2017年09月07日

第五砂町小学校の近くに砂村新田の開拓者 砂村新左衛門の顕彰碑を見つけた。


先日、江東区立第五砂町小学校で砂村一本ネギのタネを5年生が4年生に伝達し、そのタネを蒔く授業が行われたことは、当ブログで紹介した。

遠くから行くものだから遅れてはいけないとの思いから、時間を間違えて1時間も早く着いてしまった。
折角、時間が出来たので、砂村の情報を収集しようと付近を歩いてみた。

五砂小から北に少し歩いた交番の裏に、富賀岡八幡宮があったので寄ってみた。

夏祭りが行われているのか、幟の他、テントが張られたままになっていたが、鳥居をくぐった左側に、砂村新田開拓者 砂村新左衛門顕彰碑が建立されていた。

砂村が、江戸の農業先進地になっていった、基盤を作った人物だ。





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碑文を読むと

福井県鯖江市出身の砂村新左衛門と、その一族が宝六嶋を拠点として、湿原や浮州を干拓と埋立てによって、砂村新田を万治二年(1659)に造成しました。その範囲は現在の南砂一丁目から七丁目までと東砂八丁目を含むほぼ全域に当ると伝えられています。

私達が住む砂町の基礎を築いた偉大な開拓者、砂村新左衛門の遺徳を偲び、後世に永くその功績を顕彰するため、心ある人々の協力を得て同氏にゆかりの深い元八幡宮境内に記念碑の完成を見ることができました。
平成十一年十一月二十一日建立 室橋昭謹書

第五砂町小学校は東砂八丁目にある。



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2017年08月14日

「振り返れは ゛青春! "」 橋本智明さんに自分史を贈呈いただいた。


現役時代にお世話になった、橋本智明さん(元東京都農業試験場園芸部長)から、514ページと云う分厚い「自分史」を送っていただいた。

ご本に挟んであったお手紙によると、

時間的余裕が出来たからと、沢山の段ボール箱に詰め込んでいた現役時代の資料等を整理し始めたという。

見始めれば、懐かしさで、読みふけったりして時間がかかるものだ。
処分できない「貴重品」も沢山あったようで、自分で保管するもの。農業センターや、村役場へ寄贈するものなどに分けながらだったようだ。

橋本さんは花の専門技術員をされていたから、小笠原村の農業振興にはことのほか思いもあったようで、返還当初の限られた時期、自らが関わった仕事中心の貴重な資料を掲載している。

また、内地転勤後の東京都農業振興、定年後の東京都農業会議時代、そして母校千葉大のお手伝いなど、その後の状況も加え、約50年のありのままの自分を振り返りました。とある。





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はじめに 〜振り返ると〜


橋本さんは、1947年大田区生まれで、千葉大学園芸学部卒。東京都小笠原亜熱帯農業センター勤務。東京都農林水産部専門技術員(東京農業にカジュアルフラワー生産を普及)。東京都農林総合研究センター江戸川分場長、東京都農業試験場園芸部長を歴任されている。



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2017年08月04日

東京都青果物商業協同組合本部青年会の代表から、江戸東京野菜をイベントへに使いたいと協力を求められる。


先日、青果商「果菜里屋」の高橋芳江さん(江戸東京野菜コンシェルジュ1期)から、東京の若い青果商の代表と会ってもらいたいと、電話をいただいた。
丁度、一ツ橋まで行く用事があったので、その用事が終わった後ならと云うことで、学士会館でお会いした。

日本橋人形町の青果店「長庄」の後継者吉野元さんと、板橋の「フレッシュフードしのはら」の後継者篠原利江さんで、
お2人とも東京都青果物商業協同組合本部青年会のメンバーで、吉野さんは副会長をされている。

早速、用件の話となったが、東京都青果物商業協同組合本部青年会では、毎年イベントを開催しているが、今年も、秋にイベントを予定しているので、協力が得られれば、江戸東京野菜を紹介し、販売もしたいという。

青年部の皆さんは知らないかもしれないが、2011年には、東京都青果物商業協同組合の八百屋塾でお話をさせていただいている。





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写真右から、青果商「果菜里屋」の高橋さん、東京都青果物商業協同組合本部青年会の吉野さんと、篠崎さん。

最近では、全国青果物商業協同組合連合会の東京大会を当ブログで紹介しているし、翌月には八百屋塾の皆さんを江戸東京野菜の栽培農家に案内している。

青果商の方としては、東京大会で紹介した東向島で寺島ナスを普及する「大喜青果」の阿部敏さん。

品川のマルダイ大塚好雄商店の大塚好雄さん、世田谷の「八百森」の森田哲也さんが、江戸東京野菜を積極的に販売してくれている。

江戸東京野菜を客寄せパンダにしたくないから、協力をすることを前提に、青年会の皆さんを対象にした、勉強会の実施を提案した。

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2017年08月01日

江戸東京野菜通信アクセスカウンター「777777」の写真を送っていただいた方に記念品を贈ります。

毎度、江戸東京野菜通信を検索いただきありがとうございます。
当ブログのアクセスカウンター(トップページ左下)が、皆様のおかげでまもなく「777777」を迎えます。
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アクセスカウンター「777777」を写真やSnippingTool等で撮って下記にメール添付で送ってください。
先着の方(1名)に記念品を贈ります。
ohtake@topaz.plala.or.jp
ご協力ありがとうございました。
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高尾山薬王院に参拝し、大本坊で精進料理をいただいた。


連日の猛暑が一息ついた1日、高尾山薬王院で精進料理をいただいてきた。

40年も前だが、夏の合宿研修の会場として1階の大広間だったかお借りしたことがあった。

その時に頂いた精進料理が忘れられず、その後、子供が小学校に入る前だったが連れて来て以来だ。
友人の坂井睦生さんに誘われて、大澤正幸さんと、ケーブルカーの高尾山駅で待ち合わせをしてやって来た。

2007年だったか、高尾山がミシュランガイドの旅行案内本で三ツ星に選ばれた事から、都市から手軽に行けると外国人観光客も多い。






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今回の企画は、前回八王子の「けいの家」で、日頃から江戸東京野菜を応援してくれている坂井さんと大澤さんに収穫期を迎えた「川口エンドウ」を、食べてもらったが、

その席で坂井さんが、毎週1回高尾山健康登山を行っていることを聞き、敬意を表し次回は坂井さんにご案内いただくことになっていたもの。


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2017年07月05日

350数年の歴史を伝える京橋大根河岸青物市場蹟の緑地スペースが寛ぎの場に整備された。


京橋大根河岸青物市場蹟の緑地スペースが整備された。
毎年11月に東京都農住都市支援センターが主催しているバスツアーの集合場所になっている。

3年前の2014年6月に「京橋大根河岸生誕三百五十年」のイベントが、京橋大根河岸会によって青物市場蹟でにぎやかに開催されたのを思い出す。

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昨年来たとき、集合場所は工事をしていたので碑文すら読むことが出来ず、高速道路下に集合して、そこで、大根河岸誕生のお話をした。

なんの工事かわからなかったが、先日、通りかかったら綺麗に整備されたので、写真を撮ってきた。





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これまで何か薄汚れていた京橋大根河岸青物市場蹟のスペースは、碑を象徴的にして、周辺は市民が寛げる環境になって、見違える程だ。

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350数年の歴史を思い起こす場所となり、幾つも出来たベンチで、本を読む市民も見受けられた。



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2017年07月04日

平成29年度「農」の機能発揮支援アドバイザー派遣の募集が始まった。


一般社団法人 都市農地活用支援センターが実施していた "「農」のある暮らしづくりアドバイザー" の派遣は今年から "「農」の機能発揮支援アドバイザー" の派遣となった。

この事業、全国に広がる農業者や都市住民等のみなさんによる「農」に関する取組を支援するもので、

みなさまからの要請に応じて都市農業、福祉、コミュニティ、教育、防災、まちづくり等の専門家をアドバイザーとして派遣し、必要な助言・指導を行い、都市農業の多様な機能について、広く国民のみなさんの理解を醸成します。

今年からNPO江戸東京野菜コンシェルジュ協会も関係協力団体となりました。


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今年も、地産・地消、学校教育その他食育、農による地域交流等の、
アドバイスをさせていただきます。

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2017年06月28日

江戸は文化文政の頃に描かれた「野菜尽絵合かるた」を見に銀座に出かけた。


全国の伝統野菜を販売しているウォーマーウォーマーの高橋一也さんから、メールをもらった。

銀座で「野菜絵合せかるた」の展示販売をしていて、出かけて見てきたという。

普段、目にしている伝統野菜が、実際に絵になっていると、
とてもうったえかけてくるものを感じます。とあった。

面白そうだと伝えたら、銀座で古美術、絵画、写真ほか美術品の売買をしている中松商店からさっそくパンフレットが送られてきた。

今回出品されているものの中にも、江戸東京野菜らしきものもあり資料的価値から、出かけても見た。



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兵庫県芦屋の「滴翠美術館」は、茶陶とカルタを中心にコレクションされていて、同じような野菜青物尽くし絵合わせカルタも収蔵されているという。

描かれた時代は江戸時代の文化文政(1804〜1830)の頃、と聞くが、表裏共に紙本、背面は金泥引き、絵面は金揉箔散し、四条派らしき上品な筆致である。

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店主の中松弘毅氏によれば、若干構図が異なる野菜の絵札が2枚あり、それをトランプの神経衰弱のようにして、めくり当てるという遊びのようで、50組のうちの半分50枚が市場に出たと云うことのようだ。

滴翠美術館の山口副館長は、「これらは深窓に育って世情にうとい子女たちの実物教育の代わりをはたしたものであろう。」と、書物に書いている。

同カルタの展示販売は7月1日まで(13時から18時まで) 実施している。
中松商店 中央区銀座1−9−8 奥野ビル313 
電話 03−3563−1735


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2017年06月18日

明治の初め北多摩の三鷹・府中あたりまでの村々が一時品川県に属していた。


先日、多摩地区が東京府に移管されて100周年を記念した25年前の日本酒が出てきた話を紹介したが、

改めて、神奈川県だった多摩地区が東京府に移管された経過を調べてみた。

それまで大名などが治めていた各藩は廃藩となり、新たに県が置県となった、いわゆる廃藩置県で、多摩地区の大部分は明治4年に新たに置県された神奈川県に編入された。

明治26年(1893)になって多摩地域は神奈川県から当時の東京府に移管されたが、移管について、政府の表向きの説明は、東京の飲み水である玉川上水の水源を管理するため、多摩地区を東京府に移管するというものだったが、背景には勢力を増していた多摩地区の自由民権運動があったようだ。



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しかし、ここに至る間にごたごたがあった。
慶応4年(1868)7月武蔵知県事に任命された旧代官松村長為の支配地域が後に品川県になる。

しかし明治2年(1869)、知県事は廃止され、代官や旗本の旧領は置県された品川県、韮山県、入間県、西端県となった。
武蔵国多摩郡は、品川県、韮山県、入間県などに移ったわけだ。

多摩地区に品川県だったところがあると云うので気になって、品川区文化財係に教えていただいた。

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江戸末期に建てられた野崎村の名主吉野家が、小金井にある江戸東京たてもの園に移築されている。

松村長為の支配地域(幕府領)
本宿村、屋敷分村、府中宿ノ内・本町、府中宿ノ内・番場宿、府中宿ノ内・新宿、是政村、常久村、上染屋村、下染屋村、押立村(以上現府中市)  (◎府中宿の本町、番場宿、新宿、是政村で二代将軍秀忠が、真桑瓜の栽培をしている)

恋ヶ窪村、国分寺村、本多新田、内藤新田、戸倉新田(以上現国分寺市)、

上飛田給村、下飛田給村、上布田村、国領村、上給村、矢ヶ崎村、金子村(以上現調布市)、
覚東村、駒井村(以上現狛江市)、

大沢村、野崎村、牟礼村、上仙川村、中仙川村、野川村、北野村、上連雀村、下連雀村、井口新田、(以上現三鷹市)、
吉祥寺村、西窪村、関前村、境村(以上現武蔵野市)、
梶野新田、関野新田、貫井村、上小金井村、下小金井村(以上現小金井市)

松村長為の支配地域(旗本領)
小田分村、人見村、車返村(以上現府中市)、
上石原村、下石原村、布田小島分村、下布田村、深大寺村、給田村、 (以上現調布市)、

以上が品川県になったが、明治4年(1871)11月13日,廃藩置県に伴い品川県を始め、韮山県、入間県、西端県は2年で廃県となってしまい、

12月5日には,多摩郡のうち(のちの東多摩郡の地域)中野村ほか54町村は、東京府に編入となった。
多摩地域の大部分(現在の三多摩地域)は神奈川県に移管された。
明治政府の混乱ぶりがよくわかる。

因みに、多摩郡は、明治11年に西、南、北、東に分割、各郡として制定、東多摩郡も存在していたのだ。

東多摩郡は、明治22年町村制の施行により野方・中野・和田掘内・杉並・高井戸・井荻の6村となる。
29年4月1日,東多摩郡は、南豊島郡と合併して豊多摩郡に編入し,東多摩郡という郡名は廃止となった
現在の中野・杉並両区の地域だ。

さて、神奈川県に移った三多摩だが、それで終わらず明治26年(1893)、神奈川県から当時の東京府に移管されたのだ。

品川県は現在の港区、渋谷区、新宿区内の一部なども入っていたから、今度は23区内も調べてみたい。



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2017年06月16日

インターネットジャーナル社の「経営者情報交流会」で日本ソフケン飛田和社長による「フルボ酸について」が印象に残った。


食の最新情報を報道するインターネットジャーナル社では、食品サポート連合の「経営者情報交流会」を毎月開催している。
6月の交流会は13日に、神田の学士会館で行われた。

同社の情報発信は、動画でも行われ、当ブログの右の欄「動画」には
最新のもので「粋な江戸東京野菜フェア」、「駒形どぜう江戸文化道場」、「のらぼう祭り」を取材いただいた。

コメンテーターによる「食品トレンドを知る、学ぶ」では、ソフトプレーン・フィールド褐レ問の鈴木貞夫氏による「人生・百年時代を知る・学ぶ」。 

鈴木氏は、フードボイスのブログで、元気商人塾の連載をしている。



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今回、会員による「我社のマーケテイング戦略」で、プレゼンをされた、日本ソフケンの飛田和義行社長による「フルボ酸について」が印象に残った。

フルボ酸は、生物に必要な二価鉄の酸化を抑え、安定化して運ぶことができる。
農業の分野での活用が大きいと認識した。


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2017年06月15日

多摩東京移管百周年を記念した清酒「東京銘醸倶楽部」が琥珀色になって出てきた。


使い勝手が悪いからと、家内がキッチンをリフォームすると云うので、食器棚から縁の下の収納スペースまで整理をしていたら、琥珀色に変色した日本酒が出てきた。

樽に入ったワインの場合、熟成の過程で目減りする分を、「天使の取り分」と呼ぶそうだが、ガラス瓶の中だからか、味の方は期待できない。
ボトルを揺らすと底に僅かにたまったオリが舞い上がった。

このボトル、清酒の「東京銘醸倶楽部」で、ラベルによると、多摩が東京に移管して100周年を迎えたことを記念した事業で、東京都酒造組合が都内14の酒蔵から、各吟醸しを一堂に集めて、これを均等に混和したものだとある。

各酒蔵の味わいが渾然一体となって、世にも稀なる妙酒になった。と云う。

製造は石川酒造が担当し、製造は93年10月となっているから25年前の日本酒だが、ラベルは色あせていない。

丁度、10月2日に、記念イベントとして行われたシンポジウムにパネラーとして、出たこともあり、記念に買い求めたと記憶している。

江戸東京野菜コンシェルジュの講座て、江戸東京の地域を説明するなかで、多摩地区はかつて神奈川県だったと話すと驚く方が多い。



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私は基本ビール党だから、そのうちに飲もうと思っていたが、いつまでたっても飲まないものだから家内がしまい込んでしまったようだ

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「限定記念ボトル1893年」と、多摩が東京に移管された年号が入り、
多摩21くらしの祭典「VOICE93」の文字も・・・

嘉泉(福生・田村酒造)、喜正(秋川・野崎酒造)、澤乃井(青梅・小澤酒造)、丸眞正宗(北区・小山酒造)、千代鶴(あきる野・中村酒造)、日出山(八王子・中島酒造)、粋悦(青梅・大多摩酒造)、月丸(八王子・西岡酒造)、吟雪(武蔵村山・渡辺酒造)、金婚(東村山・豊島屋酒造)、多満自慢(福生市・石川酒造)、桑乃都(八王子・小澤酒造)、国府鶴(府中・野口酒造)、鳳櫻(狛江・土屋酒造)

東京都酒造組合加盟の14の銘酒が記されている。

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2017年06月05日

金婚の豊島屋酒造で江戸酵母で仕込んだ「江戸酒王子」と出会った。江戸東京野菜料理とのコラボが楽しみだ。


昨年だったが、東村山市恩多の野火止用水脇で江戸東京野菜を栽培している久野稔晃さんから、地元の酒蔵豊島屋酒造で蔵開きがあるからと誘われたが、生憎先約があって失礼したことがあった。

今年、江戸東京野菜コンシェルジュ協会の新年会が、押上「よしかつ」で行われたときに、唎酒師の資格を持つご主人の佐藤勝彦さんが、厳選したお酒を集めているが、豊島屋酒造の「屋守(おくのかみ)」を勧められて、気に入ってしまった。

また、4月に更科堀井で行われた「春の会」では、料理研究家の林幸子先生が、奥多摩わさびでわさび漬けを作るのに、酒粕は、東都のれん会の「豊島屋本店」から取り寄せますと、堀井良教社長。
もちろんわさび漬けは美味しかった。

同じ、江戸時代創業の同店から取り寄せた。そんなご縁が続いたことで今度蔵開きがあったら案内してほしいと久野さんに依頼してあった。




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義兄が東村山に住んでいるから詳しいはずだが、豊島屋酒造には行ったことがなかった。
案内してもらったら、府中街道を梅岩寺方面に行く途中の久米川辻を右に曲がって少し行ったところだった。

今回買い求めたいヤモリが描かれた「屋守」のこも被りが目に入った。

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第15回 呑み切り一般公開」は、入り口のテントで入場料を払うと、唎猪口と水のペットボトルが手渡される。



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2017年06月01日

愛情野菜専業農家ヤマヨシの「赤い魔法」ニンジンジャムを入手した。


愛情野菜専業農家ヤマヨシの「赤い魔法」ニンジンジャムを入手した。
昔からニンジンの産地だった東京都清瀬市、この地で生まれたニンジンジャム、「ペーターキャロット100%」と、「ペーターキヤロット&アップル」、

「赤い魔法」は、当ブログの初めの頃に紹介しているが、最近は屋号の「ヤマヨシ」で販売しているようだ。

先代の義直さん、正子さんご夫妻を存じ上げているが1997年に日本農業賞の特別賞を受賞した当時から、カブ、ホウレンソウ、ニンジン、サトイモなどの野菜専業農家で パイプハウスと露地栽培をうまくローテーションを組み、家族が一丸となり、一年を通じ、とぎれることなく秀品を市場に出荷していた。

当時も出荷量は常にトップの座を占めて、品質の良さと、正しい規格の野菜を出荷するため、市場側の信頼は高く、ヤマヨシの野菜は市場を通じ、全国に転送されていた。

 当時、先代の義直さんは「モットーとして、毎朝欠くことのない野回りだ」と語っていた。
早朝に畑をくまなく回って野菜と語り合っていた方だ。





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二代目正明さんは、カブとホウレンソウで、それぞれ農林水産大臣賞を受賞し、農地を借用するなどして規模拡大も行っている。

「魔法をかけたかのように、毎日元気いっぱいで 健康に過ごして欲しい」ので、赤い魔法をお勧めする。



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2017年05月25日

「食材の寺子屋」の中村靖彦塾長のお誘いで、赤松の美しいコースで英気を養った。


NPO法人 良い食材を伝える会「食材の寺子屋」の中村靖彦塾長が主宰する第16回「中村靖彦杯」ゴルフコンペの案内をもらっていた。

同コンペ始めの頃は、飯能にある武蔵が丘で行っていたが、その後はしばらく埼玉県越生の日本カントリークラブで開催されていた。

今回のご案内では、コースが埼玉から千葉県野田に変わっていた。
今までのコースだと、車で1時間足らずでいけるので毎回のように参加させてもらっていたが、千葉まで行くのはおっくうだから、失礼しようと思っていたら、同コンペの幹事をされている青木宏高さんから「今回が最後だから・・・」と云う。

同コンペは、シンペリア方式だから、第14回だったか2位になったのが最高だった。
NHKの倉石久寿さんや日経新聞の岩田三代さん、日本農業新聞の築地原優二さん、フーズドリームの伊藤俊一さんなど、皆さんとのご縁もできているので、参加を決めた。






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今回の案内には、「中高年に優しめのコースに変更しました」とあったが、「柴カントリークラブ あやめWestコース」は赤松でセパレートされた美しい林間コースで広いフェアウエーイで伸々と打てた。

幹事の青木宏高さん、小澤肇さんにはお世話になった。





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2017年05月22日

行きつけの昭島の丸義で、宮城県産の「ほや」を見つけたので晩酌用にさばいてもらった。


30代の頃、居酒屋で友人が注文した「ほや」を、うまいからと勧められて一口食べたのが病みつきで、一時すっかりはまっていた時期もあった。

住んでいた近くの鮮魚店に並んでいたのを買ってきたこともあったが、家内の気持ち悪いという言葉を尻目に、包丁を持ったが

さばき方がわからず、二つに割って食べようと包丁を無造作に入れたとたんに、パンパンに張っていたほやの体内から汐水のような液体が鉄砲水となって顔面を直撃したのにはびっくりした。

何度やっても切り方がわからなものだから、失敗を繰り返し、まな板周りをびしょびしょにしていた。





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昭島に移り住んでから、マグロが食べたくなと隣駅・青梅線中神駅近くの住宅街にある「丸義」に行って買ってくる。

竜太郎社長のお父さん(初代社長) はお元気で板場を仕切っていて、鮮度のいい魚介類がそろっているから、同店のを食べるとほかのものが食べられなくなる。

同店には味にうるさいお客さんが、遠くから車でやってくるようだ。

上の画像をタツプする
孫が来るというので、家内と相談して手巻き寿司でもやろうか!、となった。

丸義では、マグロ以外も孫の好きなイクラやウニなども買ったが、宮城産の「ほや」があったので、晩酌用に一つさばいてもらった。

海中での形から海のパイナップルと云われる「ほや」、根のようなものも付いていることから植物なのかと思われがちだが、プランクトンを餌にしている海産動物。

さばき方がわからないままになっているので聞いてみ見たら、社長の弟さんが板場から出てきて教えてくれた。
突起物を切り落とすのがポイントだとか・・・・・
パンパンの「ほや」の切り方について、長年の疑問が解けた。

ほやの旬は5月から8月というから、しばらく食べられそうで、今度は自分でさばいてみよう。



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2017年05月13日

杉並区立成田西ふれあい農業公園の皆さんが高井戸半白キュウリの苗を取りに来た。


「杉並区立成田西ふれあい農業公園」は昨年の4月9日(土)に開園した。

昨年は、杉並区の伝統野菜、高井戸半白キュウリを栽培したいと云うので、協力し提供をさせていただいた。

そして7月には、同農業公園において「地域の伝統野菜」の講座を設けていただいたので伺ったが、区民の皆さんが地元杉並の一地域名の付いた野菜に注目していたことも当ブログで紹介した。






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杉並区民の方々の反応を目の当たりにしたこともあり、今年は早めに同農業公園に苗の希望を聞いていたが、連休中に、小平の宮寺光政さんの畑に、齋藤瑞枝所長と中塚正一副所長がお見えになった。

上の画像をタップする
折角宮寺農園に見えたので、宮寺さんが栽培している状況をご覧になり、採種の仕方などの説明を教えてもらっていた。

畑のやぐらネギを見て、興味を持ったようで、宮寺さんが掘ってもらって、持ち帰られた。
やぐらネギは、ネギ坊主の代わりに珠芽と呼ばれる物を付け、そこからいきなり苗になることから、区民の皆さんに見せる農業公園にあっても面白い。

なお、当ブログで星野直治さんが、江戸東京野菜の寺島ナスを分けてくれるからと、ご案内したが、齋藤所長は早速星野農園を訪れ分けていただいたと報告があった。


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2017年05月04日

久しぶりに、タケノコの皮に梅干し入れてチュウチュウしちゃった。


先日、八王子の立川太三郎さんの竹林に伺ったことは報告したが、立川さんが掘る手を休めた時、幼い頃、タケノコの皮に梅干しを包んで、隙間からチュウチュウ吸った話で、二人で盛り上がった。

昭和30年代初めの頃、物がない時代だったが、タケノコの季節になるとあれが楽しみで、その思いを共有して盛り上がったもの。

そんな話を、先日開かれた更科堀井の「春の会」で、江戸ソバリエ協会のほしひかる理事長、松本一夫さん( 江戸ソバリエ・ルシック)、アトリエグーの林幸子先生に、当然知っているものと思って、話題に出したら、皆さんシラッとして、「何それ知らない」という。

ほし理事長は九州、林先生は関西だから、関東の食文化なのだろうか、知っている人は教えてください。





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このシーズン「筍の飯」が食べたくて、「ファーマーズセンター みのーれ立川」に行ってみたら、9時の開店前から長い行列ができていた。

上の画像をタップする。
その多くの人がまず、タケノコのコーナーに向かったが、しばらくしてその前が空いたところで写真に撮った。
山ほどあったタケノコは、半分ぐらいになっていた。

昨年までは「江戸東京野菜のタケノコ」 のポップがあったが、担当者が変わったようで今年は無かった。


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2017年04月24日

羽村の「チューリップまつり」 、今年もいっせいに咲いた花が、「根がらみ前水田」を彩っていた。


東京西多摩の羽村市では、毎年、「はむら花と水のまつり」として、前期を「さくらまつり」、後期を「チューリップまつり」、
そして玉川上水の取水口があることから、桜、チューリップ、玉川上水をまとめた、春の大イベントとして、3月中下旬から開催している。

毎年、終わったころに気が付いていたが、今年は近くを通りかかったので思いついて寄ってみた。





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羽村市でもこれだけ連担した水田はこの「根がらみ前水田」だけになってしまった。
チューリップの球根36万個が、23千uの水田に植えられている。

この水田、23日(日)に、このお祭りが終了すると、チューリップの花は摘み取られ、しばし球根の育成が行われ5月中旬に掘り取り、6月の田植えの準備が始まる。
田植えは、地元の小学校も田植えの体験学習をさせてもらっているようだ。

8月上旬には、古代のハス「大賀ハス」の観蓮会が、羽村市の農業後継者により行われていることは、当ブログで紹介している。

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この水田、収穫が終わる11月から5月までが休耕田となることから、11月下旬になると球根を植え付ける。

昭和63年に「花いっぱい運動」の配布用球根を増やすために、実施したものだが、毎年、水田として用水から水を張り、稲作が終わると水を抜くため、土壌が再生されて、チューリップに連作障害が出ない。


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2017年04月12日

先日、飯能まで行ったものだから、野口タネに寄ってきた。


所沢の友人に誘われて、飯能グリーンに行って来たが、帰り道入間川沿いの「野口のタネ」に伺った。

苗づくりのシーズンを迎えて、江戸東京野菜の栽培をしてみたいという方々も多いので、情報交換のために飯能市小瀬戸の野口のタネに伺ったもの。

この時期、春野菜などのタネの注文が多くなる時期で、同社の小野地さんと、島田さんは注文の発送に大忙しだった。




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野口社長は、講演で全国を飛び回っているから、いらっしゃれば、ラッキー! だが、
奥の書斎で文献を読んでおられ、快く迎えてくれた。

伝統小松菜の城南小松菜に、大平系と渡辺系があったと、最近話題になっているが、野口社長にも江戸東京野菜の情報として報告したところだ。



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2017年04月05日

NHK Eテレの「2020TOKYO みんなの応援計画」を見たよ!、と皆さんから激励の電話やメールをたくさんいただいた。


NHK Eテレが月1回放送してきた「2020TOKYO みんなの応援計画」で、江戸東京野菜の取り組みを紹介したいと、同番組の制作会社アッパレの井出有吾さんから電話をもらったことは、当ブログで紹介した。

亀戸ダイコンと、金町コカブを栽培している清水丈雄さん、伝統小松菜を栽培している清水理作さん、そして

小平市で料理教室「たしろ ゆきこのOrange Kitchen」を開いている田代由紀子先生(江戸東京野菜コンシェルジュ) 、

都庁32階南側の食堂で実施している、〜江戸東京野菜を食べよう〜! シリーズ〜、の会場。

そして、立川市立図書館で調べものと、4日間も取材されたが、途中から井出さんは大竹が面白いということになったのか、そんな構成に変わっていった。

さすがNHKと思ったのは、47歳の時に取材を受けたVTRや、ニュースセブンで紹介された早稲田ミョウガの捜索のVTRなども、探し出して繋いだので、活動に奥行きができた。





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放送後、沢山の方々から、復活・普及活動について激励の電話やメールをいただいた。
ありがとうございました。

番組は、タレントのSHELLY がMC、ゲストは日本に拠点を置き活動するアメリカのギタリスト、マーティ・フリードマン。

番組の中で、江戸東京野菜は、1964年に開催された「前の東京オリンピックが原因でつくられなくなったんです。」と話したら、SHELLYが反応して驚いていた。

朝ドラの「ひよつこ」も、東京オリンピックが開催された1964年の頃から始まったが、当時、地方から建設工事などの出稼ぎの人たちが東京に集まった。

テロップでは、「地方から人が集まり人口は1千万を超えた。 都内の農地は住宅地に変化」
SHELLYは、「それで作られなくなったんだ!!」、

説明が不足している。
当時、政府は持ち家政策をとっていて、その後、農地の宅地並み課税によって、農地の宅地化を推進した。

土地問題だけではない。
1960年代初め、野菜栽培には、化学肥料が使われ始めていて、農地のすみには使われなくなった肥溜めがあり、新住民の子供たちが肥溜めに落ちる事故が畑の周りで起こっていた。

オリンピツクで外国からお客様が大勢来るからと、東京の農業後継者たちは肥溜めのぶち壊し運動を行っている。

オリンピックをきっかけに人口が集中したことから、大都市に安定的に農産物を供給するために、1966年には野菜生産出荷安定法が制定されて大産地が生まれると、段ボール輸送にともない揃いの良い規格通りの野菜が求められた。

これにより種苗業界では、高度な育種技術で生まれた交配種の導入が進んだことから、固定種の野菜・各地の伝統野菜は栽培されなくなっていったということだ。

日本は高度経済成長の時代(1960年代後期) に向かっていく中で、わが国農業は大きく変わっていった。

「江戸東京野菜を2020のおもてなし食材にしたい」は「大竹さんガンバレ」で終わったが、

見終わってマーティ・フリードマンは、江戸東京野菜を食べたくなったと言っていた。
外国人もベジタリヤンや、衣食住すべてで動物性のものを避けるビーガンの人たちも増えているとも語っていた。

追伸

東京の農家は「ぼさ菊」の栽培で、オリンピックとかかわっている。

東京オリンピツクの時は、東京農大の3年生、ボランティアで
選手・役員を代々木の選手村から会場までの送迎を行っていたことは、フードボイスに書いている。

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