2021年03月25日

目黒川の桜が満開だというので出かけたが、ガセネタで、まだ3分咲で7分咲きの樹が数本というところだった。


このところの暖かさで、桜の開花情報をテレビが伝えていた、
木曜日から天候が変わり、風も強くなるとのことで、
青空を背景に桜の花を撮れるのは何日もないというので、
目黒まで足を延ばした。

目黒川の桜が、有名になったのは何時頃からだろうか、
子どもの頃、桜の印象はないが、樹の太さから見ると
樹齢は50年ぐらいだろうか、目黒区立目黒資料館に聞いてみた。

古くは昭和2年に植えられた。染井吉野は寿命が短いから
昭和16年に植えられたが空襲で焼かれ、川の護岸工事もあり、
昭和36年に植えられた。今、花を咲かせているのは、
昭和62年に植えられたものだという。

16年の桜は空襲で焼けたし、36年には練馬に引っ越したから
子どもの頃、目黒川の桜は、印象に残ってはいないわけだ。





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目黒駅から権之助坂を下って、目黒新橋から太鼓橋方面を望む。
新型コロナの影響か、
例年桜が咲く頃に下がっているボンボリはなかった。

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3分咲きの樹から、7部咲きまであるから、
長期間、目黒川の桜を楽しめる



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2021年03月24日

練馬区東大泉から10キロ、埼玉県の和光市の境を北に流れて、新河岸川に注ぐ白子川の源泉を訪ねた。


先日、カタクリが咲く「清水山の森」を紹介したが、森の北側を流れる白子川は、練馬の大泉地域を流れて、和光市の白子地区に入ったり、東京都に入ったりしながら10キロ、最後は板橋区三園の落合橋で新河岸川に注いで、隅田川を流れ下る。




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白子川の、源泉に行ってみた。
渡邉和嘉副代表の実家が近く、東大泉7丁目の練馬区立井頭の森公園は、渡邉家の雑木林だったとか。

そこから西に行くと源泉の井頭溜があり、西側の練馬区立大泉井頭公園と、東側の練馬区立井頭泉緑地に囲まれている。

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白子川源流 水辺の会」が定例の活動をしている。

「大泉農業協同組合史」に掲載されていた白子川命名のいわれ。
東京府北豊島郡大泉村の名の起こりは、白子川(現在)の源泉「井頭溜(いがしらため)」から名付けられたもので、それ以前、東京府の上土支田村と、埼玉県の小榑(こぐれ)村と橋戸村が、明治24年に合併し大泉村となった。それ以前から、白子川(現在)は、各村々の境を流れていたために「境川」と呼ばれていたという。


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2021年03月18日

23区唯一の大規模なカタクリの群生地がある練馬区の「清水山の森」では、カタクリが咲き始めていた。


先日、練馬区大泉の中里富士について、紹介したが、山頂からの眺めで、カタクリの群生地のある「清水山の森」を紹介している。

「清水山の森」は、23区唯一の大規模なカタクリの群生地で、練馬区では、この貴重な自然を次代伝えるために、カタクリが自生しやすい環境を整備していて、群落は練馬区登録天然記念物に指定している。





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この時期の雑木林は、白子川に下った北斜面が、カタクリが好むエリアで、約20万株のカタクリが群生している。


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2021年03月15日

練馬区大泉で江戸東京野菜を栽培している渡邉さんが、地元富士浅間神社の中里富士に案内してくれた。


練馬の大泉で江戸東京野菜を栽培している渡邉和嘉さんが、地元の中里富士に案内してくれた。

各地にある富士塚を見つけると、必ず登っている。
江古田浅間神社の富士塚(標高8m)、駒込富士神社の富士塚(標高6m)、
成子天神社の富士塚(標高12m)、品川神社の富士塚(標高15m)
早稲田ミョウガを探していた時に登った水稲荷神社の高田富士(標高10m)
江東区の砂町富士にも行っている。





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富士浅間神社の鳥居から見上げると、富士塚がそそり立っていて、驚いた。

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富士山を信仰する富士講が築造する富士塚は、富士山の溶岩を持ってきて積み上げている。
今日、富士山の溶岩を持ってくることはできないが、昔は大変な思いをして持ってきたようだ。


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2021年03月04日

武蔵村山市の菜の花ガーデン、今年は新型コロナで花摘みはできないという。


新青梅街道沿いに、今年も一面菜の花が咲いていた。

朝、車で23区方面へ、東大和警察署の手前から、多摩モノレールの
上北台駅まで、上り車線を走っているときは、混みあって
見る余裕はないが、下り車線を走る午後には、菜の花畑が見える。

そもそもこのオープンスペースは、都営村山団地が撤去された後、
遊休地になっていたが、不法投棄や雑草が繁茂し、
虫などが発生して周辺住民から苦情が寄せられたことから、

2012年から、春、夏のフラワーガーデンとしている。
この時期は3月28日頃まで菜の花ガーデンとして、菜の花を楽しめる、

夏は、ヒマワリガーデンとして市民が楽しんでいる。






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遠くに新青梅街道が見えるが、菜の花ガーデンの花はまばらだ。
天候が急に暖かくなったり、寒さが戻ったりで、開花に影響。



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2021年02月08日

2004年に実施したツアーを参考に、都市農業ツアーの企画を模索している。


新型コロナ禍の中で、東京の農業を知っていただく企画を
模索していたが、参考になる2004年の資料が出てきた。

2003年度〜2005年度にかけて23区内の農家女性のリーダーが
東京各地の都市農業を知ろうとバスツアーを行っている。

この企画、当時事務局長をされた渡邉和嘉さんが企画したもので
2003年度の江東地区に始まり、2004年度の城北地域、
2005年度に城南地域と実施された。

江東地域の農業となると、足立区、葛飾区、江戸川区の農業がある
コースは足立区、葛飾区、江戸川の順であった。





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足立区では、舎人の新井宏治さんのハウスを見せてもらった、
当時としては水耕栽培の野菜作りは、新しい野菜作りだった。

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先日お会いした、葛飾の矢作東一さん、地元舎人の森谷俊男さん、
そして、事務局長の渡邉和嘉さんも写っている。

コンシェルジュ協会の前身、NPO法人ミュゼダグリが実施する
農家見学会でその後、案内をしている。



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2021年02月03日

陽だまりに青梅草が咲きました。


陽だまりに青梅草が咲きました。
庭に植えてから40年は立つが、青梅市吉野農協園芸センター(現JA西東京グリーンセンター)で営農指導員をされていた青木就一郎さんは、昭和40年代の終わり頃、地元の青梅草が、乱開発によって衰微の状態にあったことから、園芸センターの事業として保護増殖に当たられた。

青梅草は、福寿草の野生種で、青木さんは保護運動の中心人物だった。

青木さんは、酒も飲まず仕事重視の方で、指導経済部長の時に
昭和50〜51年度の東京都農協指導者推進協議会(現JA東京指導員連盟)会長もされていた。

当時若造の私としては親しく語り掛ける雰囲気ではなかったが、山野草が好きだったので、青梅草の増殖で実績を上げていた青木さんに、思い切って頼んでみた。




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青木さんは、「大事に育ててな・・・」と云って手渡してくれたので、地植えにしたことで、毎年花を咲かせてくれ、青木さんを思い出す。

江戸時代には、秋の終わりに伸び切った葉が枯れると、根を掘り上げて、水苔を巻いて江戸に出荷したという。
福寿草の愛好家は江戸には多く、野生種は珍重されていた。

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2021年01月23日

虎ノ門の大坂屋砂場で、そばを食べたことは昨年紹介したが、砂場に行く前に近くの愛宕山に登っている。


政府の緊急事態宣言発令により自宅待機につき、昨年報告できなかったことを紹介する。
昨年、虎ノ門の大坂屋砂場で、そばを食べたことは紹介したが、砂場に行く前に近くの愛宕山に登っている。

小学校の高学年の頃、神田に知り合いが住んでいたので、目黒駅から須田町行き48番の都電に乗れば直で行けたので、日曜日には一人で良く通っていた。
目黒駅から清正公前、魚籃坂下、古川橋、赤羽橋、芝公園、御成門、田村町一丁目、日比谷公園、馬場先門、大手町、そして神田橋で下車した。

子供だから、窓から景色の移り変わりを見ていたから、町並みは覚えてしまった。
加藤清正の位牌や像が祀られている覚林寺がある、清正公前。
明治神宮を源泉とする渋谷川に沿って古川橋から、三の橋、二の橋、一の橋、そして薩摩藩邸のあった赤羽橋と、

御成門を過ぎると愛宕山のラジオの電波塔が見えたものだ。
東京タワーが愛宕山の近く、増上寺の裏にできたのが中学の頃だったから、できる前に何度か愛宕山に上った。




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愛宕山は、標高26メートルだが自然の山では23区で一番高い山といわれていて、86段の出世の石段は40度の急勾配となっている。

三代将軍家光が、父秀忠の墓参りに増上寺に行った帰り、愛宕山の前を通りかかると、
家光は、石段を上ったところに、梅の花が咲いているのを見つけた。

「誰か馬で石段を駆け上がり、梅の花を折ってまいれ」と命じた。
それに応えたのが、讃岐丸亀藩の曲垣平九郎で、梅の枝を折って戻ったことから、家光に褒められ、寛永三馬術の一人にとして、後世に伝えられた。

これにより、この石段は出世の石段と呼ばれ、9月の出世の石段祭りに、愛宕神社の御輿がこの石段を上る。


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2021年01月20日

昨年の秋に、善福寺池の周辺を歩いたが、農地こそ少なくなったが、遅野井湧水を湛えていた。


東京を流れる川の水源地は、「農のある景観と環境」として
報告してきた。
東西に長い東京の、南北に三鷹の井の頭池、杉並の善福寺池、
練馬区石神井の三宝池と、三つの池を線で結ぶと、
弓を張ったように曲線になり、そこに湧水がある。

善福寺池は、かつて池のそばにあった善福寺弁財天の名をとったが、
その寺はすでに廃寺になっていて、その後、善福寺4丁目の
福寿院という名の寺院が1923年に地名をとって
改名して善福寺となっている。

昨年の秋、善福寺には荻窪からバスで、井草八幡宮で下車して
歩いてきたが、井草八幡には、農業説明板の「井荻ウド」がある。

また、明治から大正にかけては、
藍染めの原料「藍」を栽培して産地になっていた。





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善福寺川の源流、遅野井湧水の碑が立っていた。

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説明板によると、鎌倉時代、源頼朝とのご縁がある湧水。



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2021年01月14日

歌川廣重の名所江戸百景「月の松」を復元させた寛永寺の清水堂で確認した。


先日、台東区に詳しい、大浦美鈴さんに案内してもらった「谷中七福神めぐり」の最後、不忍池にある弁天堂に行く前に、清水堂に寄って、月の松から弁天堂を眺めている。


歌川廣重は「名所江戸百景 上野山内月のまつ」と、「名所江戸百景 上野清水堂不忍池」に描いている月の松は、明治の初め、台風の被害にあって、その後、伐採されてしまったようだ。

何年か前に、月の松が復活したという話は聞いていたか、上野には、鴎外荘に何度も伺ったし、最近では昨年の6月には、国立科学博物館のイベントにも来ている。

しかし、その時は思い出しもしないから、探してもみなかった。






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寛永寺は江戸城の鬼門として、京都の比叡山を模して東叡山として寛永寺を祀った。
不忍池は、比叡山に対する琵琶湖に模していた。

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寛永寺には、京都の清水寺の舞台造りを模した、清水堂があり、千手観世音菩薩を祀ってある。

廣重の描く、「名所江戸百景 上野山内月のまつ」には、不自然な松に見えるが、当時は珍しいということで、廣重の絵を見て寛永寺に足を運んだ江戸市民も多かったようだ。



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2021年01月12日

八王子の山の高野さんから、「畦っこ瓦版NO176」が送られてきていた。


八王子の山の自然を書いている高野重春さんから、
「畦っこ瓦版NO176」が送られてきていた。

このところの寒波襲来で、日中も温度が上がらず、春が待ち遠しい。


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畦っこ瓦版には、2020年の写真をもとに、活動拠点の四季の
写真が掲載されていた。

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2021年01月11日

”谷中七福神めぐり”は、江戸時代から約250年続く、東京でもっとも歴史がある七福神めぐり。


江戸東京・伝統野菜研究会の大浦美鈴さんはフリーマガジン「言問散歩」の編集長をしている、同誌は四季号で、昨年の8月末に秋号Vol 1が発行されている。

Vol 6 冬号はいただいていたが、19ページに、「言問通り界隈は実は七福神めぐりの宝庫」とあり「谷中七福神めぐり」、「浅草七福神めぐり」そして「下谷七福神めぐり」で、編集部のオススメは、同誌の配布地域の「下谷七福神めぐり」とある。

西武鉄道が実施しているウォーキング&ハイキングは、前回は神田川を歩いている。
今回は、江戸時代から約250年続く、東京でもっとも歴史がある七福神めぐりが、”谷中七福神めぐり” だという。
250年前と云うと、十代将軍家治の時代だ。





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大浦さんは編集長として編集後記を書かれているが、Vol 6発行の思いが伝わってきたので、言問通り界隈を通過する「谷中七福神めぐり」を案内してもらった。


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2020年12月31日

渋谷川の源泉「清正の井戸」は、明治神宮御苑内の花菖蒲田、南池からを流れ下った。


新嘗祭に、明治神宮の回廊に展示された宝船を見に来たことがあった。

当ブログでは、東京の水源を何ヶ所か歩いているが、明治神宮御苑には水源の「清正の井戸」があるのを知っていた。

明治神宮では、お正月の新年互例会を始め、11月の東京都農業祭や、宝船の展示などをしていたから、毎年何度も仕事で来ていたが、御苑となると若いときに来て以来だ。

この御苑は御祭神の、明治天皇・昭憲皇太后にゆかりの深い由緒のある名苑で、江戸時代(1603〜1867年)の初めは熊本藩主加藤家の下屋敷の庭園だった。

その後、彦根藩主井伊家にうつり、三代将軍徳川家光も訪れていると云う。
明治維新(1868年)後は、皇室の御料地となり代々木御苑と称せられました。




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「清正の井戸」は古くから江戸名井の一つに挙げられていて、江戸初期には加藤家の庭園だったことから加藤清正が掘ったと言い伝えられている。

湧き出る清水は、井戸水特有の冬温かく、夏冷たく、年間を通して15虔前後で、最近まで茶の湯に使われていました。

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周囲の斜面には、モミジ、ヤマブキ、サツキ、ハギが植えられ、小径は林や田に沿って巡らされ、清水は花菖蒲田(写真右下)を潤し、南池に・・・、

江戸時代は家臣の子女が米作りの大切さや苦労を学ぶ稲田だったが、明治26年(1893)に明治天皇が昭憲皇太后のために菖蒲園に改められた。



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2020年12月03日

南青山にある根津美術館の特別展「国宝・重要文化財」と、小雨の庭園を楽しんできた。


先日、南青山のアトリエ・グーで、料理研究家の林幸子先生が『新・江戸蕎麦ごちそう帳』、品川カブのお蕎麦を作っていただくことになっていたが、1時間ほど早く出て、アトリエの裏にある根津美術館に行ってきた。

初代根津嘉一郎の遺志により財団を創立して80周年記念特別展として「国宝・重要文化財」が開催されていた。





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新型コロナウィルスの感染拡大防止のために、入館に際して、検温や、マスク着用、手指の消毒のこまめな手洗い等の他、入管申込書に個人情報を書かされた。感染者が出た場合の追跡調査のためのようだ。

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金明竹の竹林が和の落ち着いた雰囲気を醸し出している竹の廊下。


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2020年11月26日

澄んだ秋空に、皇帝ダリアの花が、今年も咲いている。


20年前に世田谷の農家で初めて見たとき、
綺麗だと思って庭に植えた。

春になると芽を出して、10月の終わりころから沢山の蕾を付ける。
和竹のような太さには節があり、幹は伸び続ける。

ノウゼンカズラの花が咲く隣で・・・・

台風には毎年倒される。
周りの花木によりかかるようにしてだが、
支柱を立てて戻す作業が毎年繰り返された。





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今年は、台風の上陸はなかった。

こんな年は、植えてから一度もなく、2本の皇帝ダリヤは
5メートルを超え、2階をのぞき込むように咲いている。

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2020年09月09日

「農のある景観」屋敷林のある練馬区立野町の井口良男さんも秋冬産のキャベツの定植がほぼ終わったと云うので伺った。


屋敷林のある自宅周辺に農地がまとまってある井口さんの畑は、
都市農地の役割の一つ、農のある景観だ。

私立成蹊小学校まで行ったので電話をかけると、
練馬大根の播種は終わったと云う。

秋冬産のキャベツの定植も、南側の畑を残しほぼ終わったというので、
寄ってみた。
10年前、初夏産のキャベツの定植が終わった時に来たが、
秋冬産の定植となるとまた、景色は異なる。





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台風の影響か、空は明るいが、時折、激しく雨が降ってきた。
井口さんは、自宅から離れた住宅街の中にある畑で、
これからニンニクを植えようとしていたが、
奥の方Bはキャベツが定植されていた。

上の画像をタツプするとウド畑
工事中の通りを挟んで、北側Cの農地にもキャベツが定植されていた。
千川上水を渡った東側Aの畑は、南を千川上水(写真右)が流れている。




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2020年09月03日

畑の周りでイノシシに加え子ジカも捕獲され、高野さんは農作物の被害が増えるのを心配していた。


江戸東京野菜の「川口エンドウ」や東京の伝統穀物「宗兵衛裸麦」を
栽培している八王子市川口の高野重春さんから
八王子の自然環境を伝える「畔っこ瓦版」172号が送られてきた。

今年の夏は、7月の長雨、8月の猛暑が続き、
これが農業の生産現場に影響が出ている。

メールには、「梅雨時期の日照不足から一転して猛暑で雨なし、
河川の水量も減っています。
春先からの気温変化で作付けた野菜の収穫に影響が現れています。」
とご苦労がうかがえる。

「今年の夏は特別な夏なのか。
それとも猛暑が常態化する気候になってしまうのか・・・。」と、
心配されている。





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メールには写真が添付されていた。
8月27日夜に、イノシシ捕獲用の檻に子ジカが2頭捕獲されたそうで、
檻の周辺には大きい親鹿らしき2頭も目撃したという。

2018年も、厳しい暑さが続いていた年で、
イノシシが捕獲されているが、

今年も、イノシシの被害に加え、シカが捕獲されたことで、
シカが辺りにいることもわかり、
シカによる被害も増加するのではと、懸念している。


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2020年08月30日

農のある景観を国立市谷保の城山歴史環境保全地区に連担した西野農園を訪ねた。


今年2月に、中村正明先生(関東学園大学経済学部教授) がコーディネーターをして開催された「東京ファーマーズイノベーション2019」で、若い東京の農業後継者の皆さんにお会いしているが、

その後、一人ひとりの圃場に伺おうと思っていたが、先日府中まで行くことがあったので、途中、国立の西野農園の西野耕太さんを訪ねた。





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西野農園の圃場は、自宅から連担している。
国分寺崖線から分かれた崖線は、甲州街道に沿って谷保天満宮、そして西野農園の辺り、谷保の城山歴史環境保全地区から立川崖線に繋がっていて、崖線の上にある畑から見下ろしたところに、水田が広がっている。

上の画像をタツプする。

この辺りは水が豊富で、崖線から湧き出る清水と、多摩川から取水した用水とが流れているが、西野さんの話では、湧水は冷たくて稲作には向かず、用水の暖かい水を使っているという。

西野さんは、小家族用の1合と3合のコメ袋に入れて、”きぬひかり” を “東京米” ブランドで販売している。

米袋には東京米について、「東京都国立市で13代続いている西野農園にて、低農薬、低化学肥料にこだわり、栽培しました。国立市以外には、ほぼ出回らない貴重なお米です。」とあり、まさに農業青年の ”耕太ブランド“ だ。


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2020年08月17日

多摩川から取水する玉川上水は、江戸市民の飲料水ばかりが、分水して農業用水は田畑を潤した。


秋川霊園から実家までの行程中に、羽村の堰がある。
羽村の堰と云うとそこから
玉川上水は江戸市民への飲み水を供給していたが、
途中分水して武蔵野の農村地帯にも引かれ田畑も潤していた。

玉川上水が造られたのは、江戸も三代将軍家光の時代で
江戸の人口は増えて、このままでは飲み水が不足するようになる。
そこで、老中松平信綱は町奉行の神尾元勝達に
水量が豊富な多摩川から江戸に上水を引く計画を立てさせる。





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玉川兄弟の像の台座の裏に碑文があった。

上の画像をタップする

碑文を書き写してきた。
多摩川の水を江戸に引く工事を請け負ったのが庄右衛門と清右衛門
の兄弟だった。
水利や地形にも詳しかったが、辛苦を重ねた。
完成間際、日野を取水口にしたが通水に失敗、上流の福生に
取水口を移したがここでも失敗、更に上流の羽村に取水口を移し
ようやく江戸の四谷大木戸まで多摩川の水を引くことができた。

承応2年(1653)から工事が行われ6ケ月で開通した。
ブルドーザーなどない時代、尾根筋を43`、標高差100bたらず。
高い技術で、江戸市民の飲用に供した。

これにより、幕府から褒美として「玉川」を名乗る事が許された。


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2020年06月30日

庭のノウゼンカヅラが今年もたくさんの花を付けはじめた。


庭のノウゼンカヅラが今年もたくさんの花を付けはじめた。

6月16日に2輪咲いたのをはじめ、毎日のように花数は増えていったが、
梅雨から夏にかけて咲き、グーグルマップにも掲載されている。




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上の画像をタップする
この花、雨に弱く、雨が降ると花がボドと落ちる。

毎朝、熊手でかき集めて掃除するのが、日課だ。
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