予測される中で、井の頭池や善福寺池などの湧き水を神田上水に、
また、赤坂溜池も上水として供給していた。
四代将軍家綱の時代になって多摩川から取水する計画が立てられ、
庄右衛門、清右衛門の玉川兄弟が請け負った。
しかし、記録では2回の失敗が伝わっている
1回目が、日野(立川付近)への渡しが出るあたりから開削を
始めたようだが、ある程度掘り進めたところで、試しに水を流すと、
その水が地下に吸い込まれてしまう場所にぶつかり
工事を断念するしかなかった。
次に上流の福生に取水口を変更したが、ここでも、
硬い岩盤に当たり、開削を断念せざるを得なかった。
このような失敗があって、さらに上流の羽村の堰から
四谷大木戸まで上水は繋がった。
承応2年(1653)から工事が行われ6ケ月で開通したという。
生産者の佐伯寛さんに聞いていたので、
国立市青柳の取水口に行ってみた。
日野橋から下流方面に土手を歩いて800mほど来たところ。
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このところの連日の雨で水量は多く、取水口は閉められていて、
上流から流れてくる水は、ごうごうと音を立てて、
流れは多摩川本流に戻されていた。
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