新宿の子どもたちを、自然に親しませようと、毎年 "練馬大根引っこ抜き競技大会" にも参加いただいている、
NPO法人森とでんえん倶楽部の横山信明理事長から1月初めにメールをいただいた。
「
私が住んでいる武蔵野市、駅で云うと武蔵境ですが “さかいのとんがらし”と云うのが有ります。
“さかいのとんがらし”も”内藤唐辛子”の様に実が上を向いています。」とあった。
内藤トウガラシの産地は、大政奉還後、新宿の都市化の進行に伴って、甲州街道や青梅街道を介して西に移っていった。
明治の初期には、中野あたりでも栽培されていたが、明治の中期に武蔵野でも栽培され始めていたようだ。
このことは、北原白秋が大正2年刊行の歌集「桐の花」に「武蔵野の だんだん畑の唐辛子 いまあかあかと刈り干しにけれ」とあることから推察できる。
かつて先代が小金井で内藤トウガラシを商品化していたことを、
吉岡博美さんから2010年に話を聞いている。吉岡さんは三代目だが、初代の源四郎は、大正の終わりに武蔵野、小金井で栽培された、八房のトウガラシを集めて、新宿に創業した緑屋商店(現・吉岡食品工業株式会社)で、カレー粉及び唐辛子製品の製造販売を行っていた。
昭和25年(1950)に、栃木県大田原に移り吉岡食品工業(株)を創立している。

横山理事長のお宅の近くにある。NPO法人むさしの農業ふれあい村でも栽培しているという。
理事長の齋藤瑞枝さんは、
杉並区立成田西ふれあい農業公園も管理しているからよく存じあげていて、話を聞くと、活性化委員会の要請を受けて武蔵野市立農業ふれあい公園で栽培しているという。
横山理事長は、いろいろ調べたようで、武蔵野市には「武蔵境活性化委員会」があり、活発な活動をしていると、同委員会のホームページのアドレスも添付してくれた。
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