2012年03月08日

復活! あらかわの伝統野菜 「汐入大根」観光振興に研究会 がキツクオフ。


一週間前、荒川区の観光振興課 谷井千絵課長からメールとチラシが届いた。

同区観光振興課では、これまで地域の様々な資源を切り口に荒川区のPRや、また区民の方にも新たな魅力を知ってもらうための取り組みを行ってきたという。

当研究会が企画した汐入大根の試食会が1月15日付の東京新聞に掲載されたことが、地元荒川区で話題になり、観光振興の立場からも、地元に汐入大根という貴重な伝統野菜の資源があることを思い出させることになったという。

当研究会は、青茎三河島菜の時もそうだったが荒川区民へのメッセージとして企画したわけで、そのことが伝わったことがことのほか嬉しい。

区内の飲食店でもこうした伝統野菜や野菜素材に興味を持っている店があり、ぜひレシピを研究したいとの反応もあったことから、汐入大根を栽培している、同区立汐入東小学校の羽中田彩記子校長にも相談して、試食をしながらの意見交換をする研究会を開催することになったという。




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上の写真をクリックするそんなことで、これまでの経過について話してほしいと、特別ゲストとしてご招待をいただいた。

なお、当日名刺交換をした方は、ご案内をいただいた谷井課長のほか、石原久産業経済部長、池田洋子広報課長、観光振興課の播磨大亮係長、健康推進課栄養担当田嶋係長(栄養士)、、

荒川ふるさと文化館加藤陽子主任学芸員。また、お世話になっている環境課の彦坂樹木医もお見えになった。
リバーパーク汐入町会 婦人部長の 川上かつ江さん、地元飲食店「月光」の堀口智一店主、そして会場となった「ばあ〜るまあ〜る」の緒方敬士さん、菜央さんご夫妻。


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2012年02月16日

平成24年度の荒川区教育研究会給食・食育部の発表が同区諏訪台中で行われた。


荒川区の先生方との出会いは、2010年12月に、里帰りした三河島菜が新聞に載ったこともあり、尾久宮前小の鈴木恵理栄養教諭と、第三日暮里小の栄養士・清水一枝先生が、宮寺光政農園に訪ねてきたことからだ。



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荒川区教育研究会では、平成23年度の研究発表大会が、西日暮里の区立諏訪台中学校で開催された。

同研究会には、大橋昭彦先生(第三峡田小校長)をはじめ、羽中田彩記子先生(汐入東小統括校長) 刑部之康先生( 原中校長)がお見えになっていた。


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2011年12月25日

荒川区立峡田小学校では、宮寺光政さんが栽培した青茎三河島菜が給食で調理された。


荒川区立峡田小学校(松崎勝校長)では、田中彬子栄養士が、地元の伝統野菜・青茎三河島に注目し、小平市の宮寺光政さんの指導を受けて2年生の栽培、観察などを行ってきた。

また、9月には研究授業も開催される等、荒川区内の先生方にもご理解をいただけるまでになり、その事は、当ブログで紹介した。



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栽培指導を行った宮寺さんの所に田中先生から写真と手紙が届いた。

11月29日、宮寺さんが栽培した青茎三河島菜は「塩ラーメン」の具として調理されたと云う。


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2011年12月22日

日本最大級の環境展示会「第13回エコプロダクツ2011」会場で江戸東京野菜の食育を発表。


荒川区立尾久宮前小学校( 伊藤雅夫校長 )の鈴木理恵栄養教諭から、東京ビックサイトで、同校の食育の取組を発表することになったからと、連絡をいただいていた。
会場は東1ホール。「オール東京62市区町村共同事業」のブースでは、東京の自治体が分刻みで発表をしていた。
14時半には伺えると伝えていたが、思いのほか、午前中の仕事が伸びてしまって、国際展示場駅に着いたのが始まりの時間だった。
そこから会場は遠くて、ブースを探すのにまた時間がかかって、たどり着いた時には終わっていた。
鈴木先生、伊藤校長、申し訳ありませんでした。




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右から、彦坂雅男氏、伊藤英夫校長、鈴木理恵先生、白石亜以さん。

荒川区環境課エコプロ担当の白石亜以さんに話を聞いた。

「エコプロダクツ2011」の開催に当たり、荒川区として何を取り上げるかを検討し、
環境推進係の彦坂雅男(樹木医)さんから、情報として区立尾久宮前小の取組を知り、自分たちで「作ってたべるおいしい食育」〜復活した三河島菜〜は、テーマにピッタリと言うことで発表してもらったと言う。
彦坂先生とは、一度同校でお会いし当ブログで紹介している。



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2011年12月02日

『青茎三河島菜』の故郷・荒川区の小学校で児童たちが立派に育て、保護者と食べる。


先日、荒川区立尾久宮前小学校( 伊藤英夫校長 )の栄養教諭・鈴木恵理先生から写真が送られてきた。
9月15日、鈴木先生から小平の宮寺光政さんに栽培指導をしてもらいたいとの依頼があったとき、生育状況の写真を月一回送っていただくとの約束をしていたもの。

11月24日(70日目)に収穫した写真を送ってくれた。




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4年生が栽培した三河島菜は、宮寺光政さんが栽培したものと変わりないような立派なものを収穫していた。
この畑、日あたりが良いのと、宮寺光政さんの指示通り肥料もバランス良く入っている。
無農薬だから、葉は虫に食われているけれども、安心安全な、”マイ 三河島菜 ” なのだ。

この三河島菜、児童は家へ持ち帰り、いろいろな食べ方をしているようで、保護者の感想も一部送っていただいた。


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2011年10月29日

地元の伝統野菜・青茎三河島菜の生育に荒川区の教育長もびっくり。


尾久宮前小学校( 伊藤英夫校長 )で青茎三河島菜の栽培を始めたのは、9月15日、三河島菜名人の宮寺光政さんが、来校して栽培指導をしたことは、当ブログで紹介している。

今回は、栄養教諭の鈴木恵理先生の総合学習の時間で、青茎三河島菜について勉強するから、「三河島菜の歴史、東京都内では他にどんな種類があったのか?」の話をゲストティーチャーとしてお願いしますというもの。




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少し早めに伺ったことで、荒川区教育委員会の川嵜( かわさき )祐弘教育長( 写真右 )にお会いした。
川嵜教育長には、同区立小学校で伝統野菜の三河島菜に注目し、栽培いただいていることを報告し、お礼を申し上げたが、川嵜教育長も良くご存じで、ご自身でも、タネを蒔いて育てていると云うから嬉しくなった。

伊藤校長の案内で教育長の後について畑を見せてもらったが、農家並みの生育だったから、教育長も驚いていた。写真をクリックするとタネを蒔いた4年生が説明していた。


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2011年10月22日

荒川区教育研究会 給食・食育部に招かれて、初めて見る里帰りした三河島菜が教材。


前から、荒川区教育研究会 給食・食育副部長の鈴木理恵栄養教諭(荒川区立尾久宮前小学校)から講師依頼を受けていたが、今月上旬に正式の文書が同部の部長・荒川区立第三峡田小学校大橋昭彦校長から戴いた。

文書によると、『研究授業及び講演会』を19日に荒川区立峡田小学校で(13:30〜16:30)で開催する。
研究授業は 2学年対象で食育授業を行い、授業を参観後、講評と講演を依頼すると云うもの。
荒川区の先生方とは、昨年の12月に「里帰りした三河島菜」( 以後三河島菜と云う )を紹介したときに、お会いしてからだが




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田中彬子先生( 栄養職員 )が栽培した三河島菜を感心して見入る宮寺光政さん。
宮寺さんをクリックすると、2年2組学級担任の三浦亜紀主任教諭、と田中先生と打ち合わせする宮寺さん。

8月から、播種して栽培するにあたって、打ち合わせのために皆さんが宮寺さんの畑にやってきた。

また、「研究授業」の実施に先立ち、担当する田中先生は、9月に授業を行っているがこのことも当ブログでも紹介している。


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2011年09月22日

荒川区立峡田小学校の田中栄養士がアイデアプランターを作って、2年生が三河島菜のタネを蒔いた。


荒川区立峡田(ハケタ)小学校 (松崎勝校長) の田中彬子先生(栄養士)が、子どもたちに、荒川区の伝統野菜「三河島菜」を食べさせたいと、8月下旬に栽培農家の宮寺光政さんの畑に、同区内の栄養士さん達と訪ねてきたが、当日、宮寺さんに直接栽培指導を依頼して実現したもの。



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タネ蒔きに先だって、田中先生は学校の近くにある三河島稲荷神社に設置されている「三河島菜」の説明板( 子どもたちも知っている )の写真を撮ってきて、見せながら説明を行った。

そして、学校の校章が三河島菜だと云うことも添え、黒板に貼った。(田中先生をクリックする)



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2011年09月19日

荒川区立尾久宮前小の伊藤校長、ご覧ください「三河島菜の芽」2学期は「三河島菜」に挑戦します。


荒川区の伝統野菜・三河島菜については、荒川区立尾久宮前小の栄養教諭・鈴木恵理先生が、早くから注目してくれていて、昨年の暮れに新聞で報道されるとすぐに小平の宮寺光政さんの畑に飛んできた。
7月に、鈴木先生が荒川区の小学校で興味を持っている栄養士の先生方を集めて勉強会をするからとお誘いがあり、その事は当ブログで紹介した。



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尾久宮前小学校では鈴木先生以上に、熱心なのが伊藤英夫校長で、1学期は「トウモロコシ」を栽培しました。
2月期は「三河島菜」に挑戦します。と発芽したばかりの苗を父兄の方々に見てもらったようだ。 写真をクリックすると父兄に見せるために伊藤校長手作りのパネルは、トオモロコシ。

このことは、7月28日都庁で開催された「平成23年度 健康づくりフォーラム」で4年生の総合学習で実施すると発表されている。

8月には、荒川区ゆかりの野菜を生徒達に食べさせたいとする、栄養士の皆さんが宮寺さんの畑にやってきたことは、当ブログで紹介している。

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2011年08月29日

荒川区ゆかりの野菜を生徒達に食べさせたいと栄養士さん達が宮寺農園にやってきた。


地元ゆかりの伝統野菜、里帰りした三河島菜を生徒達に食べさせたいと荒川区の栄養士さん達が、小平の宮寺農園(園主・宮寺光政氏)にやってきた。

里帰りした三河島菜は、当ブログのカテゴリにまとめてあるが、この菜が新聞で報道されたことで、荒川区立尾久宮前小学校の栄養教諭・鈴木恵理先生と、第三日暮里小学校の栄養士・清水一枝先生の二人が、昨年の暮れに訪ねてきている

以来、メールで情報を伝えていたか、先日、鈴木先生が尾久宮前小でゆかりの伝統野菜に注目している栄養士の先生方を集めて勉強会が行われた。


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左からも宮寺氏、新井美穂先生(尾久西小)、鈴木恵理先生(尾久宮前小)、清水一枝先生(第三日暮里小)、田中彬子先生(峡田小)、内田久恵先生(第一日暮里小)。 
市立小平第六小学校の、白井ひで子栄養教諭(右)が、別件で宮寺さんに協力を依頼しに来ていた。


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2011年07月27日

荒川区の栄養士さん達と同区の伝統野菜・三河島菜について勉強会。



荒川区の伝統野菜・三河島菜の話は、当ブログのカテゴリ「里帰りした三河島菜」でこれまで20件のデーターをまとめてある。


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「里帰りした三河島菜」は9月中旬には播種する必要があるから、そろそろ心構えの準備をしてもらおうと、荒川区立尾久宮前小・栄養教諭の鈴木恵理先生にメールをしたら、小平の宮寺光政さんの畑に見に来た、第三日暮里小学校の栄養士・清水一枝先生をはじめ興味のある学校の栄養士さん方が同校に集まった。(写真をクリックする)

初めて行くところだったので少し早めに着いたが、同校の伊藤英夫校長が校内を案内してくれた。

プールと校舎の間に畑が作ってあり、トウモロコシやゴーヤが立派に管理・栽培されていて、ここで「里帰りした三河島菜」を栽培するのだと云う。日当たりも良し。

各校とも、9月に向けて栽培の準備にかかるようだが、播種からの栽培指導には宮寺さんに来てもらうことになるだろう。



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2011年06月15日

「里帰りした三河島菜」のタネが採れた。


「里帰りした三河島菜( 通称・里帰り菜 )」のタネが熟したことは、ブログで紹介したが、宮寺さんからそろそろ、母本を刈り取るとの連絡があったことから、NPO法人ミュゼダグリ( 納所理事長 )の皆が手伝いを申し出て、6月5日に刈り取り作業を行った。


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その後、ハウス内で乾燥させていたが13日に、500mlのタネが採種出来た。


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2011年06月03日

「里帰りした三河島菜」のタネが実った。


昨年の暮れに話題を呼んだ「里帰りした三河島菜」(略・里帰り菜)は、採種の段階に来た。
アブラナ科と云うことで、交雑しないように宮寺光政さんは、網室を作っていたが、ようやく莢が熟し、採種の時期を迎えた。
今後は、天候の様子を見てハウス内で莢を乾かしてから、莢を割ってタネを収集する作業に入るが、NPOミュゼダグリの皆さんが手伝って実施する予定だ。


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手のひらをクリックすると、「里帰りした三河島菜」の網室と、5月31日現在の莢。
当ブログのトップページ左の、カテゴリ「里帰りした三河島菜」にこれまでの経過を集めてあるが、3月23日の報告では網室を作ったことまで掲載している。


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2011年03月23日

荒川区峡田地区の小学校の校章はやはり「三河島菜」だった、23年目の検証。

23年も前に行われた第七峡田(はけだ)小学校「七峡小探偵団」の調査は正しかった。

昭和63年度に荒川区立第七峡田(はけだ)小学校の6年生が「七峡小探偵団」として、自分たちが通う学校の校章は三河島菜ではないだろうかとの調査を行っていた。

このことは、私が編纂に携わった「江戸・東京農業名所めぐり(農文協発売・JA東京中央会・企画発行)の中で紹介したから印象に残っているのだが、

小学生が、昔農家だった人に話を聞いたり、三河島菜を売っていたであろう八百屋さんに聞いたり、そして、荒川から立川にまででかけて、三河島菜の細密画が残る「東京都農業試験場(現・東京都農林総合研究センター)」の説明を受けている。


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そもそも、この調査に当たった6年生達は、荒川区峡田地区の小学校の校章がどれも似ていることから調べたという、
上の写真をクリックする

葉の数が5枚であったり6枚であったり、つぼみが1つであったり3つであったり、葉の形やリボンの形も微妙に異なっていたが、同じものだろうと、

6年生達は、区の社会教育課で、峡田( 三河島 )は江戸時代には有名な三河島菜という漬菜の産地で、徳川の将軍にも献上されたことも学んだ。

このようなことから、自分たちの校章は「三河島菜」ではないかとの仮説を立てての調査が始まったもの。

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2011年03月18日

NHKテレビテキスト趣味の園芸の別冊「やさいの時間」3月号が送られてきた。


NHKテレビテキスト趣味の園芸の別冊「やさいの時間」に連載されている、石倉ヒロユキ氏の「古本まるかじり 江戸・明治〜昭和の野菜雑学」が面白い。

石倉氏はベストセラー「野菜の便利帳」の、企画制作をされているが、第四回で「肥やしと小松菜」(4頁)を書いている。




家庭菜園歴10年を超える氏が、近所の農家の軒下にあった肥桶を見て懐かしさを感じたのが今回肥やしについて書くきっかけと云う。

それは子供の頃、畑の片隅にあった肥だめに落ちた経験を持っていることが大きく、化学肥料が使われる以前の農業を体験した一人としての思いが伝わってくる。

これまで紹介されたことのないような図版や収集された古書など貴重な資料は興味深い。

「肥だめの終焉」では、私がお話した肥だめの取り壊し運動についても紹介している。


当ブログでは「里帰りした三河島菜」をカテゴリにまとめてあるが、肥やしと云うと、思い浮かぶのはやはり「三河島菜」だ。



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2011年03月16日

仙台から「今庄青果関係者は全員無事ですのでご安心下さい。」のメール。


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庄子専務が住んでいる若林区、住宅地は浸水している


これからお休みになるのか深夜、今庄青果の庄子泰浩専務からメールがあった。

東北地方太平洋沖地震が発生した後、被害の状況が明らかになってきた12日の朝、心配になって仙台の今庄青果に一度だけメールをした。

庄子専務のお住まいが今回被害の出ていた若林区と聞いていたし、今庄青果に被害はあったのか、

生産地の状況、農家の状況など、しかし、不要不急のメール等は迷惑になるからとその後は遠慮をしていた。



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2011年03月13日

「里帰りした三河島菜」の花は咲いたが、東北地方太平洋沖地震で取材は中止。


3月2日に日本農業新聞の妻木記者が「里帰りした三河島」の記事を一面に書いてくれたことで、

宮城県にあるテレビ朝日系列局、KHB東日本放送で夕方のニュース番組のキャスターを担当している、奥村奈津美アナが、

その記事を読んで、ぜひ「仙台芭蕉菜と三河島菜物語」を特集したいと、電話をくれた。

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「今東京に伺うと、何か三河島菜の取材ができますか !、」と云うから、今なら花が咲いています。

「花が咲いたら、見たいと云っていた荒川区の栄養士さん達も呼んでおきますよ。」
と云っておいた。

また、12日は「NPOすぎなみ環境ネットワーク」で「里帰りした三河島菜」の話もするし、飲食店にお願いして、料理も作ってもらっておきますョ! と、話し、

それなら12日の9時30分に西武新宿線東大和市駅で待ち合わせましょうと云うことだった。

そんな中で11日。 奥村さんは仙台を出発する前の14時45分大地震が発生したわけだ。


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2011年03月04日

日本農業新聞の一面に、「三河島菜」ロマン 仙台から”里帰り” 食育組み合わせ復活 東京都荒川区 地域発 農のデザイン



日本農業新聞東京支所の妻木千尋記者が、温めていた記事をタイミングを見て掲載してくれた。

一面8段抜きのカラー写真付きだ。

当ブログでも紹介しているが、第七峡田小学校の吉野一平校長が訪ねてきたときに取材に来ていたのが、妻木記者だ。


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写真をクリックすると掲載紙にリンク。写真を撮るのが妻木記者(右)



首都圏版の掲載は、それより前に、JA東京むさしの渋谷香織特別通信員が書いていたが、妻木記者は取材の中で私の思いを察してくれたのだろう。

「里帰りした三河島菜」の話は、仙台の人たちに知ってもらうことも大事だということを。

昨日、宮城は勿論だが、山形や四国、九州からも電話をもらったが、3日、妻木記者の記事を読んだと、仙台のメディアから直接電話をいただいた。

やはり、物語が面白いと云うことらしい。

そこで、なぜ里帰りか! を説明した。

「伊達藩の足軽が江戸から持っていった時代から今日までタネを通して命が繋がっている野菜なんです。だから里帰りなんです。」と・・・、

仙台芭蕉菜は固定種なんです。
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2011年01月20日

三河島稲荷神社にお礼参り、「里帰りした三河島菜」の復活普及を願って。

葛飾区の小学校から依頼されて、江戸東京野菜の話をすることになったので、方向が同じなので、少し早めに家を出て、三河島菜と三河島枝豆の農業説明板のある三河島稲荷神社にお礼参りに出掛けた。

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三河島は三河島菜の産地で、江戸から明治にかけては漬菜と云えば三河島菜だった。

しかし、明治初年に中国から白菜が導入され、また、明治38年に三河島駅が開業すると都市化の進展により、畑は無くなり産地は尾久の方に移り、その後白菜の普及等もあり三河島菜は栽培されなくなっていく。

三河島菜の産地として隆盛を極めた、そんな所にある三河島稲荷神社に、平成9年に江戸東京の農業説明板をJA東京グループが建立した。



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2011年01月18日

第七峡田小学校の吉野一平校長が「里帰りした三河島菜」を訪ねてくる。


早朝、東京の東部では雪が舞う寒さの中、荒川区立第七峡田小学校の吉野一平校長が、「里帰りした三河島菜」を訪ねてきた。

先週の土曜日、土曜ワイドラジオ東京(TBS )「永六輔その新世界」で、リポーターの柳沢怜さんが小平の宮寺光政さんの畑から「里帰りした三河島菜」について生中継をしてくれた。


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数日して、リポーターの柳沢怜さんからメールが入った。

「放送を聴いた、荒川区の小学校の校長先生から番組宛に三河島菜について詳しいお話を聞きたいというお電話がありました。

大竹様に直接お取り次ぎをしたいのですが、研究会のご連絡先を教えていただけますでしょうか?」
というもの。

伝えてくれたのだろう、その後吉野校長先生から電話をいただいた。


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