2011年06月15日

「里帰りした三河島菜」のタネが採れた。


「里帰りした三河島菜( 通称・里帰り菜 )」のタネが熟したことは、ブログで紹介したが、宮寺さんからそろそろ、母本を刈り取るとの連絡があったことから、NPO法人ミュゼダグリ( 納所理事長 )の皆が手伝いを申し出て、6月5日に刈り取り作業を行った。


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その後、ハウス内で乾燥させていたが13日に、500mlのタネが採種出来た。


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2011年06月03日

「里帰りした三河島菜」のタネが実った。


昨年の暮れに話題を呼んだ「里帰りした三河島菜」(略・里帰り菜)は、採種の段階に来た。
アブラナ科と云うことで、交雑しないように宮寺光政さんは、網室を作っていたが、ようやく莢が熟し、採種の時期を迎えた。
今後は、天候の様子を見てハウス内で莢を乾かしてから、莢を割ってタネを収集する作業に入るが、NPOミュゼダグリの皆さんが手伝って実施する予定だ。


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手のひらをクリックすると、「里帰りした三河島菜」の網室と、5月31日現在の莢。
当ブログのトップページ左の、カテゴリ「里帰りした三河島菜」にこれまでの経過を集めてあるが、3月23日の報告では網室を作ったことまで掲載している。


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2011年03月23日

荒川区峡田地区の小学校の校章はやはり「三河島菜」だった、23年目の検証。

23年も前に行われた第七峡田(はけだ)小学校「七峡小探偵団」の調査は正しかった。

昭和63年度に荒川区立第七峡田(はけだ)小学校の6年生が「七峡小探偵団」として、自分たちが通う学校の校章は三河島菜ではないだろうかとの調査を行っていた。

このことは、私が編纂に携わった「江戸・東京農業名所めぐり(農文協発売・JA東京中央会・企画発行)の中で紹介したから印象に残っているのだが、

小学生が、昔農家だった人に話を聞いたり、三河島菜を売っていたであろう八百屋さんに聞いたり、そして、荒川から立川にまででかけて、三河島菜の細密画が残る「東京都農業試験場(現・東京都農林総合研究センター)」の説明を受けている。


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そもそも、この調査に当たった6年生達は、荒川区峡田地区の小学校の校章がどれも似ていることから調べたという、
上の写真をクリックする

葉の数が5枚であったり6枚であったり、つぼみが1つであったり3つであったり、葉の形やリボンの形も微妙に異なっていたが、同じものだろうと、

6年生達は、区の社会教育課で、峡田( 三河島 )は江戸時代には有名な三河島菜という漬菜の産地で、徳川の将軍にも献上されたことも学んだ。

このようなことから、自分たちの校章は「三河島菜」ではないかとの仮説を立てての調査が始まったもの。

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2011年03月18日

NHKテレビテキスト趣味の園芸の別冊「やさいの時間」3月号が送られてきた。


NHKテレビテキスト趣味の園芸の別冊「やさいの時間」に連載されている、石倉ヒロユキ氏の「古本まるかじり 江戸・明治〜昭和の野菜雑学」が面白い。

石倉氏はベストセラー「野菜の便利帳」の、企画制作をされているが、第四回で「肥やしと小松菜」(4頁)を書いている。




家庭菜園歴10年を超える氏が、近所の農家の軒下にあった肥桶を見て懐かしさを感じたのが今回肥やしについて書くきっかけと云う。

それは子供の頃、畑の片隅にあった肥だめに落ちた経験を持っていることが大きく、化学肥料が使われる以前の農業を体験した一人としての思いが伝わってくる。

これまで紹介されたことのないような図版や収集された古書など貴重な資料は興味深い。

「肥だめの終焉」では、私がお話した肥だめの取り壊し運動についても紹介している。


当ブログでは「里帰りした三河島菜」をカテゴリにまとめてあるが、肥やしと云うと、思い浮かぶのはやはり「三河島菜」だ。



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2011年03月16日

仙台から「今庄青果関係者は全員無事ですのでご安心下さい。」のメール。


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庄子専務が住んでいる若林区、住宅地は浸水している


これからお休みになるのか深夜、今庄青果の庄子泰浩専務からメールがあった。

東北地方太平洋沖地震が発生した後、被害の状況が明らかになってきた12日の朝、心配になって仙台の今庄青果に一度だけメールをした。

庄子専務のお住まいが今回被害の出ていた若林区と聞いていたし、今庄青果に被害はあったのか、

生産地の状況、農家の状況など、しかし、不要不急のメール等は迷惑になるからとその後は遠慮をしていた。



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2011年03月13日

「里帰りした三河島菜」の花は咲いたが、東北地方太平洋沖地震で取材は中止。


3月2日に日本農業新聞の妻木記者が「里帰りした三河島」の記事を一面に書いてくれたことで、

宮城県にあるテレビ朝日系列局、KHB東日本放送で夕方のニュース番組のキャスターを担当している、奥村奈津美アナが、

その記事を読んで、ぜひ「仙台芭蕉菜と三河島菜物語」を特集したいと、電話をくれた。

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「今東京に伺うと、何か三河島菜の取材ができますか !、」と云うから、今なら花が咲いています。

「花が咲いたら、見たいと云っていた荒川区の栄養士さん達も呼んでおきますよ。」
と云っておいた。

また、12日は「NPOすぎなみ環境ネットワーク」で「里帰りした三河島菜」の話もするし、飲食店にお願いして、料理も作ってもらっておきますョ! と、話し、

それなら12日の9時30分に西武新宿線東大和市駅で待ち合わせましょうと云うことだった。

そんな中で11日。 奥村さんは仙台を出発する前の14時45分大地震が発生したわけだ。


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2011年03月04日

日本農業新聞の一面に、「三河島菜」ロマン 仙台から”里帰り” 食育組み合わせ復活 東京都荒川区 地域発 農のデザイン



日本農業新聞東京支所の妻木千尋記者が、温めていた記事をタイミングを見て掲載してくれた。

一面8段抜きのカラー写真付きだ。

当ブログでも紹介しているが、第七峡田小学校の吉野一平校長が訪ねてきたときに取材に来ていたのが、妻木記者だ。


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写真をクリックすると掲載紙にリンク。写真を撮るのが妻木記者(右)



首都圏版の掲載は、それより前に、JA東京むさしの渋谷香織特別通信員が書いていたが、妻木記者は取材の中で私の思いを察してくれたのだろう。

「里帰りした三河島菜」の話は、仙台の人たちに知ってもらうことも大事だということを。

昨日、宮城は勿論だが、山形や四国、九州からも電話をもらったが、3日、妻木記者の記事を読んだと、仙台のメディアから直接電話をいただいた。

やはり、物語が面白いと云うことらしい。

そこで、なぜ里帰りか! を説明した。

「伊達藩の足軽が江戸から持っていった時代から今日までタネを通して命が繋がっている野菜なんです。だから里帰りなんです。」と・・・、

仙台芭蕉菜は固定種なんです。
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2011年01月20日

三河島稲荷神社にお礼参り、「里帰りした三河島菜」の復活普及を願って。

葛飾区の小学校から依頼されて、江戸東京野菜の話をすることになったので、方向が同じなので、少し早めに家を出て、三河島菜と三河島枝豆の農業説明板のある三河島稲荷神社にお礼参りに出掛けた。

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三河島は三河島菜の産地で、江戸から明治にかけては漬菜と云えば三河島菜だった。

しかし、明治初年に中国から白菜が導入され、また、明治38年に三河島駅が開業すると都市化の進展により、畑は無くなり産地は尾久の方に移り、その後白菜の普及等もあり三河島菜は栽培されなくなっていく。

三河島菜の産地として隆盛を極めた、そんな所にある三河島稲荷神社に、平成9年に江戸東京の農業説明板をJA東京グループが建立した。



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2011年01月18日

第七峡田小学校の吉野一平校長が「里帰りした三河島菜」を訪ねてくる。


早朝、東京の東部では雪が舞う寒さの中、荒川区立第七峡田小学校の吉野一平校長が、「里帰りした三河島菜」を訪ねてきた。

先週の土曜日、土曜ワイドラジオ東京(TBS )「永六輔その新世界」で、リポーターの柳沢怜さんが小平の宮寺光政さんの畑から「里帰りした三河島菜」について生中継をしてくれた。


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数日して、リポーターの柳沢怜さんからメールが入った。

「放送を聴いた、荒川区の小学校の校長先生から番組宛に三河島菜について詳しいお話を聞きたいというお電話がありました。

大竹様に直接お取り次ぎをしたいのですが、研究会のご連絡先を教えていただけますでしょうか?」
というもの。

伝えてくれたのだろう、その後吉野校長先生から電話をいただいた。


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2011年01月08日

8日の土曜ワイド ラジオTOKYO(TBS)「永六輔その新世界」で「里帰りした三河島菜」が紹介される。



木曜日にTBSラジオの「永六輔その新世界」のキャスターから、新聞で読んだが「里帰りした三河島菜」を、土曜日の番組で紹介したいと生産者の宮寺光政さんのところに電話があったという。


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画面をクリックするとリンクする


話では、同番組の乙女隊の隊員・柳沢怜キャスターからで、8日(土)11:55から、宮寺さんが出荷しているJA東京むさし小平経済センターの直売所から生放送すると云う。


この番組、結構聞いている人が多いから、直売所は売り切れになるネ。

何せ、今年は試作の段階だからそんなに沢山は作っていないから心配だ。


 
追伸

放送後、柳沢怜さんから写メールが届いた。

TBSラジオ柳沢です。
本日の写真です。
解像度が低くて申し訳ないのですが…
大変お世話になり、
ありがとうございました。
またなにかありましたら、よろしくお願いいたします。


柳沢怜キャスター、スタッフの皆さんありがとうございました。

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ラジオに生出演の宮寺光政さんと柳沢怜キャスター

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2011年01月04日

都立園芸高校の先生と、品川の青果商が「里帰りした三河島菜」の畑でバッタリ。



里帰りした三河島菜」が東京新聞に掲載されたことで、江戸東京野菜の栽培や販売している方々が、畑を訪ねてくれた。


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都立園芸高校の横山修一先生(左)は、課題別研究で江戸東京野菜を栽培している生徒たちを指導している。

先生は、昨年の春、生徒が伝統野菜を栽培したいと云うので、生徒に付き添って、宮寺さんのお宅を訪ねている。

宮寺さんは、学生が勉強するならと、馬込半白キュウリと本田ウリの苗を10本づつ提供したご縁があり、隣接する市に住んでいるとかで「里帰りした三河島菜」を見学に来たもの。


また、品川の青果商・大塚好雄さん(中央)は研究会のメンバーだが、築地の江戸東京野菜普及推進連絡協議会の幹事でもある。


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2010年12月31日

「里帰りした三河島菜」を訪ねて故郷荒川区の栄養教諭さんがやってきた。


今年の2月27日に、東京都の小中学校に勤める栄養士の先生方から呼ばれて、江戸東京野菜のお話をしたことがあったが、

その時、荒川区の若い栄養士さんから「昔、荒川地区で栽培されていた野菜を探している。タネが無いものでしょうか !」との質問を受けたことがあった。

そのことがずーと気にかかっていた。


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先日、飲食店の皆さんに食べていただいて、充分に市場性もあることがわかったことから、荒川区の小学校で栽培を復活し、給食で食べてもらうことも可能だ。

「里帰りした三河島菜」を欲しいという飲食店の注文もあり、このままではすぐに売れてしまうかもしれない。

この機会を逃がすと、来年の冬まで見ることも味わうこともできないと云うので、

第三日暮里小学校の栄養士・清水一枝先生と、尾久宮前小の栄養教諭の鈴木恵理先生は、見たことのない「里帰りした三河島菜」に逢いたいと荒川から飛んできた。


写真をクリックすると、JA東京むさし広報の渋谷さんも取材に駆け付けた。
写真右が、清水さんに、左が鈴木さん。



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「里帰りした三河島菜」のレシピが江戸東京野菜料理研究家の酒井文子さんから届く。


20日に、宮寺農園を訪ねてくれた江戸東京野菜の料理研究家・酒井文子さんにレシピをお願いしていたら、23日に、皆さんが見えた時に、三河島菜が江戸時代に食べられていた塩漬けと、もう一品はポタージュを作ってきてくれたので紹介したが、ペペロンチーノと、和風ロールも考えてくれた。


里帰りした三河島菜の塩漬け

<材料> 作りやすい分量
・里帰りした三河島菜 300g  ・塩 9g(菜の3%)

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写真をクリック


<作り方>
1. 三河島菜をよく洗い、熱湯にさっとくぐらせる。(10秒くらい)
2. 塩をして、重石をのせて一晩つける。
* 塩だけでも充分美味しいが、昆布や唐辛子少々を入れても良い。






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2010年12月29日

東京新聞が「里帰りした三河島菜」を大見出しで報道

これまで、当ブログの「カテゴリ」で紹介してきた、「里帰りした三河島菜」が28日の東京新聞夕刊に、カラー写真3枚組で掲載された。


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写真をクリックすると東京新聞にリンク


ここでは、新聞の見出しを紹介するが、

江戸の大菜  帰ってきた

足軽が仙台へ・・・芭蕉菜と同一と判明


まるでクニマス ほうふつ

伝統野菜研究会調べ「三河島菜」小平で復活

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2010年12月28日

「里帰りした三河島菜」の販売戦略を畑で語る。


「里帰りした三河島菜」の話は、21日のブログで紹介したが

早速、お客さまに出されたレシピを公開してくれた、押上「よしかつ」の佐藤勝彦さんが畑に来ると云っていたので、

良い機会だと思って、昨年、寺島ナスの商品性や販売戦略について三鷹の星野直治さんの畑で実施したのと同じように、

地元小平の「なにや」の松村幹男さん、目黒「江ど間」の宮城幸司さん、江戸東京野菜の料理研究家の酒井文子さん、東京シティ青果の西口敏男さんにも声をかけてみたら、皆さん都合をつけて行きたいということだった。


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写真をクリックすると、左上が佐藤勝彦さん、右上が酒井文子さん。右下が松村幹男さか、左下が西口敏男さん。

当日、宮城さんはドタキャンになったが、4人の方々が畑に集まった。

そして、東京新聞社会部の松村裕子記者も取材に来てくれた。(写真左)

当日は、北風か強い日だったが、皆さん初めて見る「里帰りした三河島菜」の栽培状況に目を見張った。



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中国宮廷麺の「なにや」「里帰りした三河島菜」を"めん菜"と"三色の大餃子"でメニュー化。



中国宮廷麺の「なにや」(小平市学園西町・tel 042-342-2929)の松村幹男さんが、生産者の宮寺光政さんの畑で店に来ないかと誘ってくれたので、押上「よしかつ」の佐藤勝彦さん、江戸東京野菜の料理研究家・酒井文子さん、東京シティ青果の西口敏男さん、東京新聞社会部の松村裕子記者が車に分乗して店に伺った。

店主の松村さんは、宮寺さんの「里帰りした三河島菜」を初めて料理した時「卵スープに合うし、これは良い野菜だ」と云っていた。
 
その後、同店の名物「三色の大餃子」の具に肉と合わせた。

「里帰りした三河島菜」が肉の旨みを引き出したようだった。


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餃子をクリックすると「めん菜」。

伝統小松菜・ごせき晩生を練り込んだものとはまた違う味わい。これも良し。

佐藤さんが、「自分で麺を打てるというのは良いですネー。」と、松村さんの名刺に書かれた「翡翠麺打師」に感心しきり。



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2010年12月21日

「里帰りした三河島菜」に、仙台からも、東京の料理人からもメールが届く。



先日、「里帰りした三河島菜」の事を書いたが、早速、「この記事へのコメント」に仙台の今庄青果の庄子泰浩専務がコメントを寄せてくれ、その後で写真まで送ってくれた。

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写真をクリックする

庄子専務は16日

「偶然ですが、今日は僕の50回目の誕生日です
素敵なプレゼントをいただきましたありがとうございます。

この画像を見ていると、嫁に出した娘に孫が生まれたような感じです。
東京から見てもそうでしょうか?」


私は、里帰りした可愛い娘だと思います。(笑)


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2010年12月16日

「里帰りした三河島菜」が順調に生育、鍋物に美味い。


江戸時代の漬菜と云えば三河島菜だ。

この三河島菜、明治初年に導入された白菜が昭和の初めに普及すると、漬菜は白菜にとってかわられ、三河島菜は栽培されなり、今では三河島菜のタネも無く、絶滅したと云われていた。
数年前、仙台の伝統野菜の販売をされている今庄青果の庄子泰浩専務と親しくなり、仙台伝統野菜の詰め合わせや資料を送っていただいたことがあった。

その中に、仙台芭蕉菜が入っていて、資料には、仙台芭蕉菜は三河島菜だとの記述があったことから、急に身近なものと感じていた。
同社のホームページにも、そのことは、掲載されている。


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クリックすると背後に栽培中の三河島菜。

今年の、6月だったか、宮寺光政さんと一緒に、野口種苗に野口勲さんを訪ねた折、仙台芭蕉菜の絵袋があったので購入して、宮寺さんに大きく作ってくれるように頼んでいた。


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2010年09月15日

仙台で伝統野菜談義、三河島菜のその後


仙台の伝統野菜の普及に尽力されている、轄。庄青果の庄子泰浩専務にお会いしてきた。

庄子専務とは3年前に、農業共済新聞の田澤宏志記者から仙台にも伝統野菜に一生懸命な八百屋さんがいると、紹介してもらってからのメル友だが、色々資料を送ってもらったり、仙台の伝統野菜を送ってもらったりしていた。

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写真をクリックしてください。

東北新幹線の仙台駅前広場から通りを一本入ったところに、露地を挟むように東四市場があり、青果店が軒を並べ客でごった返していた。
店先には宮城県産の野菜が並んでいるが、仙台伝統野菜の「仙台曲がりネギ」も見える。


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