2018年04月17日

オステリアアルコ岡田圭介シェフによる「第2回並木さんのセルリ−づくしスペシャルディナー」が開催された。


渋谷のイタリアン「オステリアアルコ」の岡田圭介オーナーシェフによる、並木猛さんのセルリ−づくしスペシャルディナーは、昨年に続き今年も開催されると云うので、企画の上原恭子理事に申し込んでいた。

始めて行くのでアクセスを聞いたら、東急本店の先だと云うのが分かった。
松嶋あおい理事が案内してくれると云うのでハチ公前で待ち合わせをしたが、渋谷は外人観光客でごった返していた。




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セルリーの出荷が終わって、ホッとしたところで並木さんは「セルリ−づくしスペシャルディナー」を楽しみに来ていた。

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イタリアンの「オステリアアルコ」の入り口には、オリーブが蕾を持っていた。
レモンは果実を着け、蕾も咲こうとしていた。

今朝いただいた岡田シェフの感想は
皆様に喜んでいただけて良かったです!今回は並木さんが自慢のセルリーを自分で届けてくれた時がとてもうれしく、料理は生産者さんありきだなーとつくづく感じました。




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4月21日(土)、江戸東京野菜講座が新宿で開催されます。

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上の画像をタップしてお申込みください。
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2018年04月16日

一般社団法人日本実務能力教育協会の実施する2級、3級の和食アドバイザー検定の申し込みが始まる。


在宅受験方式の和食アドバイザー検定2級、3級の受験申し込みが始まる。

 和食アドバイザー検定とは
「自然を尊重する日本人の心を表現した伝統的な社会習慣」として、ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」。
そこには献立の内容にとどまらず、食材、調理法、食べ方、礼儀作法、食器、食の環境まで含めた「文化」があります。

また、日本人の自然に対する畏敬の念や民族習慣、感性などから築かれた「歴史」があります。
そのような「和食」の知識や技術を習得し、その魅力や素晴らしさを多くの人々に伝えることのできる人材を育成する検定です。




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同協会のホームページはここから


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2018年04月15日

品川歴史館の帰りは大森貝塚から鈴ヶ森を回って立会川へ


品川歴史館からすぐのところに品川区立大森貝塚遺跡庭園があると云うので足を延ばして行ってみた。

明治10年(1877年)、アメリカの動物学者 エドワード・シルベスター・モースが、横浜から新橋に向かう汽車の車窓左側から貝殻の層を発見した。
モースの貝塚発見のレポートには所在地が大森村と記述されていたことから「大森貝塚」(現大田区)とされたが、発掘地は「荏原郡大井町」(現品川区)だった。

現在、大田区にも大森貝墟碑が建立されていて、大森(現山王)から品川区大井にかけての線路沿いの崖地に貝塚が広がっている。




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日本で初めて貝塚の学術調査が行われたのは縄文時代後期から晩期の大森貝塚遺跡で、大森から、大井にまたがる一帯を「日本考古学発祥の地」と呼んでいる。

品川区では、大森貝塚遺跡を庭園として整備している。




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2018年04月14日

江戸で普及した孟宗竹は、勝孝によって品川領戸越村から近隣の小山・中延・目黒に広がりを見せた。


品川区立品川歴史館では、企画展として戸越と小山「山路治郎兵衛のタケノコ栽培と足跡」をやっていると云うので、出かけた。

武蔵小山商店街連合会が主催している「ムサコたけのこ祭り」は毎年この季節に開催されるが、

これは江戸時代に鉄砲洲で幕府御用の回漕業を営んでいた山路治郎兵衛勝孝が、薩摩藩邸で見事な孟宗竹の竹林を見て、種竹を薩摩藩から取り寄せ、戸越に設けた別邸の敷地で筍栽培を始めたことを起源としている。

孟宗竹は、薩摩藩が琉球経由で中国から輸入したもので、本来「江南竹」と呼ばれ、鹿児島城下の島津邸仙巌園で栽培されているが、
天保八年(1838)に仙巌別館に建立した 仙巌別館江南竹記には、「俗に孟宗竹と呼ぶ」とあり、日本で孟宗竹の名がついた





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今回の企画のベースになっているのが、山路家に残る資料によるもので、

上の画像をタップする。

チラシによると「山路治郎兵衛勝孝が戸越に植えた孟宗竹は、近隣の小山・中延・目黒に広がりを見せ、筍の−大産地になりました。

また、山路勝孝の子孫勝知は、明治時代に戸越村・上蛇窪村・下蛇窪村の戸長をつとめたほか、現・京陽小学校の設立や、戸越八幡神社の護持、関東大震災発生時の平塚村への救済など数多くの事蹟を残しました。

そこで本展では、「ムサコたけのこ祭り」の開催にあわせ、勝孝と勝知の足跡を辿りながら江戸時代から大正時代の戸越・小山地域を紹介します。」 とある。



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2018年04月13日

坂本龍馬ゆかりの地とは知らなかった!、京急の立会川駅周辺を歩き回った。


筍のシーズンになったが、品川区では品川歴史館が、筍の企画展をやっていると云うので、出かけた>
が、歴史館へのアクセスは、京急の立会川駅で下車したが、そこが土佐藩の坂本龍馬ゆかりの地であったことを知った。

時間的に余裕があったので、いつも情報をもらっている、高知の石川清彦さんや友人たちに土佐の情報を伝えようと、歩いてみた。






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立会川駅近くの品川区立浜川中学(東大井3丁目)の地に土佐藩山内家下屋敷跡の説明板が建っている。

立会川沿いに、土佐藩山内家の下屋敷1万6千8百余坪と抱(かかえ)屋敷(869坪)は東海道往還を挟んで東西に位置し、抱屋敷は河口に位置していた。

ともに万治元年(1658)に拝領、囲込みによって取得したもので、表道通りで結ばれていた。
他には、砂村(江東区北砂一丁目付近)にも下屋敷があった。

中屋敷は木挽町築地(現・中央区築地)にあり、現在の中央区役所となっていて、坂本龍馬が江戸で剣術修行をしていた間、この中屋敷(築地屋敷)の長屋に住んでいたと云われている。

因みに、上屋敷跡地には現在・東京フォーラムが建設されている。

ペリー来航時の狂歌

「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」

「上喜撰(じょうきせん)」とは宇治の高級茶のことで、高級茶を4杯飲んで眠れなくなったということと、ペリーの蒸気船(黒船)がたった4隻でやってきただけで慌てふためいている幕府を皮肉ったもの。




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2018年04月12日

秋川ファーマーズセンターから日の出町の鹿野(ろくや)大佛へ


先月21日のお彼岸に墓参りをしてきたが、墓のある霊園を管理する宝光寺が、山の上に大佛様を建立し、4月11日が公開日だったので、墓参りを兼ねて大佛様を参拝してきた。

ドローンが撮った映像がYouTubeで流れていたが大佛様の表情が優しい。

2、3日前には、日本テレビのEveryでも紹介していて、結構話題になっていた。




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隣の山にある霊園から望む大佛様

一般公開は9時と聞いていたが、秋川ファーマーズセンターに寄ってきたから10時になってしまったが、霊園は観光客の車で大渋滞だった。

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鹿野(ろくや)大佛とは、この地を鹿野と云うところからきている。
山の下から見上げると大きく見えないが、台座からの高さは12メートルで写真の通り、因みに鎌倉大佛は11メートルだとかで、単純に比較するとわずかに大きいが、でも歴史を言われたらシュン!

宝光寺の八坂良秀住職がTBSのインタビューを受けていた。

大佛様の前にお釈迦様、八坂住職に勧められて甘茶をいただいたが、幼稚園の頃以来だ。



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2018年04月11日

練馬区立向山庭園で開催された観桜会に、和食の料理人石井公平さんのお弁当が出された。


当ブログで紹介した、練馬区の向山庭園で開催された観桜会で、江戸東京野菜を楽しむ会が行われましたと、大泉の「小料理石井」の主人石井公平さんから、お礼メールに写真が添付されてきた。

「おかげさまで素晴らしいシュチュエーションに当店の弁当が花を添えることができました。

これもひとえに生産者様のおかげで、またこう言った方々を結びつけてくれた江戸東京野菜コンシェルジュ協会のおかがと深く感謝しております。

やっぱり和食っていいですね〜〜
こう言った日本の四季にも寄り添って「食」を通して花を添えてくれますから。
これは桜だけではなく、秋の紅葉の時期にも対応可能でして・・・。また、外国の方々にも日本の素晴らしさを伝えるツールとしてもすごくいい手段だと考えました。

今後も色々なところで使っていただけたらとも思っております。宜しくお願いします。」
とあった。






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練馬区立向山庭園の和室。

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お客様が庭園の桜をご覧になっている間に
お弁当のセッティング。





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2018年04月10日

銀座にある東京ガスのStudio+Gで開催したプラスジーセミナー「江戸東京野菜の食文化」が「プラスジー」vol.39に掲載された。



昨年の11月に、銀座にある東京ガスのStudio+G で開催した、プラスジーセミナー「江戸東京野菜の食文化」は、当ブログで紹介している。

このほど発行された、食の専門家と東京ガスのコミュニケーションマガジン「プラスジー」vol.39に、掲載された。





 
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「江戸東京野菜の食文化」〜歴史から調理法まで〜

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2018年04月09日

江戸東京野菜の販路拡大のために、武蔵村山の竹林を訪ねた。


江戸東京野菜のタケノコは、江戸時代の元文元年(1736)五月に薩摩藩の島津家が琉球交易により中国揚子江の下流・江南から取り寄せたもので、その後、江戸藩邸にも移植されている。

安永年間(1772−81)鉄砲洲の山路次郎兵衛勝孝が、薩摩藩邸に出入りしていたことから、別荘のある品川領戸越に定植した。

収穫したタケノコは、江戸神田多町青物問屋紀伊国屋に出荷したことから、販路は拡大していった。

特に、戸越で収穫したタケノコを目黒不動尊境内の茶店などが筍飯にして出したことから評判になり、タケノコは目黒に限ると江戸市民に云わしめた。

タケノコは孟宗竹が江戸東京野菜で、食用として品川から目黒・世田谷の農家に伝わり、その後、北多摩、南多摩、西多摩へと普及されて行った。

また、江戸御府内には植木職人によって庭園樹として、大名庭園などに植栽されていった。





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昨年まで、東京都庁の食堂を運営していた西洋フード・コンパスグループでは、2016年から、2017年にわたって〜江戸東京野菜を食べよう! シリーズ〜 を実施していたが、

企画立案した森川洋一さんが新たな企画を検討する中で、同社の石塚博志さんとでタケノコの産地視察にお見えになった。

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この季節、JA東京グループの直売所には、たくさんのタケノコが出荷されるが、朝掘りのタケノコを一定量となると屋敷内の竹林では間に合わず、山林等に竹林を有する農家に協力を求める必要があり、

JA東京みどり地域振興部の原省三さんに依頼して、武蔵村山の竹林に案内してもらった。

流通を担う、江戸東京野菜コンシェルジュの高橋芳江さんと高橋廣道さん(果菜里屋)も同行した。



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