島津家が琉球交易により中国揚子江の下流・江南から取り寄せたもので、その後、江戸藩邸にも移植されている。
安永年間(1772−81)鉄砲洲の山路次郎兵衛勝孝が、薩摩藩邸に出入りしていたことから、別荘のある品川領戸越に定植した。
収穫したタケノコは、江戸神田多町青物問屋紀伊国屋に出荷したことから、販路は拡大していった。
特に、戸越で収穫したタケノコを目黒不動尊境内の茶店などが筍飯にして出したことから評判になり、タケノコは目黒に限ると江戸市民に云わしめた。
タケノコは孟宗竹が江戸東京野菜で、食用として品川から目黒・世田谷の農家に伝わり、その後、北多摩、南多摩、西多摩へと普及されて行った。
また、江戸御府内には植木職人によって庭園樹として、大名庭園などに植栽されていった。

昨年まで、東京都庁の食堂を運営していた西洋フード・コンパスグループでは、2016年から、2017年にわたって〜江戸東京野菜を食べよう! シリーズ〜 を実施していたが、
企画立案した森川洋一さんが新たな企画を検討する中で、同社の石塚博志さんとでタケノコの産地視察にお見えになった。
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この季節、JA東京グループの直売所には、たくさんのタケノコが出荷されるが、朝掘りのタケノコを一定量となると屋敷内の竹林では間に合わず、山林等に竹林を有する農家に協力を求める必要があり、
JA東京みどり地域振興部の原省三さんに依頼して、武蔵村山の竹林に案内してもらった。
流通を担う、江戸東京野菜コンシェルジュの高橋芳江さんと高橋廣道さん(果菜里屋)も同行した。
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