2018年06月12日

目黒区の栄養士さんから、7月の夏季研修で目黒のタケノコの話を依頼された。


地元目黒の伝統野菜が「たけのこ」だと云うことを、今回、めぐろ歴史資料館の開館10周年特別展で初めて知ったと云う、新住民の方もいるようだった。

質問にもあったので、改めて年代を整理すると
孟宗竹は、中国の揚子江の南が原産地で、「毛竹(まおつう)」
と呼ばれているが、島津吉貴公が元文元年(1736)に琉球交易の中で
取り寄せ、磯・仙巌園に定植、薩摩では江南竹と呼んでいる。

九代将軍家重の宝暦年間(1751−1764)に献上し
吹上御苑に定植してある。

明和3年(1766)に加賀藩の足軽が江戸からもって行ったと、
加賀野菜にある。

山路治郎兵衛勝孝は、戸越に寛政元年(1789)に導入している。

これら時代をベースに、目黒の筍のルーツを組み立てた。
アンケートを、読ませていただいたが、お引き受けして良かった。




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上の画像をタップする

皆さん熱心で、次から次へと質問をいただいた。
終了後、追加質問などもあって、それが終わって会場を出ようとしたら、呼び止められた。

7月23日(月)に、目黒で開催される栄養士の夏季研修「目黒区学校給食研究会」に招かれているが、担当の栄養士さんが見えていたのだ。

目黒区立緑が丘小学校の安藤香奈子栄養士(左)と宮前小学校の松永有香栄養士で、

上の画像をタップする
安藤さんは、今年1月に
アジュール竹芝で開催したイベントでお会いしていた。

また、今年2月に駒込の東京都学校給食会館で行われた、平成29年度 都立学校栄養職員専門研修会には、松永有香栄養士が来られていたと云う。

お2人とも、江戸東京野菜については、理解があり、目黒区学校給食研究会を開催するにあたり、江戸東京野菜を推薦してくれたようだ。

講演では、パワーポイントで、山路治郎兵衛勝孝の話をしたが、都立園芸高校の徳田安伸統括校長が写っていたことから、より目黒のタケノコが身近になったと話されていた。

何でも、徳田校長には、昔からお世話になっているとかで目黒のタケノコとの
縁が見えてきたとも。

夏季研修については、都立学校栄養職員専門研修会の内容をベースに話すつもりでいたが、目黒のタケノコの話も面白いから、加えて欲しいと云う。


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2018年06月11日

めぐろ歴史資料館が開館10周年特別展「目黒のタケノコ〜竹がもたらすもの〜」で、目黒のタケノコ物語を話す。


目黒区立めぐろ歴史資料館が開館10周年特別展「目黒のタケノコ〜竹がもたらすもの〜」が開かれているが、3月に横山昭一学芸員が訪ねてこられ、講演を依頼された。

4月28日には横山学芸員の展示品解説があると云うので伺い、話がだぶらないようにと思って、聞きに来ている。

今回の講演テーマは、「目黒のタケノコ物語」としたが、
昨年、ブログに子規のことを書いたので、それをベースにパワーポイントを作った。

鹿児島にも行っているので、それらの写真も活用している。




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目黒の筍は、江戸の頃から、目黒不動尊門前の料理屋で季節になると名物として筍飯を食べさせたことから「目黒の筍」は世に知られることとなった。

今回の話の中心に、「目黒」と「筍」のある句として、
正岡子規の
「筍や 目黒の美人 あるやなし」 と

高浜虚子の
「目黒なる 筍飯も 昔かな」 を紹介し、
皆さんに句の背景を考えてもらうことにした。



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2018年05月02日

めぐろ歴史資料館が会館10周年特別展「目黒のタケノコ〜竹がもたらすもの〜」が4月24日から開催されている。


めぐろ歴史資料館が会館10周年特別展「目黒のタケノコ〜竹がもたらすもの〜」が4月24日から開催されていることは、当ブログで紹介したが、
4月28日を始め特定の土曜日には、学芸員による展示品の解説が行われると云うので、是非聞きたいと伺った。

6月9日に、目黒のタケノコ物語について話すことになっていて、なるべく話が被らないようにと思ったからで、同館に伺った。

担当は昭島まで訪ねてくれた横山昭一学芸員で、その後、孟宗竹を普及した山路治郎兵衛勝孝の子孫山路安清先生を紹介したが、資料収集にご苦労されたようだった。





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目黒には高校2年まで住んでいたので子供の頃の思い出が詰まっている。
JR目黒駅に下車して思い出に浸りながら同館まで歩いてきたが、ずいぶん目黒も変わっていた。

同館は、目黒区立第二中学校跡地を利用したもので、平成18年に第五中学と第六中学の3校統合で閉校し、2年後の20年9月、「めぐろ学校サポートセンター」と「めぐろ歴史資料館」が設置されたもの。

 解説の横山学芸員は、「目黒は江戸時代、タケノコの産地として有名で、練馬のダイコン、江戸川のコマツナなどと並び称され、昭和の初め頃までタケノコの栽培がおこなわれていました。

 特別展では、目黒のタケノコ栽培法の特徴や歴史的変遷などを紹介するとともに、建築資材から箸などの日用品に至る、竹を素材としたさまざまな資料を紹介します。」
と挨拶された。




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2018年04月22日

めぐろ歴史資料館 会館10周年特別展【目黒のタケノコ〜竹がもたらすもの〜(入館無料) 】 が、平成4月24日から8月26日まで開催される


めぐろ歴史資料館 会館10周年特別展【目黒のタケノコ〜竹がもたらすもの〜(入館無料) 】が、平成4月24日から8月26日まで開催されることは、当ブログで紹介したが講演のタイトルが決まった。

講演は関連ベントとして6月9日に開催されるもので、タイトルは「江戸東京野菜 〜目黒のタケノコ物語〜」とした。
江戸東京野菜には一つひとつ物語があると云うことで、江戸東京野菜の話を色々と話した後、目黒のタケノコの物語をする予定た。

尚会場は変わるが、すずめのお宿緑地公園内の目黒区古民家で、体験学習会として「竹のおもちゃで遊ぼう」が5月19日(土)に開催される。


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上の画像をタップすると詳細

4月28日、5月12日、26日、6月23日、7月7日、21日、8月11日(いずれも土曜日)1時30分から担当学芸員により展示品の解説が行われる。

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2018年04月14日

江戸で普及した孟宗竹は、勝孝によって品川領戸越村から近隣の小山・中延・目黒に広がりを見せた。


品川区立品川歴史館では、企画展として戸越と小山「山路治郎兵衛のタケノコ栽培と足跡」をやっていると云うので、出かけた。

武蔵小山商店街連合会が主催している「ムサコたけのこ祭り」は毎年この季節に開催されるが、

これは江戸時代に鉄砲洲で幕府御用の回漕業を営んでいた山路治郎兵衛勝孝が、薩摩藩邸で見事な孟宗竹の竹林を見て、種竹を薩摩藩から取り寄せ、戸越に設けた別邸の敷地で筍栽培を始めたことを起源としている。

孟宗竹は、薩摩藩が琉球経由で中国から輸入したもので、本来「江南竹」と呼ばれ、鹿児島城下の島津邸仙巌園で栽培されているが、
天保八年(1838)に仙巌別館に建立した 仙巌別館江南竹記には、「俗に孟宗竹と呼ぶ」とあり、日本で孟宗竹の名がついた





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今回の企画のベースになっているのが、山路家に残る資料によるもので、

上の画像をタップする。

チラシによると「山路治郎兵衛勝孝が戸越に植えた孟宗竹は、近隣の小山・中延・目黒に広がりを見せ、筍の−大産地になりました。

また、山路勝孝の子孫勝知は、明治時代に戸越村・上蛇窪村・下蛇窪村の戸長をつとめたほか、現・京陽小学校の設立や、戸越八幡神社の護持、関東大震災発生時の平塚村への救済など数多くの事蹟を残しました。

そこで本展では、「ムサコたけのこ祭り」の開催にあわせ、勝孝と勝知の足跡を辿りながら江戸時代から大正時代の戸越・小山地域を紹介します。」 とある。



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2018年04月09日

江戸東京野菜の販路拡大のために、武蔵村山の竹林を訪ねた。


江戸東京野菜のタケノコは、江戸時代の元文元年(1736)五月に薩摩藩の島津家が琉球交易により中国揚子江の下流・江南から取り寄せたもので、その後、江戸藩邸にも移植されている。

安永年間(1772−81)鉄砲洲の山路次郎兵衛勝孝が、薩摩藩邸に出入りしていたことから、別荘のある品川領戸越に定植した。

収穫したタケノコは、江戸神田多町青物問屋紀伊国屋に出荷したことから、販路は拡大していった。

特に、戸越で収穫したタケノコを目黒不動尊境内の茶店などが筍飯にして出したことから評判になり、タケノコは目黒に限ると江戸市民に云わしめた。

タケノコは孟宗竹が江戸東京野菜で、食用として品川から目黒・世田谷の農家に伝わり、その後、北多摩、南多摩、西多摩へと普及されて行った。

また、江戸御府内には植木職人によって庭園樹として、大名庭園などに植栽されていった。





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昨年まで、東京都庁の食堂を運営していた西洋フード・コンパスグループでは、2016年から、2017年にわたって〜江戸東京野菜を食べよう! シリーズ〜 を実施していたが、

企画立案した森川洋一さんが新たな企画を検討する中で、同社の石塚博志さんとでタケノコの産地視察にお見えになった。

上の画像をタップする

この季節、JA東京グループの直売所には、たくさんのタケノコが出荷されるが、朝掘りのタケノコを一定量となると屋敷内の竹林では間に合わず、山林等に竹林を有する農家に協力を求める必要があり、

JA東京みどり地域振興部の原省三さんに依頼して、武蔵村山の竹林に案内してもらった。

流通を担う、江戸東京野菜コンシェルジュの高橋芳江さんと高橋廣道さん(果菜里屋)も同行した。



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2018年03月18日

目黒区めぐろ歴史資料館の横山昭一学芸員が訪ねてこられた。


目黒区めぐろ歴史資料館の横山昭一学芸員が訪ねてこられた。

何でも、タケノコが江戸東京野菜と云うことで、当ブログを検索したら色々と、目黒タケノコの事かアップされていたので連絡をしたという。

当日いただいた3月5日発行の「めぐろ区報」によると、中目黒3丁目の旧目黒区立第二中学校の跡地を利用して平成20年に開館した目黒区めぐろ歴史資料館が、10周年を迎えたと云うので、4月24日(火)〜8月26日(日)まで、特別展として「目黒のタケノコ〜竹がもたらすもの」を開催すると云う。




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上の画像をタップする
生まれてから高校1年まで目黒に住んでいたので、
すっかり目黒の昔話で盛り上がってしまったが、

そんなことで講演を依頼された。
めぐろ区報5月15日号に掲載すると云うので
3月23日(金)の原稿締切までに講演のタイトル等を
連絡するつもりだ。

当ブログでは、この機会にカテゴリーに「タケノコ」を設けた。

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2017年06月28日

江戸は文化文政の頃に描かれた「野菜尽絵合かるた」を見に銀座に出かけた。


全国の伝統野菜を販売しているウォーマーウォーマーの高橋一也さんから、メールをもらった。

銀座で「野菜絵合せかるた」の展示販売をしていて、出かけて見てきたという。

普段、目にしている伝統野菜が、実際に絵になっていると、
とてもうったえかけてくるものを感じます。とあった。

面白そうだと伝えたら、銀座で古美術、絵画、写真ほか美術品の売買をしている中松商店からさっそくパンフレットが送られてきた。

今回出品されているものの中にも、江戸東京野菜らしきものもあり資料的価値から、出かけても見た。



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兵庫県芦屋の「滴翠美術館」は、茶陶とカルタを中心にコレクションされていて、同じような野菜青物尽くし絵合わせカルタも収蔵されているという。

描かれた時代は江戸時代の文化文政(1804〜1830)の頃、と聞くが、表裏共に紙本、背面は金泥引き、絵面は金揉箔散し、四条派らしき上品な筆致である。

上の画像をタップする
店主の中松弘毅氏によれば、若干構図が異なる野菜の絵札が2枚あり、それをトランプの神経衰弱のようにして、めくり当てるという遊びのようで、50組のうちの半分50枚が市場に出たと云うことのようだ。

滴翠美術館の山口副館長は、「これらは深窓に育って世情にうとい子女たちの実物教育の代わりをはたしたものであろう。」と、書物に書いている。

同カルタの展示販売は7月1日まで(13時から18時まで) 実施している。
中松商店 中央区銀座1−9−8 奥野ビル313 
電話 03−3563−1735


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2017年05月04日

久しぶりに、タケノコの皮に梅干し入れてチュウチュウしちゃった。


先日、八王子の立川太三郎さんの竹林に伺ったことは報告したが、立川さんが掘る手を休めた時、幼い頃、タケノコの皮に梅干しを包んで、隙間からチュウチュウ吸った話で、二人で盛り上がった。

昭和30年代初めの頃、物がない時代だったが、タケノコの季節になるとあれが楽しみで、その思いを共有して盛り上がったもの。

そんな話を、先日開かれた更科堀井の「春の会」で、江戸ソバリエ協会のほしひかる理事長、松本一夫さん( 江戸ソバリエ・ルシック)、アトリエグーの林幸子先生に、当然知っているものと思って、話題に出したら、皆さんシラッとして、「何それ知らない」という。

ほし理事長は九州、林先生は関西だから、関東の食文化なのだろうか、知っている人は教えてください。





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このシーズン「筍の飯」が食べたくて、「ファーマーズセンター みのーれ立川」に行ってみたら、9時の開店前から長い行列ができていた。

上の画像をタップする。
その多くの人がまず、タケノコのコーナーに向かったが、しばらくしてその前が空いたところで写真に撮った。
山ほどあったタケノコは、半分ぐらいになっていた。

昨年までは「江戸東京野菜のタケノコ」 のポップがあったが、担当者が変わったようで今年は無かった。


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2017年04月23日

更科堀井の料理人が江戸東京野菜のタケノコ(孟宗竹)を堀に八王子の竹林にやって来た。


先日、更科堀井「春の会」の打ち合わせで、今度、八王子のタケノコ堀にいくという話を聞いていたが、案内すると云う福島秀史理事(江戸東京コンシェルジュ協会) に、どこの竹林かと尋ねると、高倉大根の立川太三郎さんのお宅に5時半だというので、出かけた。

八王子市は竹林が多く、山林が孟宗竹に占領される勢いで、荒れたところも多い。
立川太三郎さんのお宅の裏山は竹林になっているが、きれいに整備されていた。
丁度、南斜面にあたることから、市内でも最も早く直売所に出荷したようだ。





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更科堀井からは、河合孝義料理長と持田拓也さんが来られた。

上の画像をクリックする
立川さんは、慣れた手つきで次々に掘っていくが、
斜面だから掘り辛そうだ。




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2017年01月31日

鴎外ゆかりの館から、上野の山で明治の俳人・正岡子規ゆかりの地に佇む。


先日、上野池ノ端の水月ホテル鴎外荘で、江戸東京野菜の懐石料理の試食会が行われたことは、当ブログで報告した。

これまで、何度か同ホテルに伺ったが、千代田線の根津駅で下車していた。
同ホテルは、上野東照宮の裏にあたることから、上野駅の公園口から、公園内を北に歩いて、花園稲荷神社の参道から動物園通りに出て、水月ホテルに向かった。

園内には途中、観光資源がたくさんあって、ホテルまでが意外に近く感じた。




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鴎外荘からの帰り道、動物園通りから、もと来た道を上野駅に向かったが、来るときは気が付かなかったが遠くに野球場見えた。

よく見るとレフト側に入口があって、正岡子規記念球場とある。

上の画像をクリックする
球場入口近くに上野公園管理事務所があったので、
記念球場の事を聞いてみた。
サード側の通りに面して、記念碑があると云う。

子規は、鴎外(1862〜1922)より5つ年下だが、
同じ文学の世界で同時代に活躍している。

「春風や まりを投げたき 草の原」

「正岡子規(1867〜1902)・・・・子規は、明治時代のはじめに日本に紹介されて 間もない野球(ベースボール)を愛好し、明治19年頃から同23年頃にかけて上野公園内 で野球を楽しんでいた。

子規の随筆「筆まかせ」には、明治23年3月21日午後に 上野公園博物館横空地で試合を行ったことが記されており、子規はこのとき捕手で あったことがわかる。・・・

上野恩賜公園開園式典130周年を記念して、ここに子規の句碑を建立し、 野球場に「正岡子規記念球場」の愛称が付いた。 平成18年7月 台東区・台東区教育委員会」とあった。

因みに、「日本野球発祥の地」は、学士会館の地だったことは、追録で紹介したが、野球は明治5年に導入されている。

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2016年06月05日

「武蔵小山駅前地区再開発」工事現場の仮囲いに孟宗筍栽培記念碑「殖竹塚」の写真が掲示された。


4月の中旬、(株)Kプロビジョン広告事業部の
担当者からメールをもらった。

何でも、同社では、武蔵小山駅前再開発事業として、武蔵小山駅前で施工中の工事現場の仮囲いを製作するのだという。

その挿絵として、江戸東京野菜通信に掲載されている写真を使いたいという。

そもそもこの写真が掲載されていたのは、2011年9月17日のブログで、都立稔ケ丘高校統括校長の徳田安伸先生は、現在都立園芸高校の校長をされている。






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5月31日に仮囲いができたと、同社の担当者から連絡をいただいた。

上の画像をクリックする
丁度、鎌倉市立御成中で、鎌倉ダイコン栽培の会議を行っての帰り道、鎌倉から武蔵小杉に出て、東急目黒線に乗り換え、武蔵小山に立ち寄った。

孟宗筍栽培記念碑「殖竹塚」の写真を確認した。
他に、筍を収穫ている写真も掲示されていた。
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2013年04月29日

伝説の「目黒のタケノコ」が顔を出す、自由が丘の竹林を訪ねる。



世田谷の都立園芸高校まで来たので、目黒のタケノコを訪ねようと思い立ち、農文協プロダクションの鈴木敏夫社長を誘って、東急 自由が丘駅から徒歩6分の杉村昇一さんのお宅を訪ねた。

杉村さんの竹林は「ザ、鉄腕 ダッシュ!」「飛び出せ! 科学くん」などで、何度もテレビで紹介されている。

そもそも「目黒のタケノコ」のいわれは、
歴代将軍を初め江戸庶民は当時不動信仰が厚かったことから、江戸近郊の参詣行楽地になっていた目黒不動尊。

その山門前で、季節になると土物の土産として孟宗竹の「筍」が売られ、料亭ではタケノコ飯を食べさせたことから、これは美味いと有名になり、「タケノコは目黒に限る ! 」と云うことで「目黒のタケノコ」として有名になったもの。



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上の写真をクリックする
2008年2月にJA世田谷目黒農業生産部会の新年会で、講師に招かれた時に杉村さんにはお世話になったが、「目黒のタケノコ」が、現在残っているお宅はもう一軒と、目黒区のすずめのお宿緑地公園にあるだけだ。

杉村さんは、覚えていてくれて招き入れてくれた。
自由が丘にあるお住まいは、緑があふれていて、お住まいもモダンにリニュアルされていた。


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2012年04月23日

武蔵小山の商店街が「たけのこ」でまち興し、孟宗竹のルーツ品川をアピール。


ムサコのたけのこ汁プレゼントの情報は、当ブログでも紹介したが、22日の11時から武蔵小山駅前のロータリーを会場に開催された。



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今回のタケノコ祭り、武蔵小山の愛称”ムサコ”を、広めようというもので、武蔵小杉、武蔵小金井、も短縮すると”ムサコ” のために、”ムサコ” といえば武蔵小山を内外にアピールした。

江戸時代、山路次郎兵衛勝孝によって、ご当地が孟宗竹のたけのこ産地であったことから、イベントの開催となったもの。

したがって、東京産孟宗竹のたけのこは、この歴史から伝統野菜の一つに該当する。

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2012年03月14日

江戸の孟宗竹発祥の地「ムサコ」で4月22日にたけのこ祭りを開催する。


「目黒のタケノコ」の話。
都立稔ケ丘高校統括校長の徳田安伸先生のご親戚が、江戸でタケノコを普及した山路家だったと、当ブログで報告した。

徳田先生のお世話で七代目の山路安清先生にお会いして貴重な資料を見せていただいた。


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この程、あるテレビ局から、当ブログで見たと「目黒のタケノコ」の取材依頼があったので、徳田先生にお願いして、安清先生と連絡を取ってもらったが、

そんなやりとりの中で、安清先生から、『地元、武蔵小山商店街連合会が、「タケノコ祭り」を計画していて、13日に、実行委員の皆さん方が初代治郎兵衛勝孝の殖竹塚にお参りに来る』と云う情報をいただいた。

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2012年01月27日

目黒区の健康大学 第6回教養講座に招かれた。


すでに12月15日付けの「めぐろ区報」で紹介されたことは、当ブログでも紹介した

前日、午後から降り出した雪は水分を含んでいて、朝方には凍りついていた。
滑らないように注意しながら駅に向かったが、中目黒に着いても駅周辺は凍りついた雪が残っていた。

目黒は、生れてから高校二年まで住んでいた所だから、懐かしいところを探そうと思ったが幹線道路沿いはすっかり変わっていて、わからなくなっていた。
アメリカンスクールだった所が区役所で、何でも保険会社だった建物をそっくり利用していると云う。




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目黒区では
『いつまでも元気で自立した生活を送れるよう、健康寿命の延長を目標とする行動計画「健康めぐろ21」に基づき、皆さんの健康づくりを支援しています。健康寿命を延長するには、一人ひとりが健康的な生活習慣を身に着け、生活習慣病の予防に努めることが何よりも大切です。毎日の生活習慣を見直して、健康で生き生きとした生活を送りましょう。

生活習慣病は、不適切な食生活、運動不足、喫煙などが原因でおこる肥満症、糖尿病・高血圧・高脂血症などをいいます。悪化すると、心臓病や脳卒中などを発症し、生命や生活を脅かすことになります。最近では、メタボリックシンドローム(内臓脂肪型肥満に加え、高血圧・高血糖・高脂血症など生活習慣病の危険因子が重複した状態)が問題視されています。

区民の「死因別割合」をみると、悪性新生物(がん)・心疾患・脳血管疾患のいわゆる3大生活習慣病が約6割を占めています。正しい生活習慣を身に着け、生活習慣病を防ぐことが、健康寿命の延長への第一歩です。』としていて、

冒頭挨拶に立った、保健所長で健康推進部長の吉村伸子氏は
『目黒区では、「健康めぐろ21」の一環として、健康大学事業を実施しています。「教養講座」、「禁煙チャレンジ教室」等に参加して、生活習慣を見直すきっかけづくりをしませんか。』と呼び掛けた。

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2011年09月17日

江戸東京野菜「たけのこ」を導入した山路治郎兵衛勝孝の貴重な資料に触れる。


品川区の目黒駅前商店街のイベントで有名なのが「目黒のサンマ」だが、これは落語の噺。もう一つ知る人ぞ知るのが「目黒のタケノコ」で、そもそも江戸期には「戸越のタケノコ」として、神田市場では名が通っていたもの。

 築地鉄砲洲で幕府御用の回船問屋をしていた山路治郎兵衛勝孝が安永年間(1772〜81)に戸越村(現・品川区)に別邸を建てた折、同地に特産物がないことから寛政元年(1789)薩摩から孟宗竹を導入した。
おかげて、村の人たちの生活が潤ったと云うことで、村人たちにとっては恩人である。

その後、目黒不動尊の茶店や山門前の料亭で季節のタケノコ飯を売り出したところ有名になり、タケノコは目黒に限ると云うことで「目黒のタケノコ」として有名になった。


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今年の3月初め、江戸東京野菜の話を頼まれて、教育大OBの会(茗渓会葛飾支部)に寄せてもらったが、
この席で、コーディネーターをされたのが、都立稔ケ丘高校統括校長の徳田安伸先生で、色々とお話をさせていただいたら、先生のご親戚がタケノコの山路家だと云うのを伺って驚いた。

私は、高校2年まで目黒で育たから、子供のころは目黒不動尊の縁日(28日)によく出かけた。だから目黒のタケノコの話も、昔から聞いていた。

先日、徳田先生の計らいで山路安清先生にお会いすることが出来。貴重な文献や、孟宗竹栽培由来記等を見せて戴いた。


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2011年03月10日

江戸東京野菜「目黒の筍」のルーツを訪ねて、薩摩の磯庭園へ


先日、鹿児島に行ったことを紹介したが、色々と情報があるもので、なかなかその後が書けないでいる。

鹿児島に来ると必ずここ仙巌園に来る。別名、島津家別邸の磯庭園は、スケールの大きな日本庭園だ。

目の前の雄大な桜島を築山に見立てて、その前の錦江湾の海を池に見立てたと云う雄大な借景庭園は凄い。

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前回来た時に写真を撮るのを忘れていたので、江戸東京野菜「目黒の筍」のルーツとして、裏山に広がる「江南竹林」に向かった。

竹林の前の説明板( 竹林をクリックする )によると、「・・島津吉貴が、元文元年(1736)、中国から琉球国を通じまだ繁茂していない竹2株を取り寄せ移植した・・・」とある。



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2010年04月01日

【4月号】 たけのこ


子供の頃を目黒で過ごしたと云うと、「目黒と云うとサンマですね! 」とよく云われる。目黒のサンマは、落語の題材だが、目黒には孟宗竹のタケノコが特産の時代が事実あった。



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安永年間(1772-81)に幕府御用の回船問屋を営んでいた山路勝孝が、現在の品川区戸越に別邸をもうけたたおり、特別な産物もなく貧しい農家の生活が楽になればと、薩摩から孟宗竹の種竹を取り寄せ移植した。地味にも合い、地域には立派な竹林ができて、戸越のタケノコとして知られるようになった。 このタケノコを近くにある日本三大不動尊の一つで、江戸市民の信仰篤い目黒不動尊の門前で、料理屋が春先にタケノコ飯にして食べさせたことから一躍「目黒のタケノコ」として、江戸市中に聞こえるまでなり、遠くから食べに来るようになる。しかし、昭和の初めには、戸越や目黒は都市化が進み、世田谷から城北方面へ、また、三鷹から多摩地区へと産地が移転していった。

京都からタケノコを取り寄せて使っている割烹店の主人に、「こんなバカでかいんじゃ!」と軽蔑されたが、これが江戸のタケノコと云うものだ。昭和初期の写真を見ればわかるが、農家では早朝、自慢のタケノコの出荷作業が写っている。

古い根を掘り起こし新しい根を整えるなど、竹林は整備され大きいタケノコを生産する目黒式孟宗竹栽培法という栽培技術が、大正時代には確立されていた。

加賀野菜のタケノコも江戸から持ってきたと加賀の地では語られているが、これも大振りのタケノコだ。
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